昼下がりの「相談室」は、いつもより少し賑やかだった。窓から射す陽光が机の上に落ち、紙の端を淡く照らしている。外からは運動部の掛け声とボールの音がかすかに聞こえてくる。
 ドアが、こんこん、と控えめに叩かれた。
 「どうぞ」
 いつも通りの声で返す遥だが、今日はなんとなく声が柔らかい。
 入ってきたのは、二年生の女子。明るい茶髪をひとつ結びにして、制服のリボンを少しゆるめている。手には小さな紙袋。
 「えっと……こんにちは。あの、ちょっと……聞いてもらっていいですか?」
 「うん。座って」
 促すと、彼女は少し落ち着かない様子で椅子に腰を下ろした。
 「その……たいしたことじゃないんですけど」
 「そういうの、だいたい大事な話なんだよ」
 「……部活、やめようかなって」
 遥は瞬きを一度して、少しだけ首を傾げた。
 「へえ。何部?」
 「バドミントン部です」
 「理由は?」
 「別にいじめられてるとかじゃないんです。ただ……なんか最近、試合とか練習とか、全部が重く感じちゃって」
 彼女は、机に置いた紙袋の取っ手を指でくるくる回す。
 「最初は楽しかったんです。でも、先輩たちも後輩も本気だから、自分だけ気持ちがついていけないのが申し訳なくなって……」
 遥は少しだけ笑った。
 「それ、本気じゃないってわけじゃないでしょ。息切れしてるだけ」
 「息切れ……」
 「走り続けたら、どんなやつでも息切れする。で、そのときに休まないと、ほんとに動けなくなる」
 彼女は苦笑しながら視線を落とした。
 「でも、私、すぐ諦めたって思われるの嫌で」
 「じゃあ、“休む”って言えばいい」
 「……部活でそんなの通じます?」
 「通じないこともある。でも、自分の中で納得できるなら、それでいい」
 遥はペンをくるくる回しながら、少しだけ言葉を探したようだった。
 「俺さ、中学のときバスケ部だったんだ」
 「えっ? そんな感じしない」
 「まあ、すぐやめたからな。……本当は続けたかったけど、色々あって」
 そこまで言って、遥はわざと笑いを混ぜる。
 「だからさ、あのとき“やめた”って言わないで、“一回休憩”って思えばよかったなって。そうすれば、また始められたかもしれない」
 彼女は少しだけ顔を上げた。
 「また始める……」
 「そう。やめるときはやめればいい。でも、自分のための選択にしろよ。誰かに言われてじゃなく」
 静かな間が落ちる。外の声が一層鮮明に聞こえた。
やがて彼女は、紙袋を机に押し出すように差し出した。
 「……これ、今日のお礼。焼き菓子です」
 「え、そんな……」
 「大丈夫です、友達がバイト先からもらったやつなんで!」
 遥は少し困った顔をして、それでも笑って受け取った。
 「じゃ、代わりに俺からのアドバイスな」
 「はい」
 「休むときは堂々と休め。そうじゃないと、休んだことに罪悪感までついてくる」
 彼女は少し笑って、何度も頷いた。
相談室を出る背中は、来たときよりも少し軽く見えた。
 机の上に残った紙袋から、甘い香りがふわりと漂った。
遥は袋を見つめ、ぽつりと呟いた。
 「……息切れ、か。俺も……」
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