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昔私が住んでいた本家での話です。本家には太い霊道が通っていて、常日頃入れ代わり立ち代わり様々な霊体を家の至る所で見掛けていたのですが、唯一霊達が避ける場所がありました。なんのことは無い、普通の大きな食器棚とその横のソファーだったのですが、そこだけ何故だか見事に近寄らないのです。
食器棚の中には人数分の食器の他に、空いているスペースに祖母が若い頃から集めていた小さめの日本人形が13体押し込められていました。その人形達は祖母が若い頃に出版されていた今でいう付録付き雑誌の付録だったそうで、昔は人形が祖母の家では贅沢品だったらしく、お小遣いをコツコツ貯めて自分で買って大事にしていたそうです。容姿は白塗りの顔で、どちらかというとお雛様に近いような風貌で、着物は赤に近い朱色でした。手には綺麗に装飾された手水の時に使う手桶のような物や、名前はわからないのですが同じく煌びやかに装飾された棒のような物など、個々に違うアイテムを持っていました。もちろん何も手にしていない人形もあり、そういう人形は盆踊りで踊っているようなポーズをしていました。実は祖母が言うには収集した当初はもう少し数が多かったそうで、全部で15~7体はあったのだけれど、引越しなどで持ち運んでいるうちに数体紛失してしまったらしいのです。今の家に引越してからは他に飾るスペースがなくて食器棚に押し込んでいたみたいなのですが、浮遊霊だけでなく私も幼少期から本能的に近寄らないようにしていました。ーーー何かわからないのですが、人形ひとつひとつに得体の知れないモノが宿っているのがわかるんです。人の霊魂なのか、動物の霊魂なのか、はっきり見えなくてわからないんです。ただ言えるのが、凄く嫌な雰囲気を出しているんですね。私の母も見えるほどの霊感はないものの、その雰囲気だけは感じ取っていた様子で私同様、人形にはなるべく近寄らない生活をしていたのを覚えています。
さて、その人形達の異変に気付いたのは私が中学生になったばかりの頃で、同じく霊感持ちの親友が遊びに来た時の事でした。よく親友はうちに遊びに来ていたのですが、私は自分の部屋がなく、普段友達を呼べるスペースというと、自営業をしている1階の事務所だったのですが、その日は珍しく仕事絡みの来客があり、親友を2階の茶の間に通しました。親友は1階にも2階にも常に浮遊霊がいるのを既に知っていたのでそこは驚かなかったのですが、茶の間に通した時だけ顔が強ばっていました。「……ねぇ、この茶の間、その辺のと違う、なんか別のモノがいるよね……?」そう言って視線を送った先には、食器棚がありました。「雰囲気の変な人形ならあるよ」と見上げて、私も固まりました。人形の顔の向きは普段全てバラバラで、それぞれに違ったポーズを取っているのですが、13体全ての人形の顔が私達を見ていたのです。目が合った瞬間、凄まじい悪寒が走りました。次の瞬間、親友が私の腕を引っ張って立ち上がり、顔面蒼白で荷物を掻き集めて2人して階段を駆け下りて行きました。玄関の外まで駆け抜けて、ドアを閉めてようやく親友が振り返りました。「なにあれ!?」「なんで顔の向きが全部こっちに向いてたんだろう……」ほぼ同時に発言して、親友が「えっ?」と怪訝そうな顔をしました。「そこ!?」親友は信じられない!という顔で続けました。「聞こえなかったの!?凄い低い声でお経みたいな気持ち悪いのが響いてたじゃん!!!しかも聞いた感じだと10人以上の声だったよ!?」……私はそんなの聞こえませんでした。なんて言ってたか聞こえた?と訊(き)けば、「あんまりはっきりは聞こえなかったけど……『えん、こん、しゅく、じゅ』みたいな感じだったと思うよ。そのフレーズだけずっと繰り返してたよ」と言うのです。なんの事かさっぱりだったのですが、流石に気になってしまって、当時はまだ携帯は持っていなかったのでパソコンのある親友の家に向かいました。
ド素人の、しかも中学生の知識で調べたところで大した収穫はなかったのですが、『えんこん=怨恨』、『しゅくじゅ=宿呪』というのがあるらしく、どちらも意味的には『成仏できない事』の類語だそうです。凄く嫌なあの雰囲気そのものが『怨恨』で、人形に宿っているという意味では『宿呪』もあっているのではないかと思います。ただ、これはあくまでも私達がネットでそれっぽい単語と意味を調べていただけなので、やはり一度専門の方に見せてみたいと思い、後日晩御飯の支度をしていた祖母に「人形の写真を撮らせて欲しい」とお願いしたのですが、私の言葉を聞いた途端手を止めた祖母の顔付きがふっと変わり なんとも言えない恨めしげな表情で「どうして」「やめろ」「撮るな」と鋭く低いしゃがれた声で言いました。祖母は普段高めのおっとりとした口調なので、やめて欲しいことがあっても「ちょっとやだわァ~やめてよォ~」といった感じなので、この時の祖母の様子は普段とはかなりかけ離れていたのです。少し怖くなった私ですが、ここで引き下がるのもちょっと……と思い「使い捨てカメラを現像したいから残り数枚を使い切りたくて」などと苦しい言い訳をしてみましたが、祖母は変わらず低いしゃがれた声のまま強い口調で「や め ろ !!」と釘を刺すように言い放ち、ただならぬ雰囲気に気圧(けお)されて、私はそれ以上詮索するのはやめました。
結局あの後、例のお経のような単語を聞くことはなかったのですが、ふと見た瞬間に13体全ての顔がこちらを見ている事は何度かあり、私はもう、あれは動くモノで触れてはいけない系のモノなのだと認識していました。親友も彼女なりに色々調べてくれたそうなんですが、有力な情報も大してなかったようです。
ただ、祖母だけは本当に本当に人形達を可愛がっており、定期的にその日の気分で食器棚から1体出しては髪を撫で、色んな角度から眺めては微笑みながら「あんた達は本当に可愛いねぇ」「今日もべっぴんさんだねぇ~」などと声を掛けたりしていて、その時だけ何故か人形から発する嫌な雰囲気が一切なかったのです。もしかしたら人形達は祖母の愛情から宿った物なのかもしれません。昔ながらの外見から恐怖心を抱く私や母などには敵意があったのかもしれませんね。ましてや写真を撮って専門家に見せたりすれば、正体がわかる事で祓われると思って威嚇したのかもしれません。
そして10年以上が経ち、私に娘が生まれてある程度喋れるようになった頃、本家に遊びに行った時に放った娘の「あのお人形さん怖いから、遊びに来たくない」の一言により、なんと祖母のお気にりの5体を除き、後の8体は祖母の手によって処分されてしまったのでした。祖母は何も言っていませんでしたが、おそらく『可愛い曾孫』と『お気に入りの人形』を天秤にかけて、曾孫である娘の存在が勝ったのだと思います。祖母なりに苦渋の決断だったのではないでしょうか。真意はわかりませんが、驚くべき事に処分された8体は供養など全くされず、不燃ゴミとして普通に捨てられたそうです。……まあ、祖母の所持品ですし、処分したのも祖母自身ですから、私の知ったこっちゃないんですけど、あまりにも普通にゴミとして捨てられた結末に驚愕してしまいました。後に親友にも話しましたが、当然親友も同じような反応でした。
人から大事にされたモノには霊魂が宿るといいますが、本家の人形達もきっとその類だったのだと今でも思っています。そしてそれは、あくまでも予想ですが可愛がってくれる祖母の事だけは護っているのではないかと私は思います。あれだけ霊体だらけの本家で全く霊障を受けていない祖母を見ると、そんな気がしてなりません。私も執筆している今現在オタ活をしてぬいぐるみなど集めていますので、もし自分が大事にしているぬいぐるみ達に霊魂が宿ったら、正直私は嬉しいですし、とても興味深いです。全部が全部、悪いモノだとも限りませんからね。ですがもし、宿ってしまったモノを処分する時はどうか、ちゃんとお礼とお別れの意味も込めて人形供養に出してあげて欲しいです。宿ったのが自分だったとして、あっけなく不燃ゴミに出されたら、それこそ成仏など出来ないと思います……。