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放課後の相談室は、冬の夕方の冷たい空気に包まれていた。 ガラリ、と引き戸が開く。
「……ここ、入っていい?」
「どうぞ」
顔を出したのは、同じクラスの男子。サッカー部のユニフォーム姿のまま、髪にはまだ練習の汗が光っていた。
「で、何の相談?」
日下部が机に肘をつくと、彼は少し視線を落としたまま答える。
「進路。……っていうか、親のこと」
話によると、彼の両親は医者で、当然のように息子にも医学部進学を望んでいるという。
「小さい頃から“お前は医者になるんだ”って言われてきて。
成績は悪くないし、無理な話じゃないけど……俺、本当はサッカーのコーチになりたくて」
「で、言えないんだな」
「……うん」
日下部は、机の端に置かれたペットボトルをひと口飲む。
「言ったら怒られる?」
「たぶん、怒るっていうか……失望される」
「失望、ね」
少しの沈黙のあと、日下部は椅子をきしませながら背もたれに体を預けた。
「じゃあ、聞くけどさ。親が望むレールに乗って、何十年も走れる自信あんの?」
「……ない」
「なら、降りろよ」
あまりにあっさりと言われ、彼は苦笑する。
「……簡単に言うなよ」
「簡単じゃねぇよ。でも、降りるタイミングは早いほうがいい」
日下部は指で机をトントン叩きながら続けた。
「誰かが引いた道を走るのは楽だよ。勝手にゴールも決まってるし、迷わなくていいからな。でも、それで転んだとき、立ち上がる理由がなくなる」
「……」
「自分で決めた道なら、転んでも“やっぱり俺が選んだ”って思える。腹立つけど、それが踏ん張る力になる」
彼は小さく息をついた。
「……日下部は、親に何か言われたことないの?」
「あるけど、聞かなかった」
「強ぇな」
「強くねぇよ。ただ、自分が走る道でコケるなら、文句は自分に言えるだろ」
外はもう薄暗くなっていた。窓の外を見ながら、彼は少し笑う。
「……降りるって決めたら、怖いけど、ちょっと楽になった」
「そういうもんだ」
日下部は立ち上がり、窓際まで歩く。
「でも、親はきっとお前のこと嫌いにはならねぇよ。たぶんな」
「“たぶん”かよ」
「保証なんかできねぇよ。でも、お前の人生は、お前がやるんだろ」
帰り際、彼は「ありがとな」と短く言って部屋を出た。
日下部は窓の外の暗くなった校庭を見つめ、呟いた。
「……降りるって、けっこう勇気いるよな」