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放課後の教室から、部活の声が遠く聞こえる。相談室はいつも通り、静かすぎた。
机の上には、紙コップの麦茶と、使いかけのペン。
日下部はそれを指で転がしながら、目の前の生徒を見ていた。
「“普通になりたい”って、どういう意味?」
問いかける声は淡々としていた。
彼女──一年の女子は、少し俯いたまま答えた。
「……みんなみたいに、ちゃんとできるようになりたいんです。
笑ったり、話したり、友達と上手くやったり。
なんか、私だけ変なんですよ。どこにいても浮いてる気がして」
日下部は少しだけ眉を寄せた。
「変って言葉、便利だよな」
「……え?」
「“自分を変”って言っとけば、誰も本音を見ようとしない。
でもさ、本当は“浮かされてる”だけじゃないの?」
少女の手が、膝の上で小さく震えた。
「浮かされてる……?」
「周りが勝手に決めた“普通”って枠に、
無理やり合わせようとしてるだけ。
最初から、そこに君の形はなかったんだよ」
言葉が、静かに空気を揺らした。
日下部の声はぶっきらぼうだったけど、
その奥に、ちゃんとあたたかさがあった。
まるで、遠回しに“無理するな”と伝えているみたいに。
「“普通”を目指すってさ、
“自分を諦める”ってことだと思う。
……それでも、なりたい?」
少女は、息を呑んだ。
返事が出ないまま、指先をぎゅっと握る。
「……わかんない。
でも、疲れました。頑張っても“違う”って言われるの」
日下部はペンを止め、短く息を吐いた。
「じゃあさ、もう頑張んなくていいんじゃね」
「……え?」
「“普通”に見せる努力より、
“本当の自分”がどうでもよくならないうちに、
ちゃんと休め。
それ、壊れる前のサインだから」
窓の外では、部活の笛の音が遠ざかっていった。
少女は何も言わず、小さく頷いた。
その瞬間だけ、日下部は目を逸らさずに彼女を見ていた。
静かなその瞳の奥に、
確かに“痛みを知っている人間の光”があった。