テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
るるくらげ
いと
#和風ファンタジー
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ホテルの一室——芽里はメイクを直していた。
そして芽里がバッグを掴んだところで、
「え?芽里ちゃん、もう着替えたの?」
シャワーから出て来た30代後半の男が、驚いた顔で芽里に声をかけた。
「もう帰るから」
芽里はスマホを操作している。誰かと連絡を取っているようだった。
「え?だって、今、来たばかり……」
「急用ができたの」
「そんな……」
「あ、そうそう。プレゼントありがとう。でも、芽里とはこれっきりにしてね」
「え?」
男が驚いた顔で芽里を見る。
芽里は男の視線を逸らして、椅子にかかっている男の黒いパーカージャケットを見る。
「だって、今までちゃんとした格好だったのに、これからはプレゼントもくれないでしょ?」
芽里は馬鹿にするように笑った。
「奥さんと別れて会社辞めたからって、どうして芽里があなたの田舎に、一緒に行かなくちゃいけないの?」
「え? だって、さっきは俺を応援するって……」
「うん。そう言ったけど、芽里はわかんないもん。
神象ホールディングスの融資がどうのとか、社長が賄賂とか、意味わかんないこと言って、それを明らかにするから田舎に行くとか、ちんぷんかんぷん」
芽里はクスクス笑って言う。
「わかっているのは、あなたは芽里にプレゼントも出来ない、貧乏人になったってことでしょ?」
男は呆然としていた。
男は芽里にのめり込んでいた。
愛する芽里に金を注ぎ込み、借金をしていた。
妻に借金がバレて、経理として勤めていた会社の金を横領しようとしたが、バレて会社を解雇された。
そして妻と離婚となった男に、神象ホールディングスの社員が近づいてきた。
会社への融資を打ち切りたいので、社長の収賄の証拠を渡してくれたら、今後の生活保証をしてやると言われた。
愛おしい芽里と一緒ならやり直せる。男は芽里と共に、実家のある田舎に逃亡しようと思っていたのだ。
芽里と会ってすぐにホテルに入り、その話をすると芽里が笑って応援すると頷いた。
大喜びの男は芽里に先にシャワーを浴びるように言われて、その通りにしてシャワーから出てきた。
だが、芽里が帰ろうとしている。
そして——
「それに芽里は大学生だよ?彼氏もいるし。
芽里にとってのあなたはプレゼントをくれるおじさん。
勘違いしないでね」
嘲笑する芽里の顔を見た男は、拳を握った。
——この女のために、俺は全てを失ったというのに……
胸の奥から込み上げる怒りに任せて、腕を上げた男を見た芽里は
「やだっ!怖い!」
と言って部屋のドアを開けて走り去った。
追いかけようとしたが、男は腰にバスタオルを巻いたままの姿だ。
追いかけられず、苦虫を潰した顔になった。
「絶対に……逃がさない」
男はそう言って、慌てて服を着た。
——芽里は走ってホテルの外に出た。
「やだ、もう、せっかくメイク直したのに」
スマホを取り出して、カメラアプリを開く。
自分の顔を映して、左右に顔を傾けてメイク崩れがないかを確認した。
「大丈夫。芽里は可愛い」
自分が映っている画面に向かって言うと、スマホにLINE通知が来ていることに気づく。
芽里はパァと顔を明るくして、LINEアプリを開く。
溝口からのLINE。
『そっちに行く』
芽里はさっきまでいたホテルで、溝口とLINEをしていた。
溝口と会いたかった芽里は、男がシャワーを浴びている間に出て行くつもりだった。
だが男が思ったより早くシャワーを終えて出て来たことで、芽里は溝口の返事が見れなかったのだ。
——あの男のせいで、気づかなかったじゃないの!
芽里は心の中で憤慨しながら、慌てて歩道橋の方向に向かった。
——あの男も樹と同じ貧乏だから、何の価値もないのよ。
芽里は歩道橋に向かいながら、心で呟く。
——樹は理系だから、あの男みたいに良い会社に勤めるのかもしれないって思ったから、付き合ったけど……
パン屋の子だし、あの男と同じことを言いそう。
芽里はクスッと笑った。
——やっぱり普通の会社員じゃダメね。
芽里みたいに可愛い女子は、いつも綺麗にしなくちゃいけないの。
ヘアメイクにネイル。
それにお洋服、バッグ、靴、エステ。
綺麗にするにはお金をかけないといけないの。
それなのに芽里にお金を出してくれないとか、そんな男はいらない。
それに比べて宗輔は社長の息子。
将来は社長になるのよ。
あ、そうだ!樹ってば、宗輔にいじめられてた……
芽里は樹の屈辱を受けた動画を思い出して、クスクス笑った。
——女子は弱い男子より、強い男子がいいに決まっているの!
そして歩道橋の近くまで来た芽里は、歩道橋の反対側の階段を上がる溝口を見つける。
「宗輔!」
大きな声で呼んだが、歩道橋の下を走る車の音が芽里の声をかき消す。
ここで待っていようかと芽里は考えたが、早く溝口のところに行きたい。
はやる気持ちが抑えられなかった芽里は、歩道橋の階段に向かった。
芽里の背後、遠く後ろに黒いフードを被る人物がいた。
だが芽里は気づかず、歩道橋の階段の一段に足をかけた。
その先に快楽はない。
芽里も溝口と同じ、絶望への一歩を踏み出したのだった。