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第9話▶︎ただ、キミといる今日が / side柔太郎
「おはよ、柔太郎」
佐野先輩の声で目が覚める。
ゆるく意識が浮上して、慌ててスマホを掴むと、表示された時刻はぎりぎり“朝”と呼べる時間だった。
視線を上げると、先輩がすぐそばにいる。
シャワーを浴びたばかりなのか、濡れた髪から、かすかにシャンプーの匂いがした。
やわらかい光の中で”はやちゃん”だけがやけに鮮明に見える。
「…まだ怒ってる?」
ぽつり、と落ちてくる声。
俺は顔を少し背けたまま、小さく首を横に振る。
怒ってるわけじゃない。ただ、うまく直視できないだけだ。
「怒ってないよ…」
口にした瞬間、 胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。
あんな風にぶつかって、言い過ぎて。
それでも結局、 同じ部屋で、同じ布団で、朝を迎えた。あのぬくもりが、まだ体のどこかに残ってる気さえした。
先輩が、ほっとしたみたいに小さく息を吐く。
「よかった。もう口きいてもらえないかと思った」
「そんなわけないよ」
思ったより強い声が出て、自分で少し驚く。
言ってから、遅れて頬が熱くなる。
「…だって、はやちゃんだから」
自分でもうまく説明できない理由を、そのまま差し出すみたいに。
「なにそれ」
くす、と笑う声がすぐ隣で弾ける。
それだけで、距離が一気に近づいた気がして、息が浅くなる。
昨日までとは違う。 空気が、やわらかい。
それに、触れたらそのまま沈んでしまいそうなくらい、甘い。
「あのさ、昨日、言ってくれたこと」
「どれ」
「俺のこと、好きだってやつ」
その一言で、ぴたりと体が止まる。
逃げ場みたいに視線を落とす。
「あれは、勢いというか…」
「勢いでもいいよ」
かぶせるように、やさしく言われる。
思わず顔を上げると、先輩はまっすぐに俺を見ていた。逃げる隙もないくらい、まっすぐに。
「俺も、ちゃんと返してなかったし」
少しだけ照れたように目を細めて、それから、
「ずっと好きだった。ずっと。」
昨日の夜よりも、ずっとやわらかい言い方に 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「…ずるい」
やっとのことで絞り出す。
「なにが?」
「そういうの、ちゃんと朝に言うの」
「夜のほうがよかった?」
「そういう意味じゃなくて!」
反射的に顔を上げた瞬間、近い、と思う。
笑ってる顔が、すぐそこにある。
距離が、昨日よりもずっと自然に縮まっている。
気づけば、並んだ手の甲が、触れそうで触れないところにあった。
ほんの少し動けば、きっと触れる。
でも、そのほんの少しが、妙に重くて、
同時に、どうしようもなく愛おしい。
遠くで、バイクや車の音が流れていく。
世界はいつも通り動いているのに、
ここだけ、時間がゆっくりほどけていくみたいだ。
触れそうで触れない距離のまま、どちらも動かない のに、心はじわじわと熱を溜めていく。
先に動いたのは、ほんのわずか、先輩の指だった。
ためらうみたいに、でも確かめるみたいに、俺の手の甲に触れる。
びく、と小さく肩が揺れる。
それだけで、触れたところから一気に熱が広がる。
「嫌?」
低く落ちてくる声が、やけに近い。
首を振ることもできなくて、ただ小さく息を吸う。
その曖昧な返事を肯定だと受け取った 先輩の指が、ゆっくりと絡んできた。
指と指の隙間が埋まる。
逃げ場がなくなるみたいに、ぴたりと重なる。
距離が、また縮まる。
「顔、見せて」
さっきよりも、ずっとやわらかい声。
逆らえなくて、ゆっくりと顔を上げる。
近い。
思っていたよりも、ずっと近くに、先輩の顔がある。
濡れた髪から落ちる雫が、頬を伝って、
そのまま首筋に消えていくのが見えるくらいに。
視線が絡まる。
逸らせない。
逸らしたくない、と思ってしまう。
心臓の音が、うるさい。
「柔太郎」
名前を呼ばれるだけで、息が浅くなる。
ゆっくりと、先輩の顔が近づいてくる。
逃げようと思えば逃げられる距離なのに、
足が動かない。
むしろ、自分から少しだけ、前に出てしまった気がした。
鼻先が触れそうになる。
息が、混ざる。
そこで、時間が止まったみたいに、互いの動きが止まる。 触れる直前、目眩がしそうなほど顔が熱い。
「…キスしていい?」
囁くみたいな声が、唇のすぐそばで落ちた。
離した唇から、先輩が何気ないふうに尋ねた。
「また、来る?」
一瞬迷って、俺は小さくうなずいた。
「…くる」
その答えに、先輩は満足そうに笑う。
今度は自然に、ほんの少しだけ、指先が触れた。
そして、どちらも離さなかった。