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次の日の昼過ぎくらい。
後輩に電話し、アルバイトを引き受ける事を伝えた。いつから出られるかと訊かれたので、『今日の晩からでも大丈夫』だと言った。あの後ちゃんと詳しく話し合ったんだ、問題無い。
昨日作り過ぎたご飯もたっぷり余っているので、晩御飯を新しく作る必要もないだろう。十七時開店の店だが、制服のサイズ合わせやメニューの説明もしたいから早く来て欲しいと言われた。急いで準備しないと。そんなに遠くはないが、少し買い物もしたいし。
薄くメイクをし、邪魔にならないよう髪を結い上げる。駅前まで出るのならちょっと大人っぽい服を着ていかないとな、帰りに補導されてはたまらないから。
そう思った私は、最近は使っていなかった唯一持っているブランド物の鞄をクローゼットの奥から引っ張り出し、荷物を詰めてマンションを出た。
駅前まで出て、早速紅茶の缶を専門店で購入する。司さんに似合う服はないかと色々吟味もし、この間クタクタになっていた背広とネクタイを思い出した私は、ネクタイだけ新しいのを買った。背広はサイズをみて買わないとダメだからだ。
いいデザインのがあったから、休みの日にでもまた誘って来てみよう。あ、でも背広は作業着みたいなもんなのかなぁ?刑事さんって。それなら安いやつを大量に?うーん…… どうしたものか。
——色々考えながら見ていたらちょっと疲れてきて、少しだけ休憩をしようとカフェに入る。そこでドリンクを飲みながら再び色々と考えているうちに、もう移動した方がいい時間になっていた事に気が付いた私は、慌てて店を出た。
小走りになりながら、なんとか言われた時間ギリギリに到着した。息を切らして店内に入ると、店長さんに「お前はいつもそうな」と大笑いされてしまった。アルバイトの話をしてきた後輩はもうすでに到着していたみたいだ。
「すみませんでした、急に頼んじゃって…… 」
私がギリギリの到着を詫びる前に、向こうから今回の件を平謝りされてしまった。
「いいよ、生活に慣れてきて時間も取れるようになってきてたし。それよりかは、私が仕事の手順覚えてるかの方が心配だよ…… 」
「大丈夫!唯先輩、接客中って人が変わったみたいにすんげえから!」
「どう、すんげぇのか具体的に言われないと解らないよ?」
後輩君の語彙力がちっとも育っていなかったのに、その事が何故だかちょっと嬉しくなってしまったのはきっと、昔に戻った気分になれたからだろう。
一番小さな制服を受け取り、急いで着替える。それでも少し大きいのが非常に残念だ。
(まぁTシャツだからいいか)
下に履く揃いの黒いズボンはさすがにちょっと折って長さを誤魔化す。どうせこうなるだろうと思っていたので、持ってきた安全ピンで落ちないように裾を留めた。
ホールに出て、後輩から新しいメニューと今日のオススメなどを教わる。極端な変更や追加が無かったおかげで、すぐに何とかなりそうだ。
「…… 覚えれました?」
不安そうな声の後輩。
「大丈夫だよ、こういうのはちゃんと出来るの」
「そうでしたよね、唯先輩はしっかりしてて尊敬してますよ。…… 天然だけど」
「て、天然じゃないよ⁈」
そう叫ぶも、ニコッと笑って誤魔化され、その笑顔に悔しながらちょっと照れてしまう。
(うぐぐ…… こやつも相変わらずカッコイイこと…… )
まぁ、我が夫である司さんには負けるけどね、なんて心の中で勝ち誇ってみた。
開店してすぐに団体の予約客が来てちょっと慌てたりはしたものの、なんとか昔の感じを取り戻してきた。待たせてしまったり、ミスしたりする事なく次々に仕事をこなす。
酔ったお客さんに無意味な内容で声を掛けられたり、『中学生がいいのか?こんな時間に働いて』と注意されたりもしたが、まぁソレは笑って流した。前にバイトしていた時も毎日そうだったし。
その時一緒だったバイト仲間はもうほどんど社会人になったりで辞めていて知らないメンバーが大半だけど、いい人ばかりでやりやすかった。気心の知れた後輩も一緒だし、短期で終わるのがちょっと残念かもしれない。
時間はもう二十二時になり、店長さんが「唯ちゃんはもうあがっていいよ」と声を掛けてきた。
「え?まだお客さん結構居ますよ?」
「いやいや、もう旦那さんに悪いしね。これからの時間は飲む人はいても、あまり食事の注文は多くないから平気だよ」
「あーそういえばそうでしたっけ」
それでもちょっと悩んだが、あまり遅くなっては心配をかけるかもしれない。素直にお言葉に甘え、今日は帰る事にした。
「明日も開店時から頼むわ」
「わかりました!——では、お先に失礼します」
私服に着替えた私は買い物をした時の袋を持って店を出ると、一直線にバス停へ急いだ。この時間の飲み屋周辺はナンパする人や酔っ払いも多い。声を掛けられては迷惑なので、走るように通り抜けてしまうのが一番だ。
——突然、絹を切ったような悲鳴が横から聞こえ、ビックリした。慌てて声のした方を見ると、女の子がビルの階段からドドドッと滑り落ちている。そして周囲に響く、ドスンッ!という大きな音。
「いたああああい!」
悲鳴を聞き、周囲が騒つく。でも、すぐに皆通り過ぎて行き、誰も彼女を助る気配は無い。
足を押さえたまま動かない彼女が心配になり、私は駆け寄って「大丈夫?」と声を掛けてみた。
「いたい!超ーいたい!!」
涙目で、落ちた女性が首をブンブンと横に振る。
「ちょっと見せてね」
断りを入れて彼女の手をよけると、脚が赤く腫れていた。これは折れてるか、よくてもヒビが入っているかもしれない。
「自分で動かせる?折れてないかみたいんだけど」
そう言うと、彼女は痛がりながらも動かして見せてくれた。
「よかった…… 多分だけど、折れてはいないね。家どこ?病院の方がいいかな、タクシー拾おうか?」
「…… うううっ」
痛がるばかりで返事が無い。困ったなぁ。
「…… み、店の方が近いから、店まで戻りたいんだけど。戻ればまだ友達残ってるはずだし、あとはそっちに助けてもらう。だからゴメン、店まで肩貸してもらってもいい?」
泣き顔でお願いされては断れない。痛がっていただけのままよりも、こうやって要求してくれただけ良しとしよう。
「いいよ、案内して?」
彼女の腕を私の肩に回し、なんとか立たせる。痛がるせいで歩くのはかなり遅かったが、何とか目的地までは行けそうだ。
「——ここなの、ここの二階」
そう言って彼女が立ち止まった場所の看板を見上げて驚いた。裸に近い女の子達の写真がいっぱいだったからだ。周囲を見ても、全て似たようなものばかりである。こんな場所が駅付近にあった事も知らなかった私は、どうしていいのかわからず身体が固まった。
「ちょ、早く入ろう?痛いから早く座りたいっ」
不機嫌な声でせっつかれてしまった。仕方なく、しぶしぶかなり怪しい店へ彼女と入る。友達が居ると言っていたが、本当に『友達』なんだろうか?
店内に入ると、すぐに受付嬢らしきお姉さんが心配そうに飛んで来てくれたので、速攻で彼女を引き渡す。状況を説明して、『多分だけど骨は折れてはいない』と伝える。でも腫れ方が結構酷いからヒビくらいは入ってるかもしれないので、病院へ早く連れて行く様に念を押した。
店長さんみたいな男の人にお礼を言われ、『お茶でも飲んでゆっくりしてき』と言われたが、キッパリハッキリ断った。怪し過ぎる店にこれ以上長居などしたくないし!
名刺を渡され『お金に困ったらいつでもバイト受け付けてますよ』なんて笑いながら言われたが、冗談なのか本気なのか。
店のドアを開け、キョロキョロと周りを見渡す。出来ればこんな店から出る所など誰にも見られたくない。そう思い、私は人通りが少ないタイミングを見計らって、逃げ去るようにその通りを駆け抜けた。
(早くバス乗って帰らないと!)
バス停まで急ぎ、丁度運良く着ていたそれに乗り込む。空いていた席に座ると、あとは家の近くまでゆっくりしようと瞼を閉じた。