テラーノベル
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放課後の美術準備室。壁際のロッカーの陰に、遥の背中が貼りついている。
目の前には、蓮司。
声をひそめるわけでも、笑うわけでもない。
ただ「確認するように」呟いた。
「──それ、たしか、おまえだったよな。中一の時の、あれ」
遥の喉が、ごくりと動く。
それは、誰にも話したことのない、過去の記憶。
いや、記憶というより“痕跡”だった。
「あのとき、裏階段で倒れてた一年の子。
制服、びしょびしょで。泣きながら、帰れなかったって」
蓮司はスマホの画面を見せる。
そこには、色あせた中学の校舎、濡れた制服の写真。
そして──投稿者不明の、文章。
「こいつ、あのとき“やってた”奴じゃん」
「見た人いるよ。押し倒して、口押さえてたって」
遥の視界が、滲んだ。
「俺、これ見て思い出した。
ほら、あれ──玲央菜に“やらされてた”ときの顔、おまえ、ああいう顔してたわ」
蓮司の声は平坦だ。
だが、その“事実”だけが遥の内部を撃ち抜いていく。
(違う。ちがう。俺は、してない──)
(……けど、あのとき──あいつ、泣いてて、手は……)
遥の頭が真っ白になる。
記憶が、歪む。
過去の混濁が、真実と虚構の境を消していく。
蓮司は言う。
「じゃあ、どっちが地獄か試そうか?
“あのときの加害者”として吊し上げられるのと──
“今のおまえ”をバラされるのと。どっちがマシ?」
選択肢などない。
遥の中にあった「自分は汚れている」「俺が加害者だ」という確信に、
現実の“他者の声”が結びついた瞬間だった。
そしてその日の深夜──
SNSには、“当時の匿名投稿スクショ”が、まるで偶然のように流れていた。
「加害者だった奴、今はなに食わぬ顔で高校生やってるってマジ?」
「日下部とつるんでるやつでしょ、たしか」
──誰も証明しない。誰も否定しない。
ただ「言葉」だけが残り、「印象」だけが膨れ上がる。
遥は沈黙する。
日下部は、何も知らない。
蓮司だけが、その“地獄”の扉を開いた鍵を持っていた。
※遥は「実際には何もしていない」。
「中一のときの裏階段の事件」で誰かを襲ったり、押し倒したりしてはいない。
けれど、その場に“いた”可能性がある。あるいは何らかの曖昧な関与があったかもしれない。
「泣いてた子の制服が濡れていた」「遥の手が濡れていた(かもしれない)」といった記憶の断片が曖昧に残っている。
蓮司は、遥の“罪悪感”と“記憶の混濁”を見抜いている。
蓮司は「確かな証拠」ではなく、「遥の内面にある“自分は汚れている”という感覚」を利用。
つまり、遥が否定しきれないくらいに曖昧な過去を突き、そこに「目撃証言」や「SNSの匿名投稿」という“社会的な証言”の幻影を重ねていく。
さらに、「玲央菜に“やらされてた”ときの顔、おまえ、ああいう顔してたわ」と、性的支配の記憶までをも巻き込むことで、「あのときの顔=快楽か?加害か?」という印象操作をしてくる。
蓮司の狙い。
「中学時代の性的加害者」として遥を仕立て上げることで、社会的に破壊する。
その際、「今のおまえ(日下部とつるんでいる、なに食わぬ顔の遥)」という現在の立場も人質にする。
つまり、「過去」と「現在」の両方を破壊できるカードを蓮司は手にした。
遥の中には確かに「罪の意識」がある(曖昧で、無実とも言いきれない)。
そこに蓮司が「“社会的な語り”」を与えることで、“事実かどうか”ではなく、“周囲の印象”が「遥=加害者」に変化していく。
SNSでのスクショ拡散などによって、「それっぽいストーリー」が自然発生したように見える。