❖第1話:花渦町(はなうずちょう)
↓
◉古雫屋
「え……なんで、これがここに……?」
降り立った瞬間、あまりに静かで耳が詰まったような感覚に陥った。
さっきまで満員だったはずの車内にはもう誰もいない。ホームにも、駅員の姿はなかった。
——花渦町。
看板の文字はくすんだ金色で、風に揺れて軋んでいた。
ホームを出るとすぐ、市場の入口に差し掛かる。
古びたアーケードにぶら下がっているのは、しおれたガーベラ、カサカサに乾いたカスミソウ、折れた百合。
店先のバケツにも、花瓶にも、生気のない花ばかりが並んでいた。
その市場の中を、ひとりの少女が歩いていた。
肩までの黒髪を、少しだけ緑がかったヘアピンで留めた、16歳くらいの女子高生。
制服のスカートは折り目が乱れ、白いカーディガンは袖が伸びきっていた。
右手にはスマホ、左手には何も持っていない。
名前は茅島ひより(かやしま・ひより)。
彼女は歩きながら、ある違和感に気づいていた。
枯れた花しか並ばないはずの市場に、ひとつだけ、色鮮やかな花束が混ざっている。
淡い桃色のカーネーションと、青みがかったラナンキュラスの束。
「……あたしが、小4のときに作ったやつだ……」
それは、亡くなった姉の誕生日に贈った、手作りのブーケだった。
自分でリボンを選び、花屋で1本ずつ選び、最後にメッセージカードを結びつけた。
けれど、渡せなかった。
事故で姉が亡くなったのは、その前日だった。
「どうして、これがここにあるの……?」
誰もいない市場に声が吸い込まれていく。
そのとき、奥から鈴のような音が、カラン、と鳴った。
振り返ると、小さな花屋の軒先に、ひとりの男の子が立っていた。
彼は背が低く、小学生くらいに見える。
色褪せた半袖シャツ、花の模様がついた泥だらけのズボン。
手には、なぜか**“水の入っていないジョウロ”**を持っていた。
「お姉ちゃんに、渡したらいいよ」
「え?」
「この市場にある花は、**“置いていった花”**なんだ。
渡せなかった花、忘れられた花、投げ捨てられた花……。
でも、ちゃんと渡すと、ここから消える」
「それ、どういう意味……?」
「やってみたら?」
彼の言葉に促され、ひよりはおそるおそるその花束を手に取った。
枯れかけた他の花と違い、それは柔らかく、ほんのりと香りを放っていた。
その瞬間——
市場の照明が全て、バチッと同時に消えた。
気づくと、ひよりは自分の部屋に立っていた。
窓の外は朝。スマホには6月17日、午前7:04と表示されている。
手には、あの花束はなかった。
けれど机の上には、姉が使っていた小さなメモ帳が置かれていて、
その表紙には、こう書かれていた。
「ありがとう、ちゃんと届いたよ」
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