テラーノベル
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昼どきの飯屋には、スープの湯気とパンを割る乾いた音が満ちていた。
客のざわめきの中で、四人が囲む卓だけ空気が張る。
ダリウスは顎を指でさすりながら言った。
「ダンジョンに挑むにあたって……あと一人必要だな」
エドガーは落ち着いた声で即答した。
「——巨人の城壁ですね」
ミラは首を傾げ、ぱちぱち瞬きをした。
「巨人?」
ダリウスはミラの方へ向き直り、苦笑して説明する。
「あぁ、盾が必要だ」
その瞬間、ミラは胸を張り、なぜか誇らしげに宣言した。
「バリアのおじさまね!」
卓が静まり返った。
エドガーは咳払いし、ダリウスは一度目を閉じて天井を見つめる。次の瞬間、話を進めるために折れた。
「あぁ……まぁ、そのバリアのおじさまだ。エドガー、どこにいるか知ってるか?」
エドガーは眉を寄せ、記憶を辿るように呟いた。
「引退後はエランテの外れの町で、優雅に過ごす……とは言っていましたが」
ミラは何かを悟ったように拳を握る。
「よしっ。バリアのおじさまを迎えに行こう!」
ダリウスとエドガーは同時に額を押さえ、次の瞬間に顔を上げた。
*
荒野の真ん中にある小さな町。
道はでこぼこで、乾いた土が靴にまとわりつく。風に削られた木造の家と古びた店が、左右にぽつぽつ並んでいた。
ミラは両手を口に添え、真剣な声で呼ぶ。
「バリアのおじさまー! バリアのおじさまー!
いたら返事をしてください!」
ダリウスは額を押さえながら、近くの町人へ声をかけた。
「この町にオットーという男がいると聞いたんだが」
町人はニヤッと笑って近づいてくる。目が先に笑い、口元だけが追いついた。
「あぁ、オットーならいつも酒場にいるぜ」
エドガーは一歩だけ姿勢を固くした。
「……酒場ですか?」
町人は笑いを堪えながら続けた。
「あんたら、あいつの知り合いか? 本当におかしいぜ。
いつも昔は“巨人の城壁”と呼ばれていたとかホラを吹いてよ」
笑いが混ざる。
「酒がないと手が震えるんだとさ。惨めなもんだ」
言葉が乾いた風に乗って刺さる。
ダリウスは静かに拳を握った。
エドガーは唇を結び、息を鼻からだけ吐く。
ミラは町人の顔と大人たちの顔を見比べ、眉を下げた。
探すべき仲間は、ただの「盾」ではなさそうだった。
*
陽は高いのに、酒場の中だけ沈んでいた。
木の扉を押し開けると、乾いた酒の匂いが鼻に絡み、古い木材が軋む音が足元で鳴った。
客は三人。店主、泥酔した中年男オットー、そして奥の席で黙って酒をなめる痩せた男。
カウンターには、三段腹を乗せた大男が突っ伏していた。
「久しぶりだな、オットー……それにしても太ったな」
ダリウスが目尻の力だけ抜き、昔の呼び方で声をかけた。
だが男はぎろりと薄い目を開き、誰何するように睨んだ。
「んぁ……? 誰だお前」
無精髭は伸び放題。頬は赤い。目の焦点は合っていない。
エドガーは呆れたように肩をすくめる。
「ダリウスですよ。私はエドガーです。……やれやれ、酒で脳まで漬け込みましたか?」
カウンターの隣にちょこんと座ったミラが、椅子の上で足をぶらぶらさせる。声だけ先に弾む。
「みんなで冒険に行きたいの。老齢の塔って場所で!」
オットーは一拍遅れて反応し、腹を揺らして大笑いした。
「ハッハッハ! お前らマジで言ってんのかぁ?
四十超えてるんだぞ? 冒険なんてできるかぁ!」
ダリウスは笑わない。
月咲やまな
#赤ずきん
目を揺らさず、言葉を返した。
「それでも行く。お前がどれだけ笑おうと関係ない。
無謀だと陰で言われようと構わない。
——希望がある限り、ミラの将来を作る。それが俺の責任だ」
オットーは聞き流すつもりでいた。
だが杯の縁で指が止まり、笑いが途中で途切れる。喉が一度だけ鳴った。
肩がすとんと落ち、目線が杯の底に沈む。
「……俺の腹を見ろ。三十キロ太った。身体はガタガタ……
おまけに酒がねぇと手が震える……
この町の奴らはみんな俺を負け犬って笑う……
その通りだ……」
拳がカウンターに落ちる。
分厚い手の甲が震えていた。杯を掴もうとして滑り、指先が空をかいた。
「……知ってるだろ。俺には時間がもうねぇ」
ミラは首をかしげる。
「ねぇ、時間って?」
ダリウスとエドガーは返せなかった。
杯の底が木に触れる音がして、それきり間が落ちた。二人とも、心当たりがある顔だった。
やがてダリウスが口を開く。わざと明るくしようとして、声の出だしが硬い。
「で……でも、盾は健在だろ? あの頃のままの——」
「やめてくれ」
オットーは酒を一気に飲み干し、吐き捨てるように言う。
「あんなもん……今は埃かぶってるだけだ」
ミラは真剣な顔で胸元からノートを取り出し、さらさらと書く。
「バリアのおじさま……メタボ……飲んだくれ……よし!」
ダリウスとエドガーは同時に眉を寄せた。
「ミラ、それ……何のリストだ?」
「今のおじさまをサマライズしてみたの!」
オットーはカウンターで崩れ落ちる。
店主は肩をすくめ、布巾でカウンターを拭きながら杯を滑らせた。
言葉を失った空気の中で、エドガーが静かに口を開く。声は平らなのに、芯がある。
「……私も今は老眼で、魔導書を読むのもままなりません。
ですが——工夫すれば、何とでもなります」
オットーは杯に酒を注ぎながら、口角だけ上げた。目は笑っていない。
「ハハ……確かにいいかもな。
このままここで朽ちるより……
お前らと最後に行って、心中するのも……悪くねぇな」
空気が沈む。店主の手が止まった。隅の痩せた男が視線を逸らす。
ダリウスはオットーに背を向け、表情を見せなかった。肩が一度だけ上下する。怒りを飲み込む音が、声に混ざる。
「……他を当たろう」
「……え?」
ミラが反射的に小さく声を漏らす。
「ダリウス、さすがに……オットーさん、このままにしておけないよ!」
ミラの声には心配だけがあった。
エドガーも冷静に現実を告げる。
「飲んだくれでも、オットーの戦力は無くてはならない。
他の盾職では代わりが務まりません」
だがダリウスは振り返らない。
拳をゆっくり握り、声を強くする。
「俺たちは……死にに行くんじゃない」
酒場の空気がきしむ。
「たしかに俺たちは年を取った。
昔みたいに動けないし、すぐ息も上がる」
それでも、と続ける声は揺れない。
「醜くてもいい。足掻いて、生きて帰る。
——心中なんて望んでない。
そんな覚悟なら必要ない。他を当たろう」
オットーの太い腕が震える。酒のせいじゃない。
ミラは不安げにオットーを見る。
エドガーは眉間を押さえ、手を下ろして立った。椅子がきしむ。
「はぁ……あなたという人は、昔から……」
そう呟きながらも、ダリウスの後に続く。
酒場の扉が重く閉じる音が響いた。
残されたオットーは、空の杯を見つめたまま動かない。
背中は丸い。だが、その丸さの中に、踏み出せない時間が詰まっていた。
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