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❖第4話:影洛(えいらく)
↓
◉稲燃原
「ねえ……あれ、“影”だけ歩いてるの、見える?」
月明かりに照らされた石畳。
そこには確かに、人影がいくつも揺れていた。
けれど、どこにもその“本体”は見当たらなかった。
駅名は影洛(えいらく)。
改札を出た瞬間、空気がきしむような違和感があった。
街並みはどう見ても京都に酷似している。
古い瓦屋根の家々、赤ちょうちん、竹垣、朱塗りの橋。
だが、あまりに人がいない。
にもかかわらず、影だけは歩いている。
影は道を曲がり、屋台の前で立ち止まり、手を合わせ、また歩き出す。
その姿は、まるで観光客のようだった。
そこにいたのは、柳葉 渚(やなぎば・なぎさ)、19歳の大学生。
くすんだグレーのロングパーカーに黒いリュック、ワイドジーンズ。
髪は短めの黒髪で、イヤホンを片耳だけ外して歩いている。
彼女は修学旅行以外で京都に来たことがない。
それなのに、この駅に降りたとき**“懐かしい”と感じた自分に驚いていた。**
渚はふと、影たちの行き先を追う。
小さな坂道を上がると、赤い鳥居が並ぶ細道があり、奥に**「映洛神社(えいらくじんじゃ)」**と刻まれた石柱が見えた。
境内に入ると、影たちが列を成していた。
賽銭箱の前で手を合わせている。
が、どう見ても「手の影」しかない。
渚は恐る恐るその列に混ざり、賽銭箱の前まで進んだ。
手元に5円玉があることに気づき、それを投げ入れた。
カラン、と音がした瞬間、石段の下から、誰かの足音が聞こえてきた。
振り返ると、そこには――
“自分の影”がひとりで立っていた。
いや、正確には**「3年前の自分の影」**だった。
制服姿、ポニーテール、少しだけ痩せている。
その影が、何も言わずにこちらへ手を差し出している。
渚はその手を取りかけて、やめた。
「……あたし、もうそっちに戻らない」
その瞬間、空気が割れたように音を立て、影たちが一斉にこちらを振り返った。
顔は無い。だが、全員が“知っている誰か”の影に思えて、動けなかった。
ふいに誰かが彼女の肩を引いた。
振り返ると、駅の階段に立っている車掌のような影が、
右手で時計を指さしている。22:59。
気づけば、渚は南新宿駅のベンチに座っていた。
片耳のイヤホンからは、いつの間にか止めていたはずの曲が流れていた。
リュックの中には何も入っていない。
ただ、ひとつだけ、ポケットに古い写真があった。
それは、3年前の自分が笑って写っている、誰にも見せたことのない写真だった。
裏には、薄くインクでこう書かれていた。
「こっちの景色のほうが、まぶしいよ」