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翌朝、旅館の大広間。朝食のざわめきの中、遥は食器を前に俯いていた。眠れなかった。何度も布団を被っても、耳の奥には昨夜の笑い声が残っていた。浴衣姿のまま写真を撮られ、触られ、女の子のように立たされたあの時間。夢か現実かわからなくなるほど長く感じた。だが目の前でスマホをいじるクラスメイトたちの笑顔が、それが確かに現実だったと突きつける。
「おい、見ろよ」
一人が小声で囁き、隣にスマホを傾ける。
画面には、浴衣を着せられ笑顔を作らされた遥の姿。昨夜の光景が鮮明に映っていた。
「モデル気取りじゃん」
「これ、スタンプ付けて送ろうぜ」
笑い声が弾ける。遥は箸を持つ手を強く握った。折れてしまいそうなほど力を込めるが、声を上げることはできない。言い返した瞬間、その画像がもっと拡散されるとわかっていたからだ。
「なあ、今日の班行動、案内役は遥で決まりだろ?」
誰かが言う。すぐに同意の声が重なる。
「そうそう、こいつ地図読むの必死だし。おもしれーんだよ」
「間違えても謝ってりゃいいしな」
遥は顔を上げた。反論しようとしたが、喉がつまったように声が出ない。代わりに浮かんだのは、昨夜「笑え」と顎をつかまれた感触。逆らえばまた――その恐怖が全身を縛る。
結局その日、遥は「案内役」として班の先頭に立たされた。
地図を握りしめ、観光地へ向かう道を必死に探す。何度も足を止め、標識と照らし合わせる。そのたびに背後から冷笑が飛んだ。
「おいリーダー、逆じゃね?」
「道間違えたらまたポーズ取らせっか」
遥は何度も謝った。
「ごめん、すぐ直す」
声は震えていたが、足だけは必死に前へ動かした。
逃げられない。止まれば後ろから押される。進んでも間違えれば笑いものになる。どちらにせよ道化。
昼、土産物屋に入ると、また命令が飛ぶ。
「おい、あの髪飾り、似合うかつけてみろよ」
「そうそう、昨日の浴衣写真とセットにしようぜ」
遥は首を振った。
「無理だ、やめろ」
しかし腕を取られ、無理やり髪に差し込まれる。鏡に映る自分の姿は滑稽そのものだった。頬が熱くなる。笑われていると知りながら、引き抜くこともできない。
「写真撮れよ」
シャッター音がまた響く。
その音は、昨夜と同じように遥の胸を突き刺した。
夕方、旅館に戻る頃には、体も心も擦り切れていた。だが地獄は終わらなかった。
布団の上に座らされた遥に、誰かがスマホを突きつける。
「なあ、これ消してほしかったら、言うこときけよ」
画面には、浴衣姿の遥が無理に笑わされている写真。
遥は唇を噛んだ。消してほしいに決まっている。だが「はい」と言えば、どんな命令が待っているか想像できた。それでも――拒めない。
「……わかった」
しぼり出すように答えた瞬間、部屋に笑い声が響いた。
命令はまた続く。立て、座れ、ポーズを取れ。無茶苦茶な指示に、遥は汗をかきながら必死に応じた。拒めばまた昨夜のように押さえつけられる。受け入れても、写真は増えるだけ。どちらを選んでも地獄。
その夜も眠れなかった。
遥の耳には笑い声が焼き付いたまま離れなかった。