放課後の廊下は、どこか湿っていた。
部活の声も笑いも遠く、夕陽だけが窓を染めている。
ひとりの男子生徒が、扉の前で立ち止まった。
中で誰かが鉛筆を転がす音がする。
「……入れ」
低い声。
少年は小さく息を吐き、扉を開けた。
教卓のそばに、蓮司がいた。
机に頬杖をつき、書類の山を無造作に押しのけている。
「で?」
顔を上げずにそう言う。
「……部活でミスして。みんなの前で怒られて……
それから、部室に入るのが怖くなったんです」
「怒られ慣れてねぇのか?」
「慣れたいわけじゃ、ないですけど」
少年の声が、笑いにも泣きにもならずに空気に溶ける。
蓮司はペンを回しながら、何も言わない。
時間が少しだけ流れたあと、ようやく口を開いた。
「“また怒られるかも”って思ってるんだろ」
少年はうつむいたまま、微かに頷く。
「はい……誰かの視線とか、声とか。全部刺さるんです。
失敗した自分が、まだそこに立ってるみたいで」
蓮司は窓の外に視線をやった。
夕陽が沈みかけていて、カーテンが微かに揺れている。
「誰だって、一回“壊れた場所”には戻りたくねぇよ」
低く、かすれた声だった。
「でも、戻らないと、“そこにいた自分”が消えるんだ。
ミスしたお前も、ちゃんとお前の一部だからな」
少年は、はっとして顔を上げた。
「……でも、もうみんなの前に立てる気がしません」
「立てなくていい」
蓮司は即答した。
「座ってもいいし、下向いてもいい。
ただ、“いないふり”だけはやめとけ」
少年は喉の奥が詰まった。
その言葉が、静かに刺さって離れない。
蓮司は立ち上がり、窓の方へ歩いた。
沈む夕日を見ながら、片手でカーテンを少し開く。
「人に見られるのが怖ぇのは、
本当は“自分がまだそこにいる”ってわかってるからだよ。
もうどうでもよくなったら、怖くも感じねぇ」
少年は唇を噛んだ。
その一言が、どこか救いに似ていた。
しばらく沈黙が続いたあと、
蓮司は軽く振り向き、口の端だけで笑った。
「ま、逃げてもいいけどな。
逃げながらでも、戻るタイミングって勝手に来る。
そのときは、ドアの音が少しだけ優しく聞こえるかもしれねぇ」
少年は黙って頷いた。
その頷きの中に、かすかに呼吸が戻っていた。
蓮司はまた机に戻り、何事もなかったようにペンを回した。
その音が、静かな部屋の中に溶けていった。
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