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それは、匡だって同じはずだ。
会社の立て直しと、子作りセックス。
きっと、奥さんに弱音も吐けず、子作りを拒むこともできず、一人で耐えてきたのだろう。
お兄さんを恨んだだろうか。
身代わりに自分を差し出した父親のことは?
政略結婚によって私と別れることになり、条件を果たせずに会社を手放した。
匡には、何が残ったのだろう。
お兄さんへの劣等感だけなら、虚しすぎる。
「結亜さんは今どうしてるの?」
「再婚……した」
「え……っ!?」
甘えているような体勢で私の身体はソファの背に押し付けられ、身動きできない。それをいいことに、匡の指がショーツをずらし、濡れた蜜口に沈んでいく。
「あ……っ」
感じたくないのに、きつく抱きしめられて全身が匡の匂いに包まれ、全神経が彼の指に集中する。
「結亜は……今じゃ二人の子供の母親だ」
「んっ」
甘い言葉を囁かれたわけでもないのに、鼓膜に響く低くかすれた声に、思わず目を閉じる。
「子供たちの父親は、結亜の過去をちゃんと受け止めて、愛してくれてるみたいだ」
「匡……だって……」
愛してなかったわけじゃないでしょう?
子供のころからよく知っていて、七年も夫婦をしてきて、欠片ほどの愛情も持てなかったなんて、匡はそんな薄情な男じゃないと思う。
子供を捨てた私とは違う……。
元カレに抱かれながら、子供を捨てた罪悪感に喘ぐなんて、最低な母親だ。
「匡はさ――」
重い思考とは裏腹に弾むような水音を滴らせる身体は、既に匡を迎え入れる準備ができている。
そうさせまいと、私は彼の指先から意識を逸らし、低く落ち着いた声を発した。
「――何がしたいの」
じりっと首筋に痛みを感じた。
「捨てた恋人が自分以外の男と幸せになってなくてホッとした?」
「……」
ずるっと、私の|膣内《なか》から指が抜ける。
けれど、密着した身体は離れない。
「バツイチ同士で安心した?」
「…………」
顔が見えたら、きっと言えない。
「私は会いたくなかったよ」
「千恵」
身体を引こうとした匡の腕にしがみつき、顔を伏せる。
顔を見てしまったら、言えない。
「会いたくなかった」
「千恵」
匡の手が私の肩を押す。
顔を覗き込まれているのが視界の端に見えるが、視線を逸らして見ないようにする。
「こんな私、見られたくなかった!」
「千恵!」
ぐっと両肩を掴まれて、ちょうど腕の長さの分まで身体が離れる。そして、否応なく視線が交わる。
匡がどんな表情をしているかなんて予想していなかったけれど、それでも、眉を寄せて今にも泣きそうな顔には、驚いた。
そして、胸の奥が軋んだ。
心臓を鷲掴みにされたような、長くて細い針で貫かれたような、手加減なしに嚙みつかれたような、鈍いのか鋭いのかわからない痛み。
「俺は会いたかった」
さっきまで目尻を下げて私に口づけ、驚くほど甘い声で名前を呼び、熱い指先で私の膣内を弄っていたとは思えないほど、低く冷静な声。怒りを孕んでいるように聞こえたのは、私の罪悪感からか。
「俺以外の男と幸せになってても、そうじゃなくても、会いたかった。幸せなら幸せで、俺が別れてやったおかげで幸せになれたんだって自分を納得させてたと思う。だけど、もし幸せじゃなかったら、俺にもチャンスが残ってるんじゃないかって期待してた」
私は、噛みつく形相で顔を上げ、前のめりになった。
「なによ、エラそうに! 匡じゃなくたって、私――」
「――俺は千恵じゃなきゃイヤだ!」
匡がギリッと奥歯を嚙んだのがわかった。そのまま唇を結んで、ふぅっと鼻から息を吐く。
私まで、吐く息が震える。
数秒、お互いに呼吸を整えた後で、匡が私の肩から手を離した。
それでも、視線は互いに向けられたまま。
「別に、ずっと忘れられなかったわけじゃない。いや、そうなんだけど」
どっちよ、と言いかけて飲み込む。
どうせ、ずっと忘れられなかったといわれても、信じられない。
「結亜のこと、俺なりに大事にしてたつもりだし、時々千恵のことを思い出して懐かしく思うことはあっても、全部捨てて会いに行こうなんて思わなかった。だけど――」
ハッと小さく息を吸って、ごくっと飲み込む。
「――離婚して、無性に千恵に会いたくなった」
「結婚……を否定したくて?」
「否定……なのかな。千恵と別れてからの十年は何だったんだって、思ったのは」
それはそうだろう。
私と別れただけでない。
決まっていた就職を蹴った。
自分で手に入れるはずの未来を、捨てた。
そうまでして選んだ道の先が崖だったのだ。
あの頃に戻れたらと思うのは、無理もない。
「一人暮らしを始めて、愕然としたよ。無意識に、千恵と暮らした部屋を再現してて」
本当に無意識なのだろうか。
たとえ、意識的だったとしても、十年も前に暮らした、当時の恋人好みの部屋を覚えてるだろうか。
私だって、この部屋を見て思い出したくらいだ。
「病院で千恵を見かけた時、何でもないことのように素通りなんてできなかった。昔の恋人を見かけた、なんて何でもないことのようには、どうしても思えなかった」
「匡……」
「欲しくて欲しくてたまんねーよ」
そう言うなり、匡の大きな手が私の背中に回り、少し乱暴に私を抱き寄せた。
抱きしめてくれて、良かった。
涙を見られずに済んだ。
嬉しかったのか、苦しかったのか、自分でも意味の分からない涙を、匡に見られなくて良かった。
私もまた彼の背中に腕を回したのは、涙を見られたくなかったから。
ほかに理由なんてない。
私は自分にそう言い聞かせた。