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高校二年生・仮名:Mさん
“頼っていいよ”って言われても、怖いんです。
前に思い切って弱音を吐いたとき、
“それくらい自分でなんとかしなよ”って言われたことがあって。
それ以来、誰かに助けを求めるのが怖くなりました。
また拒まれたらどうしようって思うと、
“平気なふり”をするしかなくて……。
遥
「……わかる。
“もう一度傷つくくらいなら、黙ってた方がマシ”って、
そう思う瞬間あるよな。
オレも、“頼る=迷惑かける”って勘違いしてた。
でもさ、本当は“頼る”って“信じてみる”ことなんだと思う。
怖いけど、それができる時点で、すげぇ強いんだよ」
蓮司
「“頼る”って、勇気がいるよな。
だって、自分の弱さを見せることになるから。
でも、“頼られた側”からすると、
信じてもらえたって思えるんだ。
もしMさんの周りに、それを受け止められなかった人がいたなら、
それはMさんのせいじゃない。受け取る側の器が小さかっただけだよ」
日下部
「……“頼ることが怖い”って気持ちは、
誰かに裏切られた経験の記憶と繋がってる。
だから、簡単に消えない。
でもね、“もう頼らない”って心を閉じたままだと、
自分の中の“信じたい気持ち”まで壊れちゃう。
誰かを信じられないって苦しむ時点で、
まだ“人を信じたい”って心が生きてる証拠なんだ」
遥
「“頼る”って、甘えることじゃなくて、
“自分を信じてくれる人を選ぶ”ってことだと思う。
その選択を、またしてもいい。
前と同じ結果になるとは限らないから」
蓮司
「人は、“頼られることで成長する”こともある。
だからMさんの“頼る勇気”は、
相手の優しさを引き出すチャンスにもなるんだ」
日下部
「……“誰かに頼れない自分”を責めないで。
その慎重さも、心が壊れないように守ってきた証だから。
少しずつ、“もう一度信じてもいいかも”って思える人を、
見つけられたらそれで十分だよ」
🗝 三人からのことば
遥:「“頼る”のは弱さじゃない。“信じる力”を失わないことだ」
蓮司:「拒まれた痛みを知ってる人ほど、誰かを優しく受け止められる」
日下部:「“もう頼れない”と感じる夜も、心の奥ではまだ“つながり”を求めている」
──拒まれた痛みの奥に、まだ“信じたい心”が息をしている。