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第12話 『団子とひとひらの記憶』
夕暮れどき、赤く染まった空の下。
「猫又亭」の戸口が、ひとりでにガラリと開いた。
そこに立っていたのは、まだ五つ六つほどの小さな子供……の姿をした存在だった。
着物の裾は泥で汚れ、耳元からはふわりと金色の獣の耳がのぞいている。
――あやかしだ。
マスターは手を止め、そっと視線を向ける。
「迷子かな?」
声をかけても返事はない。ただ、じっとこちらを見つめる琥珀色の瞳。
その子は恐る恐る中へ入ってきて、椅子の脚をぎゅっと握った。
やがてマスターは厨房に戻り、湯気の立つ一皿を用意してカウンターに置く。
「よかったら、食べてごらん」
皿の上には、きな粉がたっぷりまぶされた団子。
香ばしい匂いが、店内にふわりと広がる。
子狐はその匂いに誘われるように、ぺたぺたと近づき、箸を手に取った。
ひとくち、口に含んだ瞬間――
小さな瞳に、ぶわっと涙が溜まった。
頬をつたって、ぽろぽろと零れていく。
「……おかあさんが、よく、これを……」
か細い声が、ようやく聞こえた。
子狐の母はもうこの世にいない。
人と狐の間で生まれた存在だったが、人の里で過ごすうちに命を落としたのだという。
子狐は、その面影を追いかけてここまで来たらしい。
「もう会えないんだね……」
震える声に、マスターは静かに頷いた。
だが、そっと団子を包んだ小さな包みを差し出す。
「それでも、君の中にいるよ。忘れなければ、いつでも一緒だ」
子狐はしばらく黙っていたが、やがて包みを抱きしめ、涙を拭った。
「……ありがとう」
小さな笑みが、ようやく浮かぶ。
その瞬間、風鈴がちりんと鳴り、夕暮れの光が差し込んだ。
子狐の姿はふっと霞のように消えていき、そこには団子の香りだけが残っていた。