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──僕は、ただ死にたいだけなのに。
僕は小さな農村に生まれた。なんの変哲もない農家だ。
幼馴染も何人もいて、将来はみんなしてこの村で親の跡を継いで、子どもをもうけてこの村で死ぬのだろう。
冒険に憧れた子ども時代もあった。けど、ここではささやかながらも幸せな日々が確かにあって、そういう不確かなものに飛びつく事もない。
村には行商人もよく訪れる。もちろん、この村からもよそに行商に出たりする。村の中で野菜や穀物はまかなえても、食肉はどうしても不足しがちだ。
だからやってくるのは肉や魚、衣料品などの行商が主だった。
僕は大人になり、幼馴染の彼女を作りやがて結婚。子どもは2人。笑顔の絶えない家庭で、いい父親をやれていたと自負している。
やがて子どもたちも大人になり、初孫が産まれた頃にそれは起こった。
いつも行商にくる人たちとは別の行商人が村に来たのだ。
その人たちは普段は他所で商いをしているが、新しい販路の開拓に来たと、この辺では見慣れない肉を持って訪れた。
それは海に生息する獣で、匂いこそ独特だがなかなかに美味だと言う。そして鮮度が命ということで今晩のうちには食べて欲しい、と。とはいえ、はじめてのそれに飛びつく勇気もなかなかなく、誰もが手を出せずにいると、試食と称して肉を焼き始めた。
ひとり一欠片程度の試食でそれが確かに美味しいものだと皆が知ることになり、ひとり、またひとりと買っていき最後には全世帯にまで広まった。僕もこの日は2人の子どもとその家族も交えて食事をして我が家に泊まらせた。
そしてそれが僕の中にある村での平和な記憶の最後だった。
行商人は販売のたびに購入者の世帯人数を確認していた。最終的にその数が162人で村人と旅行者含め村内における人数と一致したところで、今後の販売計画に役立つのだと説明して納得して帰っていった。
その日の深夜。この農村においてそんな時間に起きているものはいない。せいぜいトイレに行くくらいだろう。そう、僕はトイレに行きたくて目が覚めたのだ。
そして人の声をきいた。
ひとつ、ふたつ……と数える声。そして響き渡る悲鳴。
まだそれでも村は起きない。寝静まっていたのだ、みんな夢か現実か区別などつかない。僕もそうだ。夢の中のようなそんな気がしていた。悲鳴が次から次へと聞こえてくるのに。
すでに排尿は終わっているが、身体が動かない。
外の声が気になって、動けない。
数える声。悲鳴に怒声。けれども不思議なのは声だけなのだ。それが徐々にはっきりと聞こえてくる。
何かが壊れたり暴れたりと言った物音は極めて少ない。
そしてその声は僕の家にまで来た。
すでに数えた数は70を超えている。
僕は動けない。
数がひとつ増えた。うめき声がひとつ。聞き覚えのある声だ。
また数が増えた。声は聞こえなかった。けどすすり泣く声がする。僕の愛おしい人の声だ。
数はまだいくつか増えた。
僕は動けない。
そして数がもうひとつ増えた。愛おしい声が止んだ。
足音が聞こえる。ギッギッギッ……と。それは僕の背中側、扉を挟んだすぐのところで止まった。
ギイィィィ……と。僕は動けない。
喉から鉄が生えた。月明かりに光る鋭利な鉄。それは次第に下がっていき、その圧力に僕は崩れ落ちる。胸のところまできて何かが抉られる音がしたとき、数がひとつ増えたのを聞いた。