テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ハッピーエンド
26
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
昼どきの飯屋には、スープの湯気とパンを割る乾いた音が満ちていた。
客のざわめきの中で、四人が囲む卓だけ空気が張る。
ダリウスは顎を指でさすりながら言った。
「ダンジョンに挑むにあたって……あと一人必要だな」
エドガーは落ち着いた声で即答した。
「——巨人の城壁ですね」
ミラは首を傾げ、ぱちぱち瞬きをした。
「巨人?」
ダリウスはミラの方へ向き直り、苦笑して説明する。
「あぁ、盾が必要だ」
その瞬間、ミラは胸を張り、なぜか誇らしげに宣言した。
「バリアのおじさまね!」
卓が静まり返った。
エドガーは咳払いし、ダリウスは一度目を閉じて天井を見つめる。次の瞬間、話を進めるために折れた。
「あぁ……まぁ、そのバリアのおじさまだ。エドガー、どこにいるか知ってるか?」
エドガーは眉を寄せ、記憶を辿るように呟いた。
「引退後はエランテの外れの町で、優雅に過ごす……とは言っていましたが」
ミラは何かを悟ったように拳を握る。
「よしっ。バリアのおじさまを迎えに行こう!」
ダリウスとエドガーは同時に額を押さえ、次の瞬間に顔を上げた。
*
荒野の真ん中にある小さな町。
道はでこぼこで、乾いた土が靴にまとわりつく。風に削られた木造の家と古びた店が、左右にぽつぽつ並んでいた。
ミラは両手を口に添え、真剣な声で呼ぶ。
「バリアのおじさまー! バリアのおじさまー!
いたら返事をしてください!」
ダリウスは額を押さえながら、近くの町人へ声をかけた。
「この町にオットーという男がいると聞いたんだが」
町人はニヤッと笑って近づいてくる。目が先に笑い、口元だけが追いついた。
「あぁ、オットーならいつも酒場にいるぜ」
エドガーは一歩だけ姿勢を固くした。
「……酒場ですか?」
町人は笑いを堪えながら続けた。
「あんたら、あいつの知り合いか? 本当におかしいぜ。
いつも昔は“巨人の城壁”と呼ばれていたとかホラを吹いてよ」
笑いが混ざる。
「酒がないと手が震えるんだとさ。惨めなもんだ」
言葉が乾いた風に乗って刺さる。
ダリウスは静かに拳を握った。
エドガーは唇を結び、息を鼻からだけ吐く。
ミラは町人の顔と大人たちの顔を見比べ、眉を下げた。
探すべき仲間は、ただの「盾」ではなさそうだった。
*
陽は高いのに、酒場の中だけ沈んでいた。
木の扉を押し開けると、乾いた酒の匂いが鼻に絡み、古い木材が軋む音が足元で鳴った。
客は三人。店主、泥酔した中年男オットー、そして奥の席で黙って酒をなめる痩せた男。
カウンターには、三段腹を乗せた大男が突っ伏していた。
「久しぶりだな、オットー……それにしても太ったな」
ダリウスが目尻の力だけ抜き、昔の呼び方で声をかけた。
だが男はぎろりと薄い目を開き、誰何するように睨んだ。
「んぁ……? 誰だお前」
無精髭は伸び放題。頬は赤い。目の焦点は合っていない。
エドガーは呆れたように肩をすくめる。
「ダリウスですよ。私はエドガーです。……やれやれ、酒で脳まで漬け込みましたか?」
カウンターの隣にちょこんと座ったミラが、椅子の上で足をぶらぶらさせる。声だけ先に弾む。
「みんなで冒険に行きたいの。老齢の塔って場所で!」
オットーは一拍遅れて反応し、腹を揺らして大笑いした。
「ハッハッハ! お前らマジで言ってんのかぁ?
四十超えてるんだぞ? 冒険なんてできるかぁ!」
ダリウスは笑わない。
目を揺らさず、言葉を返した。
「それでも行く。お前がどれだけ笑おうと関係ない。
無謀だと陰で言われようと構わない。
——希望がある限り、ミラの将来を作る。それが俺の責任だ」
オットーは聞き流すつもりでいた。
だが杯の縁で指が止まり、笑いが途中で途切れる。喉が一度だけ鳴った。
肩がすとんと落ち、目線が杯の底に沈む。
「……俺の腹を見ろ。三十キロ太った。身体はガタガタ……
おまけに酒がねぇと手が震える……
この町の奴らはみんな俺を負け犬って笑う……
その通りだ……」
拳がカウンターに落ちる。
分厚い手の甲が震えていた。杯を掴もうとして滑り、指先が空をかいた。
「……知ってるだろ。俺には時間がもうねぇ」
ミラは首をかしげる。
「ねぇ、時間って?」
ダリウスとエドガーは返せなかった。
杯の底が木に触れる音がして、それきり間が落ちた。二人とも、心当たりがある顔だった。
やがてダリウスが口を開く。わざと明るくしようとして、声の出だしが硬い。
「で……でも、盾は健在だろ? あの頃のままの——」
「やめてくれ」
オットーは酒を一気に飲み干し、吐き捨てるように言う。
「あんなもん……今は埃かぶってるだけだ」
ミラは真剣な顔で胸元からノートを取り出し、さらさらと書く。
「バリアのおじさま……メタボ……飲んだくれ……よし!」
ダリウスとエドガーは同時に眉を寄せた。
「ミラ、それ……何のリストだ?」
「今のおじさまをサマライズしてみたの!」
オットーはカウンターで崩れ落ちる。
店主は肩をすくめ、布巾でカウンターを拭きながら杯を滑らせた。
言葉を失った空気の中で、エドガーが静かに口を開く。声は平らなのに、芯がある。
「……私も今は老眼で、魔導書を読むのもままなりません。
ですが——工夫すれば、何とでもなります」
オットーは杯に酒を注ぎながら、口角だけ上げた。目は笑っていない。
「ハハ……確かにいいかもな。
このままここで朽ちるより……
お前らと最後に行って、心中するのも……悪くねぇな」
空気が沈む。店主の手が止まった。隅の痩せた男が視線を逸らす。
ダリウスはオットーに背を向け、表情を見せなかった。肩が一度だけ上下する。怒りを飲み込む音が、声に混ざる。
「……他を当たろう」
「……え?」
ミラが反射的に小さく声を漏らす。
「ダリウス、さすがに……オットーさん、このままにしておけないよ!」
ミラの声には心配だけがあった。
エドガーも冷静に現実を告げる。
「飲んだくれでも、オットーの戦力は無くてはならない。
他の盾職では代わりが務まりません」
だがダリウスは振り返らない。
拳をゆっくり握り、声を強くする。
「俺たちは……死にに行くんじゃない」
酒場の空気がきしむ。
「たしかに俺たちは年を取った。
昔みたいに動けないし、すぐ息も上がる」
それでも、と続ける声は揺れない。
「醜くてもいい。足掻いて、生きて帰る。
——心中なんて望んでない。
そんな覚悟なら必要ない。他を当たろう」
オットーの太い腕が震える。酒のせいじゃない。
ミラは不安げにオットーを見る。
エドガーは眉間を押さえ、手を下ろして立った。椅子がきしむ。
「はぁ……あなたという人は、昔から……」
そう呟きながらも、ダリウスの後に続く。
酒場の扉が重く閉じる音が響いた。
残されたオットーは、空の杯を見つめたまま動かない。
背中は丸い。だが、その丸さの中に、踏み出せない時間が詰まっていた。