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❖第3話:電都三十(でんとみそ)
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◉影洛
「……これ、俺の声じゃん。7年前の」
音声が再生された瞬間、鳥肌が立った。
しゃがれた中学生男子の声が、電子レンジのスピーカーから流れていた。
「おれは、おれのことが、キライです」 「でも、◯◯ちゃんの前では、ちゃんと笑ってたい」
……これを誰かに録音した記憶は、確かにある。
でも、削除したはずだった。
電都三十(でんとみそ)駅。
ホームを出た瞬間、そこは30軒の家電店がぎっしり並んだ電気街だった。
だが、どの店舗も薄暗く、窓に貼られたポスターは日焼けし破れ、
試運転中の家電が不気味な音を立てて動いている。
ネオンは点いているが、どれも名前のない看板。
“ナニカ”を売ってはいるが、目的が不明だ。
歩いていたのは、佐古廉(さこ・れん)、24歳の会社員。
髪は耳上で切り揃え、やや伸びた前髪が黒縁メガネにかかっている。
くたびれたベージュのコートと、黒のトートバッグ。
就職してから、感情という感情を捨てて働いていたような顔をしていた。
この駅に降りたのは偶然だった。
誰もいない車両でウトウトしていたら、勝手にドアが開いたのだ。
降りたときには、時刻もスマホの電源も落ちていた。
1軒目:洗濯機から聞こえるのは、誰かの泣き声。
2軒目:炊飯器には「失敗した告白」の録音データ。
3軒目:冷蔵庫に貼られているのは、“見たことのない自分の小学校時代の写真”。
商品タグにはこう書かれていた。
【型番:RNS-HN202】 所有者の記憶データ_2009.02.14 状態:未整理/未提出
「これ……俺のだよな」
思わず手が伸びた。
そのとき、横からぬっと現れた店員が言った。
「お買い上げですか?」
振り返ると、真っ白な作業服を着た初老の男。
頭にはキャップ、顔の皺の深さが異様にくっきりしている。
目は笑っていない。
「代金は、“いらなくなった記憶”1件分です」
「……どういうことだよ?」
「何かを思い出すには、何かを忘れてもらう必要があるんです。
たとえば——『最後に泣いた理由』、差し出せますか?」
廉は黙っていた。
しばらく考えて、言った。
「いいよ。もう覚えてなくても困らないし」
ピッという音とともに、冷蔵庫が開いた。
中から、音もなく、部屋の空気のような“感情の断片”が飛び出す。
それは彼の目に見えなかったが、明らかに体から何かが抜けた感覚があった。
冷蔵庫の中には、もう一つ、紙切れが残っていた。
そこには手書きの文字で、こう書かれていた。
「ずっと笑っててくれて、ありがとう。 あのときの言葉、ちゃんと届いてたよ。 さようなら、れん」
次の瞬間、廉のスマホが再起動した。
ホーム画面には戻ってきたが、写真フォルダには何も残っていない。
代わりに、冷蔵庫の中で見たはずの知らない自分の写真が、壁紙になっていた。
「……このとき、泣いてたのかな」
そう呟いた彼の目元だけが、なぜか赤くなっていた。