テラーノベル
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#ワンナイトラブ
#一途な思い
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白いポストのまわりには、このごろ本人たちよりわかりやすい片思いがいくつも転がっていた。サムソはタニアが帳簿を覗きに来るたびに犬より先に走っていき、タニアはそんな騒がしさに肩をすくめながら、診療所のヴァタゼルが差し入れる消毒液や包帯の減り具合を気にしている。ヴァタゼルは誰に対しても同じ静けさで手を貸すので、好意の向きが見えない。
「世の中、だいたい一方通行なんだよな」
サムソが犬用クッキーを並べながらぼやいた。
「自覚があるなら少し静かにしてください」
タニアが即座に切る。
「ひどい!」
「今ので元気が出るなら、そのまま頑張って」
傍で見ていたラウシャンが噴き出した。白いポストの厨房には、そんなふうに笑える未整理の感情が増えていた。人の気持ちが揃わないからこそ、場の空気は妙に賑やかだ。
ただ、主役の二人だけは笑って済まないところまで来ている。イドゥレはモリネロが椅子を直す音に安心してしまう自分を認めたくない。モリネロはイドゥレが忙しいときに眉間へ寄るしわを知ってしまったせいで、放っておけない。相手を思うほど本音を言いにくくなる。まるで逆方向の矢印を、同じ胸の内に隠しているみたいだった。
そんなところへ、ハリクレイアが「密着許可ありがとう!」と半ば勝手に押しかけてきた。
「許可してません」
「視聴者の信頼を得るには長尺なの。偽物夫婦か本物夫婦か、白黒つけたいでしょ?」
「つけたくないです」
「じゃあグレーのまま撮る!」
結局、彼女は一日じゅう店に張りついた。
だが撮れた映像は、本人が期待したような派手さからほど遠かった。昼の混雑が引いたあと、モリネロが黙って床の水を拭き、イドゥレが声をかけずに新しい布巾を差し出す。閉店後、イドゥレが疲れて椅子へ座り込むと、モリネロが湯を沸かし、甘くないハーブティーを置く。礼を言う前に彼は次の皿洗いへ戻ってしまう。ラウシャンが重い小麦粉袋を持とうとすれば、二人が同時に手を伸ばし、ぶつかってからどちらも黙る。劇的ではないのに、見ている方だけが落ち着かない。
「地味……」
編集用の画面を見ながら、ハリクレイアが呟いた。
その横でラウシャンが胸を張る。
「そこがいいの」
「わかるけど、配信は盛りたい」
「盛らなくていい」
イドゥレが言うと、ハリクレイアは顎に手を当てた。
「でもさ、目が離せないんだよね。この二人」
その言い方だけは、少し真面目だった。
翌日、彼女の配信が上がる。タイトルはやたら軽かった。
『派手じゃないのに目が離せない夫婦、白いポストを一日見てみた』
ところがこれが思いのほか広まった。昼過ぎには、配信を見た客が次々やって来る。
「ほんとにあのハーブティーある?」
「犬連れでも大丈夫ですか」
「地味映像の塩タルトください」
最後の注文だけは腹が立つ、とイドゥレは思ったが、売れるなら言わなかった。
ハリクレイア自身も、配信の反応を見て少し戸惑っているようだった。
「派手な暴露より、普通の夕飯の方が伸びることあるんだ……」
「普通じゃないんです」
イドゥレが言う。
「毎日必死なので」
「それか」
ハリクレイアは小さく笑った。
「必死なのに見栄を張ってないから、みんな止まるのかも」
閉店後、カウンターの上に売上帳を広げたイドゥレは、客数の伸びに息を呑んだ。嬉しい。嬉しいのに、なぜか胸の奥は静かに痛む。白いポストへ人が集まるほど、この日常が終わる日を想像してしまうからだ。
「今日、助かりました」
モリネロが言う。
「配信ですか」
「それもですけど」
彼は少しだけ言葉を探した。
「あなたがいたので」
それだけで十分すぎた。イドゥレは帳簿に視線を落としたまま、ページの端を強く押さえる。
恋の一方通行。そんな題名をつけるなら、せめて矢印の向きくらいは見せてほしい。けれど現実は、見せた瞬間に崩れてしまいそうで、まだ誰も手を伸ばせない。