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翌朝にはもう、噂は商店街を一周していた。
公民館の管理人が、特定の店にだけ便宜を図っている。相談所の拠点にする話も、個人的な関係があるからだ。そんな調子の、もっともらしい言い回しが、買い物袋の口から口へ移っていく。
サペが雨庭商店街へ入ると、朝の野菜を並べていた店主たちが、言葉を切って目をそらした。
「早いな」
ズジが顔をしかめる。
「昨日の夜に名前が出たばっかりなのに」
「広げる側は、朝が得意なんだろ」
エリアが言う。
「言い返す前に、空気を作れるから」
キオノフの飲み物屋へ着くと、いつもなら先に笑う本人が、表ののれんを結んだまま立っていた。店の前には、まだ開店前なのに人影がある。常連ではない。顔だけ見に来たような足の止め方だった。
「いらっしゃいませ、とは言いにくい朝だねえ」
キオノフは苦笑した。
その時、公民館の方角からルドヴィナが来た。背筋を伸ばし、いつも通りの歩幅で歩いてくる。けれど近くまで来た時、サペは彼女の手が少し白くなるほど鞄を握っているのに気づいた。
「キオノフさん」
彼女はまず店の前で頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしています」
「迷惑じゃない」
キオノフが即座に返す。
「勝手に迷惑の形にされただけだ」
周囲の耳がこちらへ寄る。
ルドヴィナはそれでも落ち着いて言った。
「ですが、公民館の空き部屋の件は、いったん見直します」
「は?」
エリアが声を上げる。
「まだ正式な使用許可前です。ですから、ここで止めれば……」
「止めれば、噂の方が正しかったみたいになる」
ズジが低く言う。
ルドヴィナは一瞬だけ言葉を失った。
そこへ、通りがかった女がわざと聞こえる声で言った。
「やっぱりねえ。そういうこと、あると思った」
ピットマンが振り返りかけたが、リボルが肩を押さえて止めた。
「ここで怒鳴ると向こうの思うつぼだ」
キオノフは噂の方向へ目も向けず、ルドヴィナだけを見た。
「夜、話そう」
穏やかな声だった。けれど、甘さはなかった。
ルドヴィナは小さくうなずき、公民館へ戻っていく。その背中を見送りながら、サペは胸の奥がざらつくのを感じた。
黒い名刺は、物を壊すより先に、ためらいを作る。
逃げ道みたいな顔をした、いちばん悪い道を。