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「築島課長、咲の顔を見たらそのままホテルにでも連れ込む勢いだったから……」
藤川課長はそう言いながらそばをすすった。
咲が三課から出てくる前に社員が戻ってきてしまって、俺と藤川課長は見つからないようにエレベーターに乗った。別の場所で咲を待つつもりだったのに、無理やりに藤川課長に連れられて、会社近くの蕎麦屋に入った。
「午後も仕事は山ほどあるんだから、女としけこむなんていい年した社会人のすることじゃあないよね?」
「くそ……」と言いながら、俺はかき揚を頬張った。
藤川課長は悔しがる俺を見て、楽しそうに笑った。
「それにね、君にあれを聞かせたことが咲にバレたら、俺が怒られるからさ」
「知ってたんですか?」
「どう転ぶかはわからなかったけど」
藤川課長の余裕の表情が、やけに気に障る。
「咲に何かあったらどうするんですか!」
「あ、『咲』って呼んだね?」
「そんなことはどうでもいいんですよ」
「何かあった時のために行ったんだよ」
咲は藤川課長に川原と対峙することを話していたんだな……。
わかっていたし、仕方のないことだけど、咲が最も信頼しているのが自分ではなく藤川課長だということが、悔しかった。
「築島課長、俺や館山に嫉妬しても時間の無駄だよ」
「はい?」
「一緒に過ごしてきた年月が違い過ぎるし、俺と館山は切れない絆がある。俺と咲は家族だし、咲と館山は上司と部下で友人だ。でも君は? 今は上司と部下でも、君か咲が異動してしまえば関係なくなる。恋人も別れてしまえばそれまでだ」
「何が言いたいんですか?」
侑といい藤川課長といい、示し合わせたように俺の感情を逆なでする。
言われる度に、自分が器の小さな男だと思い知らされる。
そして、それを知らなかった自分自身が恥ずかしくなる。
「君には可能性があるってことだよ」
「可能性?」
「そう。俺も館山も咲との関係が確立されているけど、君と咲の関係はどうにでも変えていけるだろう? 恋人で終わるか、家族になるのか、傍観者になるのか、共犯者になるのか。咲に守ってもらうのか、咲を守るのか――」
俺の箸を持つ手が止まった。
「俺が君をあそこに連れて行ったのは、咲の覚悟を知ってもらうためだ」
「覚悟……」
「そう。咲ははっきりと覚悟を示しただろう? 『君を守るためなら、どんなこともする』と」
『築島に手を出したら、どんな手を使ってでもあなたを潰す』
咲の言葉を思い出して、また胸が熱くなる。
「咲の覚悟に、君はどう答える?」
俺の答え……?
「ついでに言うと、昨日俺が、君が仕事を早く切り上げて帰ったことを話したら、咲は『私が忙しいって言ったからかな』って言ってたよ」
「咲が……?」
「そもそも気が合うんだろうね、君と咲は」
仕事なんて手につかないと思った。
蕎麦屋を出た時、咲に『今夜、会いに行く』とメッセージを送った。返事がなくても会いに行くつもりだったし、そのためには早く仕事を片付けなきゃならない。わかっていても、咲に会いたい気持ちばかりが急いて、目の前の書類の文字が頭に入ってこなかった。それなのに、『待ってる』と返信がきた途端、スイッチが切り替わった。
藤川課長が何か言いたげだったが、そんなことはどうでも良かった。
笑いたきゃ笑え――。
俺は藤川課長を会議室に一人残して、八時には会社を出た。金曜の夜は人も車も多く行きかい、俺は電車の方が早いと判断して駅に走った。
咲に会いたくてたまらなかった。
咲を抱き締めたくて仕方がなかった。
部屋のドアが開いて、咲の顔を見たら、色んな感情が溢れて、夢中でキスをした――。
「ちょ……、待って――」
『待って』と言いながら俺の舌に絡みつく咲の舌の感触は、俺を煽るだけだった。
「無理」
俺はキスしたまま靴を脱ぎ、咲の身体を壁に押し付けた。
「ホントに……待って!」
咲の首筋に舌を滑らせ、彼女のシャツのボタンを一つ外した時、咲に足を蹴飛ばされて、ようやく俺は我に返った。
「いて――」
「待って!」
咲は真っ赤な顔をして、肩で息をしていた。
「火、つけっ放しなの!」と言って、咲は台所に走る。
ひとりで興奮して暴走していた自分が恥ずかしくなって、俺は大きなため息を漏らした。
発情期のガキかよ――。
リビングの方からほんのり焦げた匂いがした。せっかくの料理を焦がして、咲が怒っているのでは心配になって、リビングのドアから恐る恐る顔を覗かせた。
「咲……?」
咲は鍋をかき混ぜながら、俺を見てニコリと笑った。
「責任もって食べてね?」
「はい……」
俺は咲から冷えたビールを受け取り、スーツのジャケットを脱いでソファに腰を下ろした。
「で? 何かあったの?」
食事を運びながら、咲が聞いた。
「何かって?」
「だって……」と咲が口ごもる。
玄関先で盛ったことか……。
「情熱的な警告を聞いたら、理性が吹っ飛んだ」
今日の午後、昼休みの三課でのことを知っていると、咲に話していいものか考えていた。藤川課長には口止めはされていないけど、あえて知らせる必要もないような気もする。けれど、咲には嘘や秘密は通用しないだろう。
「警告?」
咲は何のことかわからないようで、キョトンと俺を見ていた。十秒程度で、咲の顔が急に赤くなった。
「もしかしてっ!」
「俺、あんな風に女に守ってやる宣言されたの初めて」
「あれはっ――!」と言いかけて、咲は口を閉ざした。
残りの食事をテーブルに並べ終えて、咲もビールの栓を開けた。今日は咲も一緒に箸を持つ。
「昨日さ、侑と飲みに行ったんだ」
俺は焦げかけたきんぴらごぼうを食べながら言った。
「本当は咲に会いたかったんだけどさ」
「私が『忙しい』って言ったからでしょ?」
「それもあるけど……。本音を言えば、咲との距離感? みたいのものがつかめなくて、連絡できなかった」
「距離感?」
咲は唐揚げをもぐもぐさせながら言った。俺も、唐揚げを頬張る。衣がサクッと音を立てた。
「俺さ、こんな風に女の部屋で手料理を食べるとかしたことなかったんだよね。仕事が充実してて楽しかったし、束縛したり束縛されたりするのは面倒だったし、時間のある時に会える関係が楽だったから」
咲は黙って聞いている。
「だから、咲とはどう付き合っていけばいいのか、咲はどういう関係を望んでるのか、ちょっと考えてて……って、なんで笑う?」
咲がくすくすと笑っていた。
「ごめんなさい。なんか、嬉しくって」
「何が」
「真剣に考えてくれてるんだなぁ、って」
「余裕なさ過ぎて格好悪いだろ」と、俺はビールの缶を空にした。
ビールを取りに立とうとした咲を制止して、俺が立ち上がった。
「冷蔵庫、開けていい?」
咲は頷いた。
「私も初めてだよ? 真と侑以外の男の人を部屋に入れるのも、手料理食べてもらうのも」
藤川課長と侑の次か……。
二人に嫉妬してる自分が情けなくて、冷蔵庫で頭を冷やしたくなる。
「私もまともな恋愛してこなかったから、自分が蒼とどう付き合っていきたいかとかわからないけど、こうして会いに来てもらったり、一緒に食事が出来るのは嬉しいよ?」
俺はビールの栓を開けて一口飲み、食事を続けた。
「お前とは探り合いしてる時間がもったいないから聞くけど……」
やっぱり、咲とはぶっちゃけて話した方がいいよな……。
「毎日会うとか、電話するとかうざいと思う?」
「うざい……とは思わないけど、現実的に無理があるかな」
これは俺が今の仕事を終えれば気にならないことか。
「仕事の話を聞かれるのは?」
「話せないこともあるってことを理解してくれた上でなら、話すよ」
まあ、そうだよな。
「結婚願望はある?」
「結婚……」テンポよく答えていた咲が口ごもった。
「願望はあるけど、それも現実的じゃないかな」
「どうして?」
「んー……、こんな仕事してるしねぇ」と言った咲も表情が、少し寂し気に感じた。
「私に結婚を迫られないか、心配?」
「え……?」
「それはないから安心して」
これ以上は聞いてはいけない気がした。
俺と咲は食事を終え、二人で後片付けをした。
「咲といると、初めてのことばっかりだな」
俺は咲が洗い終えた食器を拭きながら言った。
「女の家で過ごすのも、手料理食うのも、女と台所に立つのも初めてだよ」
一瞬、咲が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「さっきの話……」
「ん?」
「蒼はどうしたいの?」
咲は食器を洗い終えて、俺が拭いた食器を棚に戻す。
「蒼が会いたいと思う時に会えないこともあるし、蒼が聞きたいと思うことを話せないこともある。可愛げもないし、甘え上手でもないし……。正直、蒼が私の何がいいのかわからない」
「湯山さんの言うとおりだな」
俺は布きんを置いて、咲を抱き締めた。
「咲は自分を過小評価し過ぎだ――」
「そんなこと……」
「美人だとか料理が上手いとか褒めるところはたくさんあるけど、咲が川原に言ったあの言葉でますます惚れたよ」
「まさか……」
「実際に守ってほしいなんて思ってないけど、あの言葉は咲の本心だろう?」
俺は咲の唇に軽くキスをした。
「その気持ちが嬉しいってことだよ」
今度は深いキスをした。
「もう一つ聞きたいことがあるんだけど……」
「ん……?」と咲が息を漏らした。
「付き合って二週間でセックスは早い?」
咲は顔を伏せて、俺の肩にもたれる。
「早いって言ったらやめるの?」
「それが咲の本心なら……」
咲に何も言わせないように、俺は彼女の唇をしっかりと塞いだ。
俺の舌に絡みつく咲の舌がやけに甘くて、もっと欲しくなる。服の上から胸を撫でられて、咲が身体を強張らせた。焦る気持ちを悟られないように、ゆっくり彼女のシャツのボタンを外す。ボタンを三つほど外すと、彼女の胸が露わになった。ブラジャーをたくし上げたいのを我慢して、胸の谷間にキスをする。
「ん……」
咲が声を殺して俺の首に腕を回す。俺は自分の身体が熱を帯びて、彼女を求めて固くなるのを感じた。
咲の温かい吐息を耳元に感じて、彼女の首筋にキスをした時、スマホが震えながらベルを鳴らした。持ち主を必死で呼んでいるのは咲のスマホだ。
「出る……?」と聞きながら、俺は咲の胸に触れた。
「いい――」と言いながら、咲が俺にキスをした。
「今のは、どっちの『いい』?」と聞きながら、俺は咲の胸に舌を這わす。
「ばか……」と絞り出すように言った咲の声が、可愛かった。
咲のスマホが彼女を呼び続けるなか、今度は俺のスマホが鳴りだした。
嘘だろ……。
俺と咲は顔を見合わせて、呼び出しに応じた。
邪魔をした一人は侑だった。
「はい」と、俺は不機嫌さが伝わるように、言った。
『お前、今咲と一緒か?』
聞こえてきた侑の声は俺以上に不機嫌で、慌てているようだった。
「は? そうだけど……」
『咲と代わってくれ』
俺が咲を見ると、目が合った。けれど、数秒前までの甘い雰囲気で見つめ合うような視線ではなかった。
咲は慌てたようにスマホをテーブルに置き去りにして、俺に駆け寄った。
「もしかして、侑?」
「ああ、咲に代われって――」俺が言い終わらないうちに、咲は俺の差し出したスマホを半ば奪い取るように手に取った。
「侑?」
何事だ?
咲の様子からして、何かトラブルがあったことはわかる。
「ちゃんと説明するから、今は動かないで! 百合さんにも――」
ゆり?
「侑、今どこ?」
これは……セックスどころじゃなさそうだな――。
俺はため息をついて、冷蔵庫からビールを出した。