※この物語はフィクションです。
実在の人物及び団体、事件などとは一切関係ありません。
〈File38:愛をかたる人〉
智世が探し当てた犯人は、以前私達が浮気調査の報告を担当した水野エリカの『夫』だった。
「確か名前は……水野圭一郎」
あの一件については記憶に新しい。
私と智世は、リンダの調査結果を伝えに水野邸を訪れた。
ところが出迎えたのは水野エリカさんではなく、夫の愛人に弱みを握られた同僚女性だったのだ。
女性は愛人の兄と共に不倫の証拠を抹消しようと企み、私と智世はたまたま居合わせてしまった。
「一応、水野さんに事情を説明して、今晩はホテルに避難するそうだ。ちなみにクソ旦那は出張中ということになっていた」
「きっとホテルを取らずに我が家にご宿泊予定なのね」
「断固阻止!」
「……リンダにもホテルに避難してもらったわ。もう事務所は狙わないと思うけど、一応」
元々関係が悪化していた水野夫妻は、あの一件をきっかけに離婚すると思っていた。
だけど結局、関係の修復を試みることになったと依頼人である夫人から報告を受けた。
「それにしても、早々に切り札を切っちゃったのね……」
不倫の証拠は関係修復の障害になりかねないから、私の方で処分することも可能だと申し出た。
だけど水野さんは首を横に振った。
「『確かに再構築するとは言ったし、そのための努力もするけど……。切り札は必要だもの』」
あの時の、水野さんの真っ赤なルージュをよく覚えてる。
「ますます許せん男だな。妻の愛を裏切り、胡坐をかき、証拠を消そうとするなんて。方法も気に食わない」
「我慢できなかったのかもね。証拠を握られて、奥さんの顔色を窺う日常が。夫婦関係の修復に同意したのも、お金を払いたくなかったのかも。財産分与とか慰謝料とか、結構な額になりそうだったし」
水野社長のやっていることは、愛人の兄と、愛人の同僚女性と同じだ。
証拠を探してたけど自宅からは見つからず、事務所の方で保管されていると考えた。
それを確かめようにも侵入に失敗し、警察沙汰にまでなってしまう。
引くに引けなくなり、矛先が私へ向かった――というところかな。
「そんなに金が大事か……。まさか、君も?」
「お金は大事よ」
「愛よりもか」
思春期の子じゃあるまいし、三十路の男がなに言ってるの。
そう思ってスマホから智世に目を流す。
スマホの明かりが、この上なく真面目な顔の智世を照らした。
彼は愛を信じてる。
だからなんの臆面もなく、愛を語るのだろう。
「育ちの違いね。もし私がお金にルーズだったら、愛を騙りながら近づいてきた親戚連中に遺産取られてた」
「それは……すまない。個人の生き方に口を挟むようなことをした。君が身を立ててきた術を貶すつもりはなかった。本当にすまない」
智世は頭まで下げだして、身の置き場がなくなってしまったような心地になる。
「……いい、ずるい言い方した。こういうこと言うと、みんな返答に困って黙ってくれるから。そんなに真剣にならないでいいわ」
「事実をありのまま話すことが狡いわけないだろう。これで俺が黙ったら、それこそ狡い男だ。せっかく君が自分のことを話してくれたのに、バツが悪くなったら黙るなんてできるか。どうか謝罪は受け入れてくれ」
「……わかった」
ふ、と吐息だけで智世が笑ったような気がした。
私が身を隠してたクローゼットに、智世は片足を立てて腰を下ろす。
そして隣を叩いてみせた。
「ほら、隠れないと」
侵入者を捕らえるなら、言い逃れのできない現行犯がいい。
逃げられたら面倒だから、この部屋の中で捕えたい。
なるべく部屋の中までお客人を招くために、私はクローゼット身を隠すことにしたんだった。
本当にそれを理由にしていたはずなのに、今はどうしてか言い訳がましく思えてしまう。
「膝に乗りたいか?俺は大歓迎だが」
「隣で結構よ!」
迷うことなく、隣に腰を下ろした。
1人用のクローゼットのサイズなんてたかが知れてるから、肩が触れ合う近さで横並びに座ることになる。
クローゼットの扉が開いたままでは不自然だからと、吊り下げた服を背中でかき分けた。
隠れるために幾らか物を外に出したけど、それでも膝を抱える態勢で扉を閉めるしかない。
なお暗い闇の中で、智世の気配を色濃く感じる。
息づかい、香水、身動ぎ、衣擦れ。
肌で感じるほど、クローゼットから飛び出して叫びだしたい衝動に駆られた。
「聞きたいんだが」
「わっ!あ、え、なに……!」
「その、誕生日が嫌いな理由を尋ねても?」
クローゼットの闇よりも暗い影が気持ちに落ちかかる。
智世は誠実で純粋な気持ちで、その言葉を口にしたんだと思う。
私の誕生日を祝いたい。
祝ってはいけない理由が知りたい。
智世の気持ちの中に、私の気持ちを踏みにじるような好奇心や興味本位は見つからなかった。
智世の誠実さや純粋さに触れるたび、その気持ちに応えたいと思ってしまう。
「……私の誕生日は母の命日なの」
言葉の応えはなかった。
息を詰めるような、そんな気配だけが伝わってくる。
「父子家庭で、母方の祖父母の家に預けられることも多かった。祖母は私の母親代わりみたいな感じで……7つの誕生日に、持病の発作で亡くなったの。すぐに病院に行けばきっと助かったわ。でも……その日、祖父は私の誕生日を祝うために家を空けてたのよ」
祖父も父も伯父も、私を責めなかった。
そして祖母の葬儀の日に、顔もよく知らない親戚たちの話を聞いてしまった。
私の母は、私を生んで亡くなったことを。
「それからは誕生日を祝ってほしくなくて、でも……15歳の誕生日のとき、今年はちゃんと祝おうって父が言ってくれたの。伯父と祖父も一緒に4人でね。だけど……」
だけど、父はその日を境に帰って来ていない。
「父さんはすぐ帰って来るって、おじいちゃんは言ってたわ。来年こそは4人で祝おうって指切りまでさせられたっけ。でも、16の誕生日が来る前に祖父も病気で亡くなったわ」
伯父さんは今でも誕生日月になると、さり気なく当日の予定を聞いてくる。
のらりくらりと躱したまま当日を迎えると、留守電にメッセージを入れてくれていた。
私はそれを聞かずに消している。
「父が失踪して7年後、誕生日によく知らない親戚から電話が来たのよ。それが本当に最悪だった。7年もたったんだから気持ちに区切りをつけましょう、ですって」
7年間継続して生死が不明であることを条件に、家庭裁判所にある審判を申し立てることができる。
その審判は失踪宣告といい、それが認められれば法律上は死亡扱いになる。
つまり、行方不明者を死亡扱いにすることで財産や保険金の受け取りが可能だった。
「成人してても相続とかお金の管理は大変でしょうって猫撫で声を聞いた瞬間、電話ブン投げたわ」
あれは明らかに遺産の横取りを目論んでた。
母のいない一人娘の私の将来を案じて、父が多額の保険に加入していたのをどこかから聞きつけたのだろう。
「それがね、投げた電話が床に穴開けちゃってさ、あはは、余計に修繕費払うはめになって……はは……」
気持ちが下を向いたまま、智世を見ることができない。
智世の誠実さに応えたかったから?
ただ自分の弱さを吐露して慰めてもらいたかっただけじゃないの?
楽になりたかっただけじゃない?
自分の気持ちが見えない。
罪状を言い渡される囚人のような気持ちでいると、張り詰めた声がした。
「君に伝えなくてはいけないことがある。実は――……」
〈続〉