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第10話 帰還式
最終日の朝は、よく晴れていた。
窓の外では、雪の残る屋根が朝の光を受けている。
温泉水路から昇る湯気が町の上を流れ、遠くの飛行場では帰還船の点検が始まっていた。
一か月前。
五人は、あの船に乗って四季星へ来た。
春域の花畑。
身体を包む入眠施設。
夏域の湖。
冷たい温泉。
夜の花火。
秋域の香りと食卓。
冬域の小型飛行機。
記憶の中には、笑った場面が幾つも残っていた。
同じ場所に、記録端末の光も残っている。
感動。
安心。
満足。
共感。
数値へ変えられた気持ち。
地下で見た作業列。
腕や足首につけられた輪。
奴隷族管理記録。
五人の名前。
旅の思い出と真実は、もう切り離せなかった。
悠斗は窓辺に立ち、短い茶色の髪を指で整えた。
深緑の上着の留め具を閉じる。
背後では、直人が荷物を一つずつ確認している。
灰色の帽子の下から覗く細い瞳が、机と床と壁を何度も往復していた。
陽菜は水色の耳当てを両手で持ったまま、寝具の上に座っている。
長い茶色の髪はまだ整えていない。
美咲は鏡の前で栗色の髪をまとめていた。
黄色のマフラーを巻く指が途中で止まる。
蓮は窓際の柱へ背を預け、傷の残る大きな手を握ったり開いたりしていた。
誰も、帰れることを喜ぶ言葉を出さなかった。
机の上には、五枚の薄い板が並んでいる。
立入禁止区域から持ち出した記録を分けたものだった。
元の記録板は、前夜のうちに直人が複製した。
一人が見つかっても、すべてを失わないように。
一枚には奴隷族の分類記録。
一枚には地球招待事業の目的。
一枚には五人の選定条件。
一枚には善意信用の分配先。
最後の一枚には地下作業区の映像が入っている。
直人が五枚を指先で並べ直した。
帰還式の前に身体検査がある。
上着も荷物も調べられるはずだ。
陽菜が耳当てを膝へ置く。
どこに隠すの。
直人は答えず、窓の外を確認した。
旅館の庭には係員が二人いる。
廊下には管理局の者が立っている。
昨夜から、五人の移動には必ず誰かがついていた。
蓮が低い声を出す。
飲み込める大きさじゃないな。
美咲が振り返る。
飲み込む気だったの。
例えだ。
本当にやったら帰る前に倒れるよ。
陽菜の口元が少しだけ上がった。
すぐに消えた。
羽海汐遠
15,401
#創作百合
奏
56
悠斗は机へ近づく。
昨日決めた通りにしよう。
一人一枚ずつ持つ。
見つかった人は抵抗しない。
ほかの四人が持ち帰る。
蓮が悠斗を見る。
一人だけ捕まってもか。
悠斗はうなずいた。
全員で守ろうとすれば、全員が残される。
地球へ一枚でも持ち帰れば、真実は消えない。
美咲は記録板へ手を伸ばさなかった。
持ち帰って、それからどうするの。
直人が顔を上げる。
公開する。
全部?
全部だ。
名前も。
映像も。
四季星の制度も。
奴隷族の存在も。
美咲は机の端を見つめた。
地下にいた人たちの顔まで?
直人の指が止まる。
あの人たちは、見世物じゃない。
美咲は静かに続けた。
助けるためだからって、勝手に顔を出していいのかな。
直人はすぐには答えなかった。
陽菜が記録板の一枚へ手を添える。
私も、顔は隠したい。
でも存在は伝えたい。
蓮が壁へ目を向ける。
地球の人間が見ても、信じるとは限らない。
作り物だって言われる。
四季星との交流を壊すなって言う人もいるだろうな。
悠斗が言った。
観光で得をしたい人もいる。
技術が欲しい人もいる。
地下の人たちより、自分たちの利益を優先する人も出てくる。
直人は記録板を一枚持ち上げた。
それでも黙る理由にはならない。
悠斗は直人の目を見る。
黙らない。
ただ、公開する順番を考える。
最初にすべてを投げ出したら、四季星側が記録を偽物だと言って終わるかもしれない。
地球側が証拠を確かめる前に、地下の人たちを別の場所へ移すかもしれない。
蓮が腕を組む。
先に逃げ道を作る必要がある。
陽菜が顔を上げた。
地下の人たちの?
そうだ。
助け出しても、地球へ連れて帰れるとは限らない。
あの人たちは地球の過去や未来から連れてこられた。
戻る時代がない人もいる。
美咲は自分の両腕を抱いた。
解放すれば終わりじゃないんだね。
食べる場所。
住む場所。
病気の治療。
家族。
言葉。
時間。
取り戻さなければならないものが多すぎた。
一度の告発で、すべてが整うほど簡単ではない。
けれど、難しいから見なかったことにする道は、もう五人の前にはなかった。
扉が三度叩かれた。
五人は同時に机を見る。
直人が記録板を布の下へ滑らせる。
悠斗が扉へ向かった。
誰ですか。
トウラです。
朝食をお持ちしました。
悠斗は扉を少しだけ開けた。
短い黄緑の髪。
丸い茶色の瞳。
胸元の記録端末。
その後ろに管理局の者はいない。
トウラは料理の載った台車を押していた。
一人なの。
陽菜が悠斗の肩越しに尋ねる。
今だけです。
トウラは部屋へ入り、静かに扉を閉めた。
台車には温かな煮込み料理とパン、果実の飲み物が並んでいる。
一か月の旅で、何度も食べた朝食だった。
美咲が料理を見る。
最後まで、きれいな料理だね。
調理係が皆さんのために作りました。
信用値のため?
美咲の声は責めるようには聞こえなかった。
だからこそ、トウラはすぐに答えられなかった。
両方です。
仕事の評価にもなります。
皆さんに喜んでほしいとも思っています。
陽菜が椅子へ座る。
また両方なんだ。
善意と数字。
分けられないんだね。
トウラは台車の持ち手を握った。
この星では、生まれたときから一緒にあります。
親に食事を運ぶ。
友人を助ける。
迷った人を案内する。
すべて数字になります。
数字にならない親切を、私はほとんど知りません。
蓮が尋ねる。
昨日、俺たちを逃がしたことは。
トウラは胸元の端末を見た。
案内資格は停止されました。
住居の見直しも始まっています。
家族の信用値にも影響します。
陽菜の顔が曇る。
ごめん。
謝らないでください。
選んだのは私です。
直人が細い瞳を向ける。
後悔してるか。
トウラは窓の外を見る。
雪の町。
温泉水路。
広場。
善意信用の掲示板。
当たり前だと思っていた景色。
怖いです。
家を失うかもしれない。
仕事も失うかもしれない。
友人に避けられるかもしれない。
けれど。
トウラは五人へ向き直る。
地下で働く人々を知りながら、知らない顔を続ける方が、今は怖いです。
悠斗は扉の向こうを気にしながら尋ねた。
リセラは。
帰還施設にいます。
監視下ですが、今日の案内役として出ることを認められました。
どうして。
帰還式で皆さんが安心すれば、高い反応値を得られるからです。
美咲の表情が固くなる。
最後まで集めるんだ。
帰れると安心した瞬間は、特に高く記録されます。
トウラは台車の下へ手を入れた。
薄い布の袋を取り出す。
中には五つの小さな留め具が入っていた。
これは?
陽菜が一つ持ち上げる。
帰還式で身につける記念章です。
春域。
夏域。
秋域。
冬域。
四つの模様が重なっている。
リセラが内部を加工しました。
直人が留め具を裏返す。
細い溝がある。
記録板を入れられる。
身体検査では、帰還式の公式装飾は調べられません。
トウラの声が小さくなる。
ただし、帰還船へ入る直前に、感情記録との照合があります。
何のために。
悠斗が尋ねる。
旅の記憶に欠落がないか確認するためです。
記憶処理が成功したことを確かめます。
部屋の中から、食器の立てる微かな音まで消えた。
陽菜が胸元へ手を置く。
今日、消すつもりなの。
帰還式の前です。
トウラは一人ずつ顔を見た。
地球への帰還には、穏やかな精神状態が必要だと説明されます。
皆さんは個別室へ案内され、記憶安定処置を受けます。
直人が留め具を握る。
断ったら。
帰還延期。
保護室への移動。
その後、強制処置です。
蓮が椅子を引いた。
なら帰還施設へ行く前に逃げる。
どこへ。
トウラの問いに、蓮の足が止まる。
帰還船以外に地球へ戻る方法はありません。
操縦も、時間座標の設定も、四季星側が管理しています。
悠斗は留め具を一つ取った。
処置を避けて、帰還船へ乗る方法があるんですね。
なければ、これを持ってこない。
トウラはゆっくりうなずいた。
帰還施設の地下に、記憶処理を受けたと示す信号を作る装置があります。
リセラが案内します。
直人が疑うように目を細める。
管理局も知っている場所だろ。
もちろん知っています。
ただ、今日の帰還式は町全体へ配信されます。
地球との交流事業を成功させるため、多くの者が式場へ集まります。
警備も、表へ向きます。
蓮の手が傷の上で止まる。
その隙に装置を使う。
はい。
美咲が留め具を見つめる。
リセラさんとトウラさんは、どうなるの。
トウラは笑おうとした。
丸い瞳が先に揺れた。
私たちのことは、今は考えないでください。
考えるよ。
陽菜が立ち上がった。
だって、一か月ずっと一緒にいたじゃん。
記録されてても。
目的が別にあっても。
案内してくれたことまで消えないよ。
トウラは視線を落とした。
胸元の端末に小さな表示が浮かぶ。
共感反応。
数値が増える前に、トウラは端末を外した。
机へ置く。
今日は、これを持ちません。
善意信用が増えなくても?
美咲が聞く。
トウラはうなずいた。
皆さんの言葉を、私の数字にしたくありません。
朝食を終えた五人は、最後の荷物をまとめた。
土産。
写真。
各地域でもらった記念品。
春域の香り袋。
夏域の小さな水筒。
秋域の木製食器。
冬域の飛行証明。
一つずつ手に取るたび、その場所の景色が戻った。
陽菜は春域の香り袋へ鼻を近づけた。
柔らかな草の香りがする。
あの日は、起きたくないくらい気持ちよかった。
美咲が木製食器を布で包む。
秋域の料理、また食べたかったな。
蓮は飛行証明を持ち上げた。
飛行機は、もう一度乗りたい。
直人が水筒の蓋を確かめる。
夏域の湖も悪くなかった。
悠斗は四人を見た。
楽しかったことを言うのが、少し怖くなっていた。
数値にされる。
利用される。
誰かの信用になる。
けれどトウラの端末は机に置かれたまま、光らなかった。
悠斗は窓を開ける。
冷たい風が入る。
雪と温泉の匂い。
俺も、来てよかったと思ってる。
四人が振り向く。
知りたくなかったことも知った。
でも、知らないまま帰るよりいい。
美咲が小さくうなずく。
旅行が全部、嘘だったわけじゃないよね。
違うと思う。
陽菜が香り袋を荷物へ入れる。
楽しかった。
怖かった。
腹が立った。
助けたいと思った。
全部、本当だよ。
蓮が荷物を背負う。
なら全部持って帰る。
直人は五つの留め具へ記録板を入れた。
感情も。
証拠も。
五人分。
それぞれ違う記録板を胸元へつける。
小さな記念章は、旅の終わりを祝う飾りにしか見えなかった。
旅館の玄関には、係員たちが並んでいた。
一か月のあいだ、食事を運び、部屋を整え、温泉を案内した者たちだった。
誰も端末を見ていない。
その代わり、五人の顔をまっすぐ見ていた。
悠斗が頭を下げる。
お世話になりました。
係員たちの腕輪が一斉に光る。
数字が増える。
悠斗はそれを見ても、言葉を止めなかった。
料理、おいしかったです。
部屋も落ち着きました。
雪道で転んだとき、助けてもらったことも覚えています。
美咲も一歩前へ出る。
私も、ありがとうございました。
陽菜は両手を振る。
温泉、すごくよかったです。
蓮が短く頭を下げる。
世話になった。
直人は最後まで黙っていた。
係員の一人が、不安そうに直人を見る。
直人は帽子のつばへ触れた。
記録されるのは嫌です。
それでも、礼は言います。
ありがとうございました。
腕輪が光った。
係員の顔がほころぶ。
直人はその笑顔を見た。
数字のためかもしれない。
本心かもしれない。
どちらも混ざっているかもしれない。
見分けることはできなかった。
それでも、その笑顔を否定することはしなかった。
帰還施設へ向かう車は、温泉街の中央を通った。
通りには多くの住民が並んでいる。
手を振る子どもたち。
料理を分けてくれた店員。
広場で雪像を作った者。
飛行場の操縦員。
五人が窓から手を振るたび、沿道の端末が反応した。
別れの感動。
交流満足。
帰還期待。
数値が空中表示へ次々に加算されていく。
美咲は窓へ手を置いた。
私たちが帰るだけで、町中の信用が増えてる。
トウラの代わりに同乗した管理局の者が答える。
地球招待事業は、四季星全体にとって重要な善意活動です。
直人が外を見たまま尋ねる。
地下で働く人たちにも分配されますか。
車内の空気が変わる。
管理局の者は正面を向いたまま答えた。
何のことでしょう。
蓮の手が膝の上で握られる。
悠斗はその手へ自分の指先を軽く当てた。
今は動かない。
蓮は数秒後、拳をほどいた。
陽菜が沿道を見る。
住民たちは何も知らずに笑っている。
知っている者もいるかもしれない。
知っていて、制度を変えられない者。
知っていて、利益を受け取る者。
知ろうとしない者。
疑問さえ持たない者。
一つの顔に分けられるほど、四季星の人々は単純ではなかった。
帰還施設は、四つの地域の境に建っていた。
春域から運ばれた花。
夏域の湖水を使った噴水。
秋域の果実を飾った食卓。
冬域の雪を固めた彫刻。
旅で巡ったものが、一つの広場へ集められている。
中央には帰還船が立っていた。
丸みを帯びた船体。
側面には地球と四季星を結ぶ印。
階段の周囲では、式典係が最終確認を続けている。
大きな映像板には、一か月の旅の場面が流れていた。
五人が花畑で寝転ぶ。
湖で水しぶきを上げる。
料理を囲む。
飛行機から雪山を見下ろす。
笑顔。
驚き。
涙。
記録端末で撮られた映像だった。
地下へ入り込んだ夜は映っていない。
五人が善意信用へ疑問を持った場面もない。
すべてが理想的な旅行として並べ直されていた。
陽菜が映像を見上げる。
私たちなのに、私たちじゃないみたい。
美咲は花火を見上げる自分の姿を見た。
ここだけ見たら、完璧な旅行だね。
直人が式場の出入口を数える。
完璧に見せるための帰還式だ。
悠斗は広場の端に立つリセラを見つけた。
淡い紫の髪。
灰色の外套。
胸元に端末はない。
両側には管理局の者が立っている。
リセラも悠斗へ気づいた。
頭を下げる。
案内役として何度も見せた動作。
けれど今日は、顔にいつもの笑みがなかった。
トウラは式場の反対側にいた。
短い黄緑の髪が人の間から見える。
胸元の端末には停止の印。
二人とも、自由に動ける状態ではなかった。
施設管理官セムが五人の前へ来た。
濃い紫の制服は乱れなく整っている。
本日は帰還式です。
一か月の滞在、お疲れさまでした。
皆さんには式典前の健康確認を受けていただきます。
悠斗が尋ねる。
一人ずつですか。
はい。
安全な帰還のため、個別に行います。
直人がセムの腰の端末を見る。
記憶安定処置も。
セムの灰色の瞳が直人へ向く。
旅による疲労を整える処置です。
記憶を消すんですよね。
周囲の係員が動きを止める。
式典の音楽だけが流れ続ける。
セムの表情は変わらない。
誤解があります。
四季星で得た刺激の一部を穏やかにするだけです。
どの部分を。
直人が続ける。
善意信用への疑問。
立入禁止区域。
奴隷族。
管理局の者たちが一斉に五人を囲もうとする。
広場の向こうでリセラが一歩踏み出した。
両側の者に腕をつかまれる。
悠斗は直人の前へ出た。
ここで騒ぎを起こせば、帰還式は止まる。
それは、そちらも困るんじゃないですか。
セムは悠斗を見る。
何を望んでいますか。
記憶処理を受けずに帰ること。
認められません。
では帰還式で話します。
悠斗は広場に並ぶ映像装置へ視線を向けた。
地球へも配信されているんですよね。
俺たちが奴隷族について話したら、どこまで止められますか。
セムの指が腰の端末へ触れる。
映像を切ることはできる。
しかし、五人が突然消えれば、地球側は不審に思う。
四季星側が大切にしている交流事業にも傷がつく。
善意信用も大きく下がる。
悠斗はそこへ賭けていた。
セムが静かに言う。
皆さんが知った情報には、古い記録の誤解が含まれています。
なら、記憶を残したまま帰して、地球側と一緒に確かめましょう。
それはできません。
どうして。
社会の安定を損なうからです。
蓮が一歩前へ出た。
地下の人間を働かせ続ける安定か。
セムの瞳に初めて小さな揺れが出た。
彼らの生活は四季星の保護制度により維持されています。
陽菜が声を上げる。
外へ出られないのに。
仕事を選べないのに。
助け合ったら数字を減らされるのに。
それを保護って言わないよ。
広場の近くにいた住民が、こちらを見始める。
式典係が音楽を大きくした。
映像板には夏域の花火が流れる。
楽しそうに笑う五人。
その真下で、本物の五人が管理局に囲まれていた。
美咲は映像と住民たちを交互に見た。
この人たちに、今ここで言う?
直人は答えようとした。
悠斗が先に首を振った。
まだだ。
陽菜が驚く。
どうして。
式場にいる人たちが真実を知っても、地下の人たちを助ける準備がない。
混乱すれば、管理局は奴隷族を危険な存在として閉じ込める。
証拠も消す。
直人は唇を結んだ。
分かっている。
今すぐ叫びたい気持ちと、今は叫ばない方が守れるもの。
二つが胸の中でぶつかっていた。
セムが五人を見る。
賢明な判断です。
悠斗はセムへ視線を戻す。
勘違いしないでください。
黙ると決めたんじゃない。
地球へ帰って、準備してから話すと決めました。
セムの指が端末を操作する。
帰還できると思っていますか。
リセラの声が広場を切った。
できます。
全員が振り返る。
リセラは腕をつかんでいた者を振りほどき、五人の方へ歩いてきた。
額の器官が細かく震えている。
案内役リセラ。
セムの声が低くなる。
持ち場へ戻りなさい。
私の持ち場は、五人を地球へ帰すことです。
記憶を失わせることではありません。
あなたの案内資格は停止されています。
資格がなくても、道は知っています。
リセラは五人の前へ立った。
記憶処理室は、この廊下の先です。
その手前に信号管理室があります。
処理済みの信号を出せば、帰還船へ乗れます。
セムの周囲で警備員が動く。
トウラが式場の操作台へ駆けた。
短い黄緑の髪が揺れる。
映像板が突然切り替わった。
帰還式開始まで、十分。
大きな数字が表示される。
同時に広場の扉が開き、住民たちが式典席へ入り始めた。
警備員は五人を強引に連れ去れなくなった。
何百もの視線が集まる。
トウラが操作台から叫ぶ。
地球招待客の健康確認に、案内役が同行します。
予定通りです。
式典係が迷う。
セムがトウラを見た。
善意信用を失った者に、式典操作の権限はありません。
トウラは胸元の端末を外した。
床へ置く。
足で遠くへ滑らせる。
なら、信用値ではなく、私の手で動かします。
住民たちがざわめいた。
腕輪を外す行為。
四季星では、自分から社会とのつながりを切るに等しかった。
トウラの手は震えている。
それでも操作台から離れなかった。
悠斗はリセラを見る。
行きましょう。
五人とリセラは施設の廊下へ走った。
背後で警備員の足音が響く。
帰還施設の内部には、四つの地域を表す印が並んでいた。
春。
夏。
秋。
冬。
五人が通過するたび、旅の記録が壁へ映る。
美咲が花畑で眠る姿。
陽菜が湖で笑う姿。
蓮が料理を食べる姿。
直人が飛行機の窓から地形を見る姿。
悠斗が全員を振り返る姿。
感動値が数字として流れていく。
リセラは先頭を走りながら、一つの扉へ手を当てた。
認証が拒否される。
案内資格停止。
表示が出る。
リセラが何度試しても開かない。
蓮が扉の脇を見る。
壊せるか。
ここを壊せば、施設全体が封鎖されます。
別の認証が必要です。
直人は記念章を外した。
裏の記録板を取り出す。
立入禁止区域から持ち出した記録には、古い管理番号が入っていた。
これを使えないか。
リセラが記録板を認証部へ近づける。
表示が変わる。
過去系統管理権限。
扉が開いた。
陽菜が目を見開く。
奴隷族を管理する権限の方が、案内役より強いの。
リセラは苦しそうに眉を寄せた。
四季星の基礎施設は、彼らを管理するために作られました。
善意信用ができるより前から。
五人は扉の向こうへ入った。
信号管理室。
壁には幾つもの帰還記録が並んでいる。
地球へ戻った招待客。
記憶安定処置済み。
旅行満足度。
善意信用への変換値。
過去にも地球人が来ていた。
五人より前に。
人数は少ない。
年代は何十年も離れている。
美咲が記録へ触れる。
みんな、忘れて帰ったんだ。
旅行したことも?
陽菜が尋ねる。
リセラが首を振る。
旅行の楽しい記憶は残されます。
制度への疑問や、管理区域に関する記憶だけが弱められます。
だから地球では、四季星は理想の旅行先として語られてきました。
直人が表示を見つめる。
都合のいい感想だけ残した。
蓮は操作台へ手を置く。
処理済みの信号を出せ。
リセラが装置を動かす。
五人の名前が表示された。
朝倉悠斗。
藤原美咲。
高瀬直人。
結城陽菜。
真田蓮。
未処理。
帰還不可。
リセラは別の項目を開く。
手動確認。
過去系統管理番号を入力。
警告が出る。
不正操作。
善意信用重大違反。
家族資格停止。
居住権停止。
リセラの指が止まる。
陽菜がその横顔を見る。
家族。
リセラは目を閉じた。
額の器官が小さく伏せられる。
美咲がリセラの手へ触れた。
やめてもいいよ。
私たち、自分で方法を探すから。
時間がありません。
でも。
リセラは美咲へ向き直る。
私は、皆さんが地球へ帰ったあとも、この星に残ります。
自分がしたことの結果から逃げられません。
それでも、自分で選んだ結果なら受け止められます。
今まで私は、制度に従っただけだと思いながら、皆さんの感情を集めていました。
地下の人々を見ないようにしていました。
もう、誰かに選ばせたくありません。
リセラは確認欄へ手を置いた。
処理済み。
五人分の表示が変わる。
帰還許可。
同時に、施設全体へ警報が響いた。
不正な帰還認証を確認。
扉封鎖まで三分。
直人が記録板を記念章へ戻す。
走るぞ。
廊下へ出ると、警備員が近づいていた。
蓮が先頭へ出る。
悠斗が肩をつかむ。
戦うな。
でも。
帰還船まで行けば、向こうは止めにくい。
リセラが横の通路を指す。
式場の裏へ出ます。
六人は細い通路へ入った。
途中でセムの声が施設全体へ流れる。
地球招待客へ告げます。
不正な記憶認証が行われました。
その状態で帰還すれば、精神に重大な影響が出る可能性があります。
直人が走りながら言う。
最後まで安全を理由にする。
悠斗は前だけを見た。
住民へ向けた言葉だ。
俺たちが危険な状態だと思わせるつもりだ。
通路の先で扉が開く。
式場の裏側。
帰還船まで、広場を横切らなければならない。
何百人もの住民が座っている。
映像板には、不正認証の警告。
トウラは操作台から離され、警備員に囲まれていた。
五人が現れると、広場全体がざわめいた。
セムが舞台の中央へ立つ。
皆さんは現在、正常な帰還手続きを受けていません。
安全のため、船へ近づかないでください。
悠斗は足を止めなかった。
帰還船の階段へ向かう。
住民の腕輪が次々に反応する。
不安。
警戒。
混乱。
善意信用の数値が大きく揺れる。
係員たちは戸惑い、道を塞ぐべきか迷っていた。
その中から、旅館の料理係が一人前へ出た。
美咲へ何度もパンを運んだ者だった。
道を塞がず、横へ退く。
腕輪が震える。
規則違反。
数字が減る。
次に、広場で雪像を手伝った住民が退く。
飛行場の操縦員も退く。
温泉の係員も。
一人。
また一人。
帰還船へ続く道が開いていく。
陽菜の目に涙が浮かぶ。
みんな。
誰も大きな声を出さない。
ただ、五人を止めないという選択をしていた。
腕輪の数字が減っても。
係員の一人が小さく言う。
地球へ帰る方を、帰してください。
別の者が続ける。
案内した者として、最後まで見送ります。
セムが端末を操作する。
規則違反者の信用値が一斉に下がる。
警告音が広場へ重なる。
それでも道は閉じなかった。
美咲は泣きながら頭を下げる。
ありがとうございます。
腕輪が光る。
感謝を受けた者たちの数字が増えようとする。
直後、管理局の操作で増加が停止される。
陽菜がそれを見る。
今の親切は、数字にならない。
蓮が答える。
それでもやった。
五人は帰還船の階段へ着いた。
リセラも後ろにいる。
悠斗が振り返る。
一緒に来てください。
リセラは首を振った。
私は四季星人です。
地球の時間座標へ入れば、身体が耐えられる保証がありません。
それに、ここでやることがあります。
何を。
美咲が聞く。
地下の人々の記録を、四季星全体へ公開します。
直人が目を細める。
今やれば、管理局に止められる。
トウラと協力します。
式典装置は、四季星各地へつながっています。
数分でも流せれば、見た者は残ります。
セムが警備員へ命じる。
リセラを拘束しなさい。
住民たちが動いた。
警備員の前へ立つ。
押し返さない。
攻撃もしない。
ただ道を狭くする。
善意信用の腕輪が次々に警告音を鳴らす。
その音は、雨のように広場へ降った。
リセラが悠斗を見る。
地球へ帰ったら、すぐに公開しないでください。
地下の人々を守る方法を先に探してください。
悠斗はうなずいた。
約束します。
証拠を消されないように。
直人が記念章へ触れる。
五人で分けた。
一人が失っても残る。
リセラの水色の瞳が細くなる。
初めて見る、安心した笑みだった。
端末はない。
数値も増えない。
その笑顔は、誰の信用にもならなかった。
帰還船の扉が開く。
五人は一人ずつ入った。
悠斗。
美咲。
直人。
陽菜。
蓮。
最後に蓮が振り返る。
リセラ。
また会えるか。
リセラは少し考えた。
会えるようにします。
蓮はうなずき、船内へ入った。
扉が閉まり始める。
陽菜が窓へ駆け寄る。
トウラが操作台へ戻っている。
警備員に腕をつかまれながら、片手で式典映像を切り替えた。
大きな映像板に、地下作業区が映る。
薄い服。
作業台。
腕や足首の輪。
善意信用の分配記録。
奴隷族管理記録。
広場から声が消えた。
四季星の住民たちが、初めて地下を見た。
セムが映像を止めようとする。
リセラが別の操作台へ手を置く。
映像は春域へ送られる。
夏域へ。
秋域へ。
冬域へ。
各地の広場。
家庭。
学校。
職場。
数秒。
さらに数秒。
表示が次々に切られていく。
それでも、一度見たものは消えなかった。
帰還船の窓から、リセラとトウラの姿が小さくなる。
陽菜が窓へ手をついた。
行かないで。
届かない声が漏れる。
美咲が隣へ立ち、陽菜の肩を抱いた。
悠斗は座席へ身体を固定する。
直人は記念章を握る。
蓮は目を閉じた。
帰還船が地面から離れた。
四季星が下へ遠ざかる。
春域の花畑。
夏域の湖。
秋域の森と農地。
冬域の雪山。
四つの季節が同時に見える。
一か月を過ごした星。
歓迎された星。
記録された星。
隠された歴史を抱える星。
陽菜は窓の外を見たまま言う。
嫌いになれない。
美咲がうなずく。
私も。
楽しいこと、たくさんあったから。
蓮が目を開ける。
好きな場所に悪い部分があったら、嫌いになるしかないのか。
直人が記念章を胸元へ戻す。
好きだから、直せと言えることもある。
悠斗は四人を見る。
地球へ戻ったら、それぞれ決めた通りに動こう。
直人が指を折る。
証拠を複製する。
地球側で時間移動や四季星技術を調べられる人を探す。
美咲が続ける。
地下の人たちの顔や名前は、本人の安全を確かめるまで出さない。
陽菜は耳当てを外し、膝へ置く。
助けたあとに暮らせる場所を考える。
四季星で暮らしたい人もいるかもしれない。
地球へ行きたい人も。
違う場所を選びたい人も。
蓮が大きな手を握る。
管理局だけを倒して終わりにはしない。
食料や温泉や観光が、地下の労働なしでも続く方法を探す。
悠斗は最後に言った。
俺は、四季星側で変えようとしている人と連絡を取る方法を探す。
リセラとトウラだけに背負わせない。
五人の答えは少しずつ違った。
すぐに公開する者。
慎重に準備する者。
暮らしを守ろうとする者。
制度を変えようとする者。
つながりを残そうとする者。
けれど、共通する答えが一つあった。
忘れない。
帰ったあとも、旅行を終わったことにはしない。
船内に柔らかな音が流れた。
帰還まで、まもなくです。
記憶確認を開始します。
五人の前に映像が現れる。
春域の花。
美咲の心拍が変わる。
夏域の花火。
陽菜の目が潤む。
秋域の食卓。
蓮の口元が緩む。
冬域の飛行。
直人が窓の外を見る。
最後に、四季星全体の景色が映る。
悠斗の胸に、安心と寂しさが同時に広がった。
装置が反応する。
旅行記憶。
保持。
警戒記憶。
保持。
制度疑念。
保持。
地下作業区記憶。
保持。
信号照合。
処理済み。
帰還許可。
リセラが作った偽の信号は、最後まで五人を守った。
陽菜が息を吐く。
覚えてる。
美咲が自分の頬へ触れる。
全部。
直人は記念章を開き、記録板が残っていることを確かめる。
蓮が悠斗の肩を軽く叩く。
帰るぞ。
悠斗はうなずいた。
窓の外に地球が見え始めた。
見慣れた雲。
海。
陸地。
出発した日と、ほとんど変わらない景色。
地球側では、一か月ではなく、わずかな時間しか過ぎていないかもしれない。
家族。
仕事。
いつもの道。
いつもの店。
五人は、それぞれの日常へ戻る。
けれど、出発前と同じ五人ではなかった。
美咲は旅の写真を抱える。
陽菜は香り袋を握る。
蓮は傷の残る手を見る。
直人は五枚の記録板の所在を頭の中で確かめる。
悠斗は窓の向こうの地球を見つめる。
帰還船がゆっくり高度を下げていく。
着陸地点には、地球側の係員が集まっていた。
歓迎の幕。
取材用の機器。
旅行成功を祝う人々。
四季星から戻った五人が、どれほど楽しい旅をしたのか。
誰もが、その言葉を待っている。
帰還船が地面へ着いた。
軽い振動。
扉の向こうから拍手が聞こえる。
陽菜が立ち上がる。
最初に何て言う?
直人が答える。
楽しかった。
美咲が驚いて直人を見る。
それでいいの?
本当だからな。
直人は帽子をかぶり直す。
そのあとに、話すべきことがあると言う。
蓮も立ち上がった。
嘘の感想だけ残す気はない。
悠斗は扉の前へ立つ。
最初から全部は話さない。
でも、理想的な旅行でしたとは言わない。
美咲が黄色のマフラーを整える。
楽しい旅行でした。
そして、終わっていません。
陽菜がうなずく。
それがいい。
扉が開く。
地球の風が入ってきた。
五人は並んで外へ出た。
拍手。
歓声。
撮影機器。
質問する声。
一か月前には知らなかった者同士が、今は同じ歩幅で階段を下りていく。
悠斗が地面へ降りる。
続いて美咲。
直人。
陽菜。
蓮。
係員が五人へ尋ねる。
四季星の旅はいかがでしたか。
悠斗は四人を見る。
四人とも、目をそらさなかった。
悠斗は前へ向き直る。
楽しい旅でした。
拍手が大きくなる。
悠斗は続けた。
ですが、皆さんへ伝えなければならないことがあります。
拍手が少しずつ止まった。
美咲は胸元の記念章へ手を置く。
直人も。
陽菜も。
蓮も。
五人の中には、同じ真実が残っている。
四季星ではその瞬間、帰還成功の表示が点灯していた。
安心反応。
感動反応。
別れの悲しみ。
地球への帰属反応。
数値が次々に保存されていく。
だが、その下に新しい表示が現れた。
管理不能反応。
記録の外へ持ち出された意思。
測定不能。
四季星の装置は、初めて五人の答えを数値にできなかった。
コメント
1件
第10話、読み終わりました……。 帰還式に向かう緊張感と、トウラやリセラの選択がもうね……胸がいっぱいです。 “楽しかったことも全部本当”っていう陽菜ちゃんの言葉が、すごく沁みました。 そして、住民たちが一人ずつ道を開けていく場面、泣きそうになりました。 “好きだから直せる”っていう直人くんの考え方、好きです。 最後、数値にできない反応が出たところで、本当にこの物語は終わってないんだなって思えました。 完結じゃなくて、始まりなんですね。素敵なエピソードをありがとうございます🕊️