コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夕方の光がゆっくりと沈み、教室の壁がオレンジに染まっていく。
蓮司は椅子を後ろへ少し傾け、天井をぼんやり見上げていた。
コン、コン──
控えめなノック。
「入れ」
声だけで答えると、ドアが静かに開く。
振り返ると、細身の男子が一歩ずつ慎重に進んできた。
手の指先を、ぎゅっと握りしめながら。
「相談、してもいい……?」
「勝手にすれば」
蓮司は肩をすくめて、空いた椅子を顎で示す。
少年は座るなり、視線を机に落とした。
「……俺さ。存在してるのが、苦しいんだ」
蓮司は眉ひとつ動かさない。
せかさず、急かさず。
空気が落ち着くのを待つように。
言葉を探していた少年が、吐き出すように続ける。
「誰かに“認められてる”って思えないと……不安になる。
俺がここにいる意味、無くなる気がしてさ。
みんなに必要とされてるわけじゃないし、
役に立てないなら……消えたほうがマシって」
蓮司は机の端に手を置き、指先でとん、とんとリズムを刻む。
「消えるって、楽そうだと思うわけ?」
少年の肩が、小さく揺れた。
「……楽かどうかは、わかんない。でも、
このまま『何者でもない』まま生きていくほうが……怖い」
声が震える。
唇が噛みしめられる。
「何かを持ってないと、この場所にいちゃダメな気がするんだ。
特別でもない、努力も続かない、褒められることもない。
そんな自分を許せなくて……
『お前はここにいていい』って言ってほしくて、
でも誰も言ってくれなくて……」
蓮司は視線を少し外に向けた。
校庭の照明が灯り、夜の始まりを告げている。
「誰が最初にそんなルール作ったんだろうな」
少年は顔を上げる。
蓮司の言葉の意味を測りかねているように。
蓮司は続けた。
「存在証明ってのは、誰かに認められないと成立しねぇものなのか?」
少年は言い淀む。
「……だって、ひとりじゃ……」
「ひとりじゃ“生きてる実感”が湧かねぇ。
そこまでは分かる」
蓮司は軽く息を吐いた。
「でもな。
認められるために無理して、すり減って、
それでも手に入らなかったら、どうすんだ」
少年は答えられない。
「……俺、何もないんだよ」
その一言は、投げ出すようで、助けを求めるようでもあった。
蓮司は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「“何か”があるから存在できるわけじゃない。
存在してるから、“何か”が積み上がるんだろ」
少年の喉がかすかに揺れた。
反論も、否定もできずに。
蓮司は少し笑う。
「ほら。息、してんじゃん」
少年は目を見開く。
「お前が今ここに来て、俺と言葉を交わしてる。
それだけで、お前は“いる”んだよ」
「でも俺は……誰の役にも……」
「役目がねぇと存在できないのかよ。
それ、ただの“条件付きの命”じゃん」
静かな声だが、突き刺さる。
「何者でもなくていい。
少なくとも、今はな」
少年は、机の縁を強くつかむ。
蓮司は背もたれに身体を預け、ゆっくりと視線を向けた。
「焦んな。
証明なんて、後から勝手についてくる」
沈黙。
でも、痛みだけじゃない沈黙だった。
「今日は、ちゃんとここに来たろ。
それだけで十分だ」
蓮司は立ち上がり、窓を開けた。
夜風が静かに入り込み、教室の空気が少し軽くなる。
「存在を証明しなくていい場所、ここにひとつ増えたってだけの話」
少年の胸が、わずかに上下する。
さっきより、息が通っている。
蓮司は片手をひらりと振って、
「帰れ。暗くなる前にな」
少年は小さくうなずき、立ち上がる。
出口に向かいながら、ふと振り返った。
「……また来ても、いい?」
蓮司は視線を外したまま答えた。
「勝手にしろ」
夕陽は消え、夜が降りる。
でも少年の足取りは、さっきよりほんの少しだけ、軽かった。
それだけで、十分だった。