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お香騒動以降、一週間程が経過した。
この世界にレイナードが異世界召喚をされてすぐに続いた些細な騒動は追加で起こることなく、今ではすっかり鳴りを潜めている。ロシェルによる神殿内の案内、修道院や病院への慰問の付き添いなどくらいしかない平穏な時間をレイナードはすごせていた。
このまま帰還の日を迎えられるのでは?と彼が錯覚しそうになったある日、ずっと執務室や自室などに籠っていたカイルに、レイナードは突然呼び出された。『少し困った事態になったので、是非相談したい』との事だった。
セナからその言伝を受けて二人でカイルの待つ執務室に向かう。
カイルの執務室に入るなり、真正面に置かれた広い机の上に山積みになっている本や書類の多さにレイナードは驚いた。見た事も無い用途不明な器具や素材も其処彼処に混じっていて、何が何だかわからない状態だ。初めて此処に来た時とは違って乱雑になってしまった室内は、この一週間カイルが必死に古代魔法の為の用意をしていた事を察するには十分なものだった。
「あぁ、来てくれてありがとう」
二人の入室に気が付き、作業中だったカイルは顔を上げて椅子の背もたれに体を預けた。
「何かあったのですか?」
「まぁ、まずはそこへ座ってよ」
促され、問い掛けの返事は得られないままレイナードが室内にあるソファーに座る。セナはカイルの側へと立ち、後ろに控えた。
カイルは自分の席に座ったまま近くにあったメモに目をやり、溜息をこぼす。
「……実は、帰還魔法を使う為の素材で、手に入れられなくて困っている物があるんだ」
「不足品ですか」
「元々数が少ない素材でね。『何でこんなもん指定するんだ!』と思わず叫んじゃったよ、本を見た時は」
額を押さえてカイルが頭を振る。その様子に、とても厄介な物なのだなとレイナードは推察した。
「一体何が足りないのですか?」
「……『黒竜の鱗』だ。元々竜の鱗自体ほとんど流通してないっていうのに、よりにもよって“黒竜”とか、巫山戯るなって感じだよ」
「りゅ、竜もいるんですか!」
レイナードは驚いて声をあげた。彼の世界では竜は神話や空想上の存在だったので、そのような生き物まで居るとは流石に考えてもいなかったのだ。
「うん、『最果ての森』にね。他にも何点か足りない物はあるけど、そっちは時間の問題なだけだから神官達だけでなんとかなるとは思う。けど、鱗はねぇ……」
机に頬杖をつき、カイルが指でメモをトントンと叩く。その様子にレイナードは、『確かに、神官達では、竜のような神にも匹敵しそうな存在を相手になど出来ないだろうな』と思い、ゴクッと唾を飲み込んだ。だからと言って、自分だってどうにか出来るとは正直思えていない。俺ならばと自惚れるほど、彼は自分を過信してはいなかった。
(カイルはいったい、何を自分に頼む気なのだろうか?)
レイナードは起こり得るだろう事を、頭の中で考えながら次の言葉を待った。
「僕が言うのもなんだけど、あの子、引き篭もりだからさぁ、鱗を外で落とさないんだ」
入手困難な理由が予想よりも遥かにくだらないものだったので、レイナードは驚嘆を隠せなかった。『討伐を頼まれるのでは』とすら考えていたのに、まさかの引き篭もり!
「住処も説明出来る程きちんとはわかっていないから、まずは森に行って黒竜を探すところから始めないと」
「それは、時間がかかりそうですね」
レイナードが少し遠い目になってしまう。緊張感が一気に抜けてしまったせいだろう。
「うん。それでね、申し訳ないとは思うんだけどレイナードに探しに行ってもらえないだろうか。君が探してくれている間に、鱗を使わない他の魔法具を作っておければ時間短縮になると考えているんだけど……どうだろう?」
「それが一番効率的だと判断したのですね?」
「そうだね。最も面倒な事を頼んで本当に申し訳ないけど、君は騎士団長だと話していたし、腕も立ちそうだ。武に長けていない神官達に頼むより確実だと思う。竜が住む森は、最も危険だとも言われている『最果ての森』と呼ばれる地域だから、あの子を探すだけでも危ないんだ」
なるほど、とレイナードは納得した。引き篭もり竜の鱗探しだけならばまだしも、その地域が安全な場所では無いのなら、それが必要な自分自身が行くのが最善だろう。魔法は使えないまでも、剣技には自信があるレイナードは、この任務に適していると判断したカイルは間違っていないと納得した。
「わかりました、お任せ下さい」
「ありがとう!君ならそう言ってくれるだろうと思っていたよ」
カイルは目の下に少しクマの出来た顔で、パッと明るく笑った。
「実はね、了承してくれる事を前提に用意は既にこちらで始めておいたんだ。だから、レイナードさえ良ければいつでも出発出来るよ」
肩を竦め、カイルが苦笑する。でもレイナードは特にそれに対して気が早いなどと怒る事は無かった。最善を選ぶのは上に立つ者ならば当然の判断だ。
「ははは、流石ですね」
「それしか思い付かなかったからね。自分で行くのが一番早いんだけど、古代魔法を使う為の魔法具を作れるのは此処には僕しかいないから、次に確実な手を選択するのは当然だろう?他の神子にどちらかでも依頼しようとすると、みんな個性的過ぎて説得に時間がかかるからねぇ。素早く動いてくれそうな神子二人は今揃って妊娠期だから、頼みたくないし……」
「それは時間の無駄ですね。私が適任者だと言うのは納得です」
頷くレイナードに、「だろう?」とカイルも続けた。
「装備や荷物一式を客室へ運ばせるから確認して欲しい。足りない物があったらイレイラに頼んでもらえるかい?旅の件は妻に任せてあるから」
「わかりました。すぐに戻り、確認します」
「道案内役として誰か一人、神官を同行させようと思っている。誰にするか決まったら、その者も客室へ向かわせるよ」
「色々ありがとうございます」
レイナードはそう言うと座ったまま頭を深く下げた。それに対し、カイルが困った表情を浮かべる。
「僕のミスが原因だ。レイナードが礼を言うことじゃ無い」
「ですが——」とレイナードが言葉を発した時、水掛け論になりそうな流れに対してセナが口を開いた。
「レイナード様。ご確認の前にロシェル様へ顔をお出し頂けますか?何も告げずに出られては、心配なさりますので」
「あぁ、そうだね。僕からも頼むよ」
うんうんと頷き、カイルも同意する。レイナードは二人に対して「了解です」と答えると、その足でロシェルの私室を目指すことになった。『最果ての森』という地域がどの様な場所なのか見当もつかないが、今出来る事をとにかくやらねばとレイナードは強く思った。