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先に風呂場に向かった焔が湯船に浸かり、ほっと息を吐いた。 檜風呂ではなくても、掛け流しの温泉だというだけで浸かると癒される。足や手の指先にじんわりとお湯の温もりが染み込んでいくおかげでとても気持ちがいい。これで地酒や夜景の見える窓でもあれば、月見酒でも洒落込みながら楽しむ事が出来て尚良かったのだが、残念ながら風呂場はそういう構造ではないし、酒も無い。だが『もしかしたら窓くらいならリアンに頼めば簡単に造れるのでは?なんたって此処は異世界なのだしな』と思いながら、焔はお湯の中で手足をぐぐぐっと伸ばした。
「周辺に灯りなんか何も無いし、きっと外は星も綺麗なのだろうな」
誰に言うでもなく、ぽつりとこぼす。 すると丁度良いタイミングでリアンが入って来て、「えぇ、向こうの窓から見える夜空は絶景でしたよ」と返事をした。 腰にはタオルを巻いており、手には何やら玩具っぽい物の入る桶を抱えている。『持っているそれは一体何なんだ?』と焔は気になったが、子供っぽい反応をしたりはしなかった。
「やっぱりそうか。今からでも風呂場に窓を造ったりは出来るのか?」
「出来ますが……明日の昼間とかでも良いですか?」
「まぁ、構わないが」
何でだろうか?と思いつつもあっさりと諦める。 今すぐにでも星や月が見られないのは残念だが、きっと何かしらの理由があるのだろうと判断した。
(まぁ、そもそも、真っ裸のままクラフト系の作業なんかしたくもないよな)
勝手に納得し、湯船の中で少し端に避けてスペースを空ける。 すると、簡単に体を洗ったリアンがいそいそとした様子で焔の隣に並ぶ様にして湯船の中に入ってきた。
「……ふぅ」
体が一気に温まり、気持ちも一緒に解れていく気がする。焔だけでなく、リアンにとっても一日で一番好きな瞬間だった。
広めに造った湯船ではあるが、リアンの体格が大きめなので二人の腕が軽く触れ合ってしまっている。だが実は、離れようと思えば、まだちょっと反対側の方に多少の余裕があるので離れる事が出来なくは無い。だけどリアン側にそうするつもりがないので、彼は温泉の温かさと焔から感じる体温の心地良さを感じながら、ぼぉっと天井を見上げた。
手には玩具の入った桶を抱えたままだった為、その中身が気になる焔がチラチラとリアンの方に顔を向ける。目隠しが湿気のせいで湿っていて、うっすらと、綺麗に閉じられた目蓋と長いまつ毛が何となく見て取れた。
(やっぱ素顔が気になるなぁ……。見た目を鬼にしているくらいだ、三白眼とかなのだろうか?)
訊いても答えてくれる気がしないので、黙ったまま再び息を吐く。リアンが首を軽く傾けて筋を伸ばし、足などの指先もついでに伸ばしていると、痺れを切らした焔が桶を指差して「……その玩具っぽい物は何だ?」と訊いてきた。
「あぁ、コレですか?ちょっと材料が余っていたので作ってみたんです。木製になってしまったので色も無く、少し味気ないですが、『アヒルちゃん』ですよ」
風呂場によく似合う黄色いアヒルちゃんそっくりに形作られた玩具を手に持ち、ほらっとリアンが焔に見せる。 すると彼は「おおおおっ」と、珍しくかなり嬉しそうな色で声を上げた。が、すぐに咳払いをして気持ちを落ち着けようとする。
「これがあの有名な『アヒルちゃん』か」
普段通り淡々と言い、今も落ち着いた口調を心掛けているっぽいが、顔付きが見事に緩んでいるので喜んでいる事がはっきりとわかった。
「それっぽいだけですけどね。でもちゃんと浮くんですよ」
「風呂といえばコレっていうイメージが最近はあるが、実物は初めて見たぞ。元の世界での風呂なんて無駄に立派なだけで、玩具の類を置いておく粋な奴はいなかったしな」
「紛い物ですけどね」
(『最近』って程、最近の玩具ではない様な気がするんだが。しかも、玩具がある風呂は『粋』だろうか?……まぁ、そう思う焔が可愛いからいいけどな)
「まぁまぁ、そう何度も茶々を入れるな。木製だろうが黄色くなかろうが、見た目が同じである以上、コレは風呂場の定番品である『アヒルちゃん』だ。いいな?」
大きめのアヒルと小さなアヒル達を湯船の端にずらりと並べ、焔が言い切った。 予想よりもいい反応をしてもらえてかなり嬉しい。いいとこ『この玩具は知ってるぞ』くらいの返事があればいい方かと思っていただけに、より一層この反応が愛おしく思え、リアンの口元も綻んだ。
「……だが、よくコレをお前が知っているな」
ぎくりとしてリアンの体が一瞬硬直した。焔ならば自分がコレを知っていようが気にもしないと思っていただけに、言い訳なんか全く考えていなかったのだ。
「まさか異世界でまで風呂の定番だとは思わなかったぞ。流石だな、黄色いアイツの人気度は」
リアンの返事を待つ事なく焔が話し続ける。どうやら先程の発言は、質問では無かった様だ。
「……まぁ、元の世界へ戻っても吾には子供がいる訳でもなし。立ち位置的にもこういった物に触れる機会がそもそも無かったんじゃが……感謝するぞ、リアン。ちょっと童心に返った気がする」
童心に返った気がすると言うだけあってか焔の言葉遣いまでが少し古臭くなっている。
そんな焔に対して軽い違和感を覚えつつも、リアンは彼の楽しそうな雰囲気に容易く呑み込まれ、そんな瑣末事はすぐにどうでもよくなった。
「喜んでもらえて嬉しいです。私もこういった物の存在は知っているのですが、触れる機会そのものは、なかなか無かったので……」
「では、互いに初めて同士なのだな」と言って、焔がニッと子供っぽく笑う。
そんな表情を見てリアンは、階段の上で感じた衝動を、胸の奥で再度思い出してしまった。 とくん、とくん——どくんっ! と、規則的だった心臓の音が早くなり、不規則になったようにすら感じられる。下腹部に血や熱が集まり、主人の肌に触れてしまいたい衝動で頭がふらついた。
「さてと、そろそろ体でも洗っておくか」
リアンの変化に何も気付かぬまま焔が立ち上がり、彼の前に深雪が如く艶やかな肌を遠慮なく晒す。腰に何かを巻いている訳でも無いので、お尻の綺麗なラインまでもを存分に見る事が出来てしまったせいでリアンは全身の血が沸騰したみたいになり、もう今にも鼻血を出す寸前だ。
洗い場の腰掛けに焔が座り、桶にお湯を溜めて、石鹸で体を洗う用意をする。シャワーなどの設備までしっかり用意されていて比較的現代風なおかげで使い易そうだ。
「昨日も思ったが、お前はすごいな。異世界に飛ばされてまで現代風の設備を使わせてもらえるとは思ってもいなかったぞ」
「便利な物は極力採用した方が何かと楽ですからねぇ」と言いながら、リアンも湯船の中で立ち上がる。そして、シャワーに手を伸ばそうとしていた焔の手に手を重ねた。
「ん?」
何だ?と思いながらほむらが真上を見あげると、ニコニコと不自然なくらいに良い笑顔を浮かべるリアンと目が合った様な状態になった。
「私が洗って差し上げますよ、焔様」
「自分で出来るぞ?」
「いやいやいや。焔様、今絶対に全身を石鹸だけで洗おうとしていたでしょう?」
「……あぁ、そうだな」
「やっぱり!駄目ですよ、ちゃんとしないと。なので私が洗って差し上げますね」
(まぁ、髪を洗わせるくらいならいいか)
そう思いながら、念の為目隠しが外れてしまわない様に術をこっそりとかけておく。意図的にリアンが外そうとはしないとは思うが、コレで万が一の事故も防げるので一安心だ。
「じゃあ頼むか」
「喜んで!」
居酒屋並みの元気な返事をリアンは返した。