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第13話:月の裏で眠る声
天球暦1075年、満月祭の夜。
都市《イル・レメル》の上空では、月の“反響率”が異常上昇していた。
反響率とは、満月が過去の記憶をどれだけ戻してくるかを示す数値。
あまりに高くなると、“すでに消えたはずの声”が泡なしに空中に現れる現象が起きる。
それは、“月の裏で眠っていた声が戻る”夜。
少女《アミナ・スイル》は14歳。
銀混じりの黒髪を編み込んだ浮力祈布《エミスロープ》を身に巻き、
《ソラー社製:音律反射ピアス》を耳に付けていた。
それは、周囲の“声の重さ”を測定する機能を持つ、月祭の正式装備。
アミナの声は軽く、美しいとされていた。
それゆえに、**「浮力を妨げない優等声帯」**として知られていた。
だが近頃、彼女は自分の声が反響しないことに気づいていた。
泡に吹き込んでも、弾けた音が戻らない。
風に乗せた挨拶が、まるで“風をすり抜けていく”ようだった。
「わたしは、いまここにいないの?」
—
満月の夜、アミナは月祈殿へ向かう。
そこでは《フロートル社》の祈響装置によって、
過去の言葉が空中に“音として再映”される祭典が行われていた。
泡ではなく、空気そのものに記憶が染み込む夜。
祈殿に集まった人々がそれぞれの記憶を読み返す中、
アミナはひとつの音を聞いた。
「ア……ミナ……?」
それは、彼女が幼いころ泡に吹き込んだ声──
でも、泡はすでに消えていたはずのもの。
—
彼女は音を追って、祈殿裏の“月反響盤”へ向かう。
そこには地球語のような記号が刻まれていた。
「REC」「PLAY」「MUTE」──
今では《泡語の聖印》とされ、“言葉を受け入れる月の耳”の象徴だった。
そのMUTEの紋章の下に、小さく音が溜まっていた。
「……また、声が消えていくの?」
—
アミナは、自分が“名前を呼ばれなかった日”を思い出す。
星祈りの夜、誰も彼女の名を空に呼ばなかった。
声が浮かずに沈んだ。
その日から、彼女の声は浮力を失っていた。
—
「なら、もう一度、わたしが呼ぶ」
アミナは、自分自身の名を泡に吹き込む。
満月の真下で、その名を風に返す。
「アミナ。わたしは、ここにいる。」
—
泡は浮かず、空中でとどまり、光を帯びた。
それは“消えかけた存在が、自らを浮かせる唯一の方法”だった。
翌朝、祈殿の天井に、彼女の名を模した新しい星が一粒追加されていた。
—
風の中で、誰かが囁いた。
「名は他人に呼ばれなくても、 自分で呼べば、星になる。」