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夕方の光がほとんど消えかけ、相談室は、机の輪郭だけが淡く浮かび上がる程度の薄暗さになっていた。
その中央、黒板の前の席に遥が座っていた。教室全体の静けさより、彼の静けさの方が濃い。
何かを待つでもなく、途中で書きかけたプリントを指先で押さえながら、ただ時間の流れを受け流しているような姿だった。
戸が控えめにノックされると、遥はゆっくり顔を上げた。
“来たな”と、声より先に目がそう言った。
「……入れよ」
その一言が、相談者の背中を押した。
相談者──“俺”は、気まずさを抱えたまま中に入り、斜め向かいの席に腰を下ろす。
遥は、余計な笑顔も愛想も見せない。
ただ、逃げ道を塞ぎもせず、けれど“誤魔化しは許さない”という空気だけが漂っている。
「どうした?」
促された瞬間、喉が固まる。
それでも、今日はどうしても話さなければならなかった。
「……誰かに……助けを求めるのが、怖いんだ。
迷惑って、思われそうで。
声、出なくなる」
言い切った途端、胸の奥でひどい恥ずかしさが暴れた。
こんなこと、言う必要あったのか。
弱さを見せたところで、軽く流されるだけじゃないのか。
遥は、すぐには言葉を返さなかった。
机に置かれた指先が、ほんのわずかに動くだけ。
沈黙が落ちるが、それは“突き放す”沈黙ではない。
聞き取り、飲み込み、判断するための静けさだった。
やがて遥は、視線をこちらへ固定したまま、低く言った。
「……迷惑って思われるのが怖ぇのは、
“本気で誰かに届いてほしい”って思ってる証拠だよ」
胸の内側を掴まれるような言い方だった。
「適当に流されていい相手なら、最初から怖くなんねぇ。
本気で頼りたくなる相手だからこそ、拒まれたら死ぬほど痛ぇんだろ」
言いながら、遥は少しだけ目線を落とした。
「それ……普通だよ」
平然とした声音なのに、どこか温度があった。
俺は俯く。
当たり前だなんて思ったことがなかった。
“弱い”“重い”“めんどくさい”──そう言われる未来しか想像できないから、声が出なくなるのだ。
遥は背中をわずかに伸ばし、言葉を続けた。
「助けを求めるってさ……
自分を差し出すみたいなもんだろ。
そりゃ怖ぇよ。簡単にできるやつのほうが嘘っぽい」
その言葉は、慰めではなく“事実としての肯定”だった。
「でもな。
本当に迷惑なら、相手はお前の声を聞く前に離れていく。
だから……いる時点で、まだ離れねぇ」
遥は少しだけ目を細めた。
「……俺みたいにな」
一拍置いて、遥は机の端を軽く叩いた。
「お前が助けを求めるのが怖ぇなら、まずは……ここで練習しろよ。
俺に言えたら、他のヤツにも言えるようになる」
“言えよ”ではなく、
“言えるようになれ”と差し出してくる。
押しつけではない、逃げ道を残した支え方だった。
「迷惑とか考えなくていい。
俺は聞くって決めてる。
だから……怖ぇって言えるだけで十分だよ」
気づけば、息がゆっくり吸えるようになっていた。
相談室の外へ出る頃、胸の重さが少しだけ薄くなっていた。
助けを求めるという行為が、完全な恥じゃないと知れたから。
遥はただ、静かに窓の外を見ていた。
けれど、その存在は確かにそこにあった。