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第16話『星屑ソーダと一夜限りの願い』
それは夏の終わりが近づいた夜のことだった。
喫茶猫又亭の窓の外では、遠くで祭囃子の名残がかすかに揺れている。
金魚すくいの水音も、打ち上げ花火の残響も、もう夜風に溶けかけていた。
そんな頃合いに、扉が――
カラン、と少しだけ鈴を鳴らして開いた。
入ってきたのは、浴衣姿の青年だった。
紺地に白い朝顔模様。帯は少し歪み、下駄の鼻緒も擦り切れている。
「いらっしゃい」
カウンターの奥で、マスターがいつものように微笑む。
金色の瞳が、青年の影を静かに映した。
「……まだ、やってますか」
「もちろん。猫又亭は、夜に迷った人のための店だからね」
青年はほっとしたように息をつき、カウンター席に腰を下ろした。
祭り帰りにしては、浮かれた様子がまるでない。
「何か、冷たいものを」
「じゃあ――今夜は特別なものにしようか」
マスターは棚の奥から、細長いグラスを取り出した。
中に注がれたソーダは、夜空の色を閉じ込めたように濃く、
細かな光の粒が、星屑のように静かに弾けている。
「星屑ソーダ。
一夜限り、願いをひとつだけ預かる飲み物だ」
青年は目を見開いた。
「……願い?」
「叶うとは限らない。でも、聞いてはもらえる。
それだけで救われる夜も、あるだろう?」
青年はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
グラスを両手で持ち、そっと口をつける。
シュワリ、と弾ける音が、夜に溶けた。
「……懐かしい味だ」
「そうだろう。
きっと君が、昔どこかで見上げた夜空の味だ」
青年の肩が、少しだけ震えた。
「俺……昔、誰かを助けられなかったんです」
ぽつりと落ちた言葉は、星屑よりも重かった。
「守れると思ってた。
自分が強くなったつもりで……でも、何も出来なかった」
マスターは何も言わず、ただ静かに耳を傾ける。
「それからずっと、
“俺が代わりに消えればよかった”って思ってた」
星屑ソーダの中で、光がひとつ、ゆっくり沈んだ。
「それで、願いは?」
青年はしばらく考え、そして首を振った。
「……誰かを生き返らせたいとか、
過去を変えたいとかじゃない」
少しだけ笑う。
「そんな都合のいい願い、
この店には似合わない気がして」
そして、はっきりと告げた。
「あの時の自分を、許せるようになりたい」
マスターの金色の瞳が、やわらかく細められた。
「いい願いだ」
その瞬間、グラスの中の星屑がふわりと舞い上がり、
小さな流れ星のように、すっと消えた。
ソーダはただの透明な炭酸水に戻っていた。
「……これで?」
青年が戸惑うように言う。
「うん。
願いは“叶う”ものじゃない。
“抱えて帰る”ものだからね」
青年はグラスを空にし、深く息を吐いた。
不思議と、胸の奥の重さが少しだけ軽い。
「ありがとうございました」
立ち上がると、浴衣の裾が、風に揺れた。
「また、迷ったら来るといい」
扉が閉じる間際、青年は振り返り――
今度はちゃんと、笑っていた。
カウンターの上には、小さな星型のラムネ菓子がひとつ残されていた。
マスターはそれを指先で転がし、静かに呟く。
「願いは消えない。
でも、人は少しずつ、前に進める」
今夜も、喫茶猫又亭はまったりと営業中。
星屑を飲み干した誰かが、
ほんの少しだけ、自分にやさしくなって帰っていく。
お知らせ?なのですが
この猫又亭の話を20話で終わりにしようと
思います。
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