テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
放課後の相談室。
日下部は机に突っ伏して、シャーペンを回していた。窓の外はまだ明るく、校庭の部活の声が遠くに響いている。
扉が、控えめにノックされた。
「……入っていいですか」
「どうぞ」
入ってきたのは二年生の女子だった。姿勢がきちんとしていて、成績も悪くないと一目でわかるような雰囲気をまとっていた。けれど、その顔は固くこわばっていた。
「進路のこと、相談したくて……」
「ふむ」
日下部は体を起こした。
「親が……医者になれって」
短い言葉に、日下部は目を瞬いた。
「……それはまた、大きな期待だな」
「小さい頃から、ずっとそうで。『頭がいいんだから』『人を助ける仕事が合ってる』って。私も逆らわずに頷いてきました」
女子は俯いたまま、指先を組んだ。
「でも、本当は……美術系の大学に行きたいんです」
「……絵?」
「はい。昔から描くのが好きで。だけど言えなくて。……親に『ふざけるな』って言われそうで」
日下部はしばらく黙って、その言葉を飲み込んだ。
「……なるほどな。つまり、お前の人生は“親の夢”に乗っ取られてるってわけか」
女子はかすかにうなずいた。
「親に逆らったら、期待を裏切ったら……私はもう、いらないんじゃないかって」
その一言に、日下部の目がわずかに鋭くなる。
「いらなくなんてならねぇよ」
言葉が短く響いた。
「でも……」
「親にとっちゃ、お前は“結果”じゃなくて“存在”なんだよ」
「……本当にそう思いますか」
「俺も親と仲良くねぇから、偉そうには言えねぇ。でもな、親の夢を生きるのは、お前の人生の仕事じゃない」
女子は顔を上げる。
「……じゃあ、私はどうしたらいいんですか」
「簡単だ。まず、自分の声を認めろ。『私は絵がやりたい』って。親に言う前に、まず自分に言え」
女子は目を瞬いた。
「……自分に」
「そうだ。自分の本音を否定したまま、親に伝えようとしても、絶対ブレる。『やっぱり親の期待に応えなきゃ』って思って、また飲み込む。そうしたらずっと抜け出せねぇ」
相談室の空気が少し重たくなる。
日下部は腕を組み、低く続けた。
「進路はな、結局“誰の人生か”って話だ。親にありがとうは言えても、『俺の人生は俺のだ』って言わなきゃ、結局後悔する」
女子は唇を噛み、やがて小さく笑った。
「……そんな勇気、持てるかな」
「持てるまで悩めばいい。悩んで悩んで、それでも消えない答えがあるなら、それがお前の本音だ」
時計の針がカチリと音を立てる。
女子は深く息を吸った。
「……ここで話せてよかった。少しだけ、はっきりしました」
「なら、また来い。絵でも見せろよ」
日下部のぶっきらぼうな言葉に、女子の口元がわずかにほころんだ。
ドアを閉めて去っていく背中は、まだ迷いを背負っていた。それでも、ほんの少しだけ軽くなったように見えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!