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教室に残ったのは、蓮司と遥だけだった。黒板には、誰も消さなかった時間割のチョーク跡がかすれて残り、窓の外では夕日が斜めに差していた。
光が傾くたび、椅子の影も伸びて、まるで誰かが潜んでいるように足元を這ってくる。
蓮司は椅子に座ったまま、指先で机の縁をなぞっている。
無言のまま。だがその沈黙が、日下部といたときよりもはるかに重く、濃い。
遥は席に戻るふりをして、教室の出入り口をちらと見た。
逃げ道を確認したのだ。反射的に。
「……あいつ、泣くの早いよな」
蓮司が不意に言った。笑っていた。
が、それは楽しんでいる類の笑いではなかった。
壊れる寸前の何かを抱えたまま、持ちこたえている者の、微細な歪みのような。
遥は答えない。
答えたら何かが引きずり出される気がして、喉に貼りついた声をそのまま飲み込む。
だが、蓮司はそれすら読み取るように、視線だけを遥に向けた。
「……おまえのせいじゃねえの、たぶん」
唐突だった。だがその言葉は、慰めではなかった。
ただ事実を、冷たく、切り分けるように投げてきただけだ。
「けど、日下部がああなったの、きっかけはたぶん……最初にあいつ、おまえに巻き込まれたときだろ」
遥の肩がかすかに揺れる。
その揺れを見逃さなかった蓮司が、ようやく立ち上がった。
ゆっくりと、あくまで歩く音も立てず、机を回って遥の席の隣に立つ。
「さ、どう思う? “共犯者”って言葉、似合うと思わない?」
蓮司の声は、低く、柔らかかった。
だがその響きには、剃刀のような冷気が滲んでいた。
遥は震える唇を噛んだ。
何か言い返さなければ、と思った。だが、何をどう言えばいいのか分からない。
事実でも嘘でも、全てが裏返されてしまう気がした。
蓮司はもう一歩、近づく。
そして、まるで秘密の共有者に語りかけるように、声を落とす。
「“黙ってたら守られる”って思ってるうちは……いちばん、壊される側なんだよ。遥」
その言葉だけを残して、蓮司はふいに歩き出し、ドアの方へ向かう。
背を向けたその瞬間、遥のなかで何かが軋んだ。
(守ってなんか……)
言いたかった。叫びたかった。
でも声は出なかった。肺が凍っていた。
扉が、静かに閉まった。
教室にはもう誰もいなかった。
夕陽は机の上に長く伸び、遥の影だけが残っていた。