金原の食べる速度に櫻子が追いついたころ、金原は店主を呼んだ。
「食後の珈琲は、必要ない。すまんな」
「はい、かしこまりました」
少し戸惑いつつも、店主は答えた。
「カフェへ出かけるので……」
金原は、この後の予定を店主へ告げたが、ライスカレーを食しながら、櫻子は一人困惑した。
今度は、カフェへ。
もちろん、櫻子は、行ったことがない。また、言わねばならないのかと、恥ずかしくなり、スプーンの動きが止まった。
「あぁ、奥様には、量が多かったですか?」
店主が申し訳なさそうに、頭を下げた。
「うちは、奮発して洋食店で食べてみようと、やってくる学生さん達向けなんですよ」
安い料金で、本格的な味を、お腹いっばい食べてもらおうと思っていたが、値上げしてしまい、客足も遠退いたと店主は嘆いた。
「男の方に合わせた量なのですね……」
正直、食べきれそうにないと、完食に四苦八苦していた櫻子はホッとした。元々、量が多かったのだ。
「残してもいいぞ」
「はい、もちろん。手前が、量の加減をしなかったからで……」
金原も、店主も、無理をするなと勧めてくれる。しかし、どうも、食べ物を残すのは、心苦しく思い櫻子は、でも……と、呟いた。
「ああ、お下げしましょう」
皿があるから、無理して食べるのだろうと店主は、気を利かせ、テーブルを片付け始める。
店主が奥へ行った隙に、金原は、支払いか、紙幣を何枚かテーブルに置いた。
二人分の代金にしては多すぎる額だと櫻子は思う。
「……さあ、行くぞ」
椅子から、立ち上がり金原は言った。
すたすたと、入り口へ向かう金原を、櫻子は慌てて追う。
店主への挨拶は良いのだろうか。なんとなく、逃げるような、急ぎ足の金原の様子が、櫻子は引っ掛かった。
外へ出たとたん、金原は、またかと、顔を歪める。
その視線を追った櫻子は、店のドアに、『只今支度中』と、張り紙がしてあるのを見る。確か、やって来た時には、そんな張り紙は無かったはずだ。
「あいつなりに、気を使ってるんだ。俺が、ゆっくり食べられるようにな。こんなことしなくとも、もう、とっくの昔に慣れているのに……」
少し嬉しそうな顔をして金原は、続けた。
「この風貌だからな。他の客が、ジロジロ見るのさ」
混乱している、櫻子へ、金原は、さらりと答える。
「まあ、仕方ない。人と異なる見かけだ。それでいて、異国の人間とも少し異なる。ああ、あいの子かと、世の中の人間は見下してくれる。だから、落ち着いて食事が出来ないだろうと、店主は、他の客とかちあわないよう、わざわざ、張り紙などするんだ」
「それで、他にお客様が……」
「ああ。まあ、俺も気を使わせないよう、なるべく時間をずらして行くようにはしている。結局、こうなるわけで、俺がいると、他の客が取れん。だから、迷惑料込みの代金を払うんだ」
「……迷惑料?……それは、違うと思います。迷惑なら、お店に入れてもらえません。あの店主さんは、色々考えて……そう、貸し切りにしてくださってる……」
「貸し切り?」
「はい、ですから、旦那様は、お店の貸し切り料金をお支払いしているのですよ」
櫻子の言葉に、金原は、深く考えこんだ。
「……なるほどな。そうゆう考え方も、ある……か」
言うと、金原は、櫻子の手を取った。
「店主が気づいたようだ!走るぞ!」
そのまま、櫻子を引っ張り、金原は駆け出した。店主から逃げるように、二人は路地を走り抜け、表通りを目指した。
背後では、お釣りを!社長!と、叫ぶ店主の声が響いている。
「……もう、いいだろう」
肩で息をしながら、金原は立ち止まる。先には、表通りの賑やかな往来が見えていた。
櫻子も、胸元を押さえて息を整えた。
本気で走る金原に付いて行くのは、大変だった。というよりも、まさか、そこまで、速く走るとは思っていなかった。
そして、金原なりの気配りを見て、櫻子は、更に混乱していた。動悸がなかなか治まらない。走ったからだろうとは、思うのだが、どこか、そうだ、と、言い切れない自分がいることに、櫻子は、戸惑ってもいた。
「すまない、無理をさせたな。しかし、ああでもしなければ、あいつは、金を受け取らない」
金原は朗らかに言うが、はたと、口をつぐんだ。
「……す、すまん……」
小さな声で、詫びながら、櫻子をちらりと見ると、慌てて、握っていた手を離す。
「あっ」
櫻子も、何も言えなかった。手を握られていた事を忘れていた自分が恥ずかしいのか、手を握られていた事がはずかしいのか、わからなくなり、さっと、俯いた。
「……と、とにかく、す、すまん。無理をさせた。人力に乗ると、酔ってしまうかもしれん。疲れるだろうが、風にあたる為に、少し歩く。虎が付いて来ている。歩けなくなったら、すぐに言え」
金原は、おどおどしながら、櫻子へ言った。
「あっ!おかえりなさいませ!」
待っていた虎が、二人を見つけ声を張り上げる。
「虎、食べた後だ、少し歩く」
へぇーい、と、虎は返事をし、空の人力車を引くと、金原と櫻子の後に続いた。
「……欲しいものがあれば、言え」
前を行く金原が言う。
俯いたまま、後ろを歩んでいた櫻子は、何事かと顔を上げた。
何件かの小間物屋が並んでいる通りを歩いていた。
どの店も、色鮮やかな、リボンや、花かんざしや、ささやかではあるが、身につければ心踊る商品を扱っている。
つい、目を奪われた櫻子だったが、その仕草を金原が笑ったような気がして、櫻子は、また俯いた。
と──。
ひときわ賑やかな店がある。
小さな間口の店ではあるが、学校帰りの女学生達が溢れかえっていた。
「社長!今、人気の店ですぜ!」
車道で、車を引いている虎が弾けている。
ふうーんと、気のない素振りを見せる金原だったが、ピタリと立ち止まると、店先を凝視した。
櫻子も、その態度に、何事かと店を臨むが、一瞬にして、息が止まりそうになった。
「あら、まあ!どうゆうことっ!」
店先から、声をかけてくる者がいる。
袴姿の女学校帰りだろう、珠子が、こちらを見ていた。






