夜の駅前は、週末の人波が遠くに途切れていた。
蓮司はベンチの端に腰を下ろし、コンビニのコーヒーを指先で転がしていた。
冷めた液体が、掌の体温を奪っていく。
足音。
振り向くと、沙耶香が立っていた。薄手のコートに腕を組み、冷たい風の中でも微笑を崩さない。
「ご苦労さま。上手くいったみたいね」
その声音は柔らかい。けれど、そこに温度はない。
「……まあな」
蓮司は肩を竦め、視線を落とした。
「日下部も遥も、もうまともに口をきいてねぇ。あれで完全に終わりだ」
「そう。いいじゃない。あの子たちは“守る”とか“信じる”とか、似合わない言葉を使いすぎてたのよ」
沙耶香は近くに腰を下ろし、脚を組んだ。
街灯の下で、髪が金色に光る。
彼女の指先が蓮司の膝に軽く触れた。
「ねぇ、あなた。少し甘くなかった?」
「……そう見えたか」
「見えたわ。あの子を“理解しよう”としたでしょう」
蓮司は答えなかった。
缶コーヒーをもう一度傾ける。苦味が舌に残る。
「……遥、あいつ、ほんとに分かってねぇんだよ」
独り言のように、蓮司は呟いた。
「自分が何を壊したのか、何をしたのか。全部“守るため”で止まってる。あれじゃあ、いつまで経っても繰り返す」
沙耶香の目が細くなった。
「繰り返すなら、壊してあげればいいのよ」
「……壊す?」
「そう。優しさも、罪悪感も。どっちも中途半端だから、苦しむの」
その言葉に、蓮司は思わず笑った。
「お前、相変わらずだな」
「あなたが少し“優しい”のよ」
沙耶香はそう言って、蓮司の頬に指を滑らせた。
「迷ってる顔してる。あの子を見て、少し哀れに思った?」
返答ができない沈黙。
その一瞬の間に、沙耶香の笑みが変わる。
「哀れまないで。あの子は哀れに見えるように生きてるだけ」
「……お前、ほんと怖いな」
「違うわ、現実的なだけ」
街のざわめきが遠のく。
風が二人の間を抜け、落ち葉を転がしていった。
沙耶香は小さくため息をつき、続けた。
「ねぇ蓮司。あなた、あの子を“人間”だと思ってるの?」
「は?」
「違うの。あれは“壊すための素材”なのよ。少しでも感情を残せば、あなたまで引きずられる」
蓮司は顔を上げた。
「……お前、ほんとにそう思ってんのか?」
「思ってる。だって、あの子はいつも“自分が悪い”って言うでしょう? そういう人間は壊れても、誰も責めない。――だから利用できる」
その言葉に、蓮司の喉が詰まった。
一瞬だけ、教室で俯く遥の姿が脳裏をよぎる。
静かに、唇を噛んだ。
沙耶香は立ち上がる。
「あなた、優しさなんて似合わないわよ」
そのまま夜の人波へ消えていく。
残された蓮司は、空を見上げた。
街灯の光が滲み、まるで遠くで誰かが泣いているように見えた。