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放課後の教室は、夕陽に焼けていた。
窓の外では部活の声が遠く響いているのに、この教室だけはどこか時間が止まっていた。
遥は、自分の席に座ったまま、窓の向こうを見ていた。
昼間の出来事が、ずっと頭の奥にこびりついて離れない。
何かを失ったような感覚。けれど、何を失ったのか分からなかった。
ドアが静かに開く。
振り向かなくても、誰なのか分かる。
蓮司の足音だった。
「……まだいたのか」
低い声。
遥は返事をしない。
その沈黙を、蓮司は一歩ずつ踏みしめながら近づいてくる。
「なあ、もう落ち着いたろ」
その言い方は優しい。けれど、その“優しさ”がいちばん怖かった。
遥はゆっくり立ち上がる。
「何の話だよ」
「お前のことだよ。……あの夜の続き、まだ終わってねぇだろ」
その言葉に、空気が一瞬で張り詰める。
窓の光が蓮司の頬を切り取る。笑っているのに、目だけは笑っていなかった。
「もう、やめたんじゃなかったのか」
遥が言う。
蓮司は首をかしげる。
「“やめる”って誰が言った? 止めてただけだよ。……日下部がいる間はな」
遥の拳が小さく震えた。
言葉を飲み込み、視線を落とす。
蓮司はそんな様子を見て、ほんの少し口元をゆるめた。
「お前、変わってねぇな。まだ我慢してんのか」
「……我慢しかできねぇんだよ」
「だろ? だから、お前は壊れねぇ」
その“壊れねぇ”という言葉に、遥の喉がひくつく。
蓮司は机を軽く叩き、手のひらでその音を楽しむように笑った。
「安心しろよ。殴るとか、そういうのじゃねぇ。今はただ、戻すだけだ」
「戻す……?」
「そう。俺たちの場所に」
遥の目に、ほんのわずかな恐れが浮かぶ。
蓮司はその表情を逃さず、ゆっくりと顔を近づける。
声を落とし、囁くように言った。
「お前が静かにしてるだけで、みんな動く。……それが分かってるから、俺はお前を見てる」
その言葉の意味を、遥は知っていた。
蓮司が動けば、他の連中も動く。
止まっていた地獄が、また息を吹き返す。
遥は口を開こうとしたが、声が出ない。
蓮司は笑いもせず、ただ静かに背を向けた。
「明日、ちゃんと来いよ。お前がいないと始まらねぇ」
そのままドアを開け、夕陽の中へ消えていく。
残された教室に、足音だけが薄く響いていた。
――また始まる。
遥はそう思った。
止まっていた時間が、少しずつ歪みながら動き出していく。
窓の外の赤い光が、まるで血のように机を染めていた。