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非公開会議から一週間で、久世家を取り巻く問題は表面化した。
融資審査は停止。
外部監査が入り、親族役員への報酬、関連会社への委託費、義母の美容医療を広報・接遇費として計上した経緯が調べられる。
遼介も大学病院から事情聴取を受けた。不倫そのものだけではなく、院内職員との長期関係、中絶をめぐる圧力、沙耶の調査へ影響を与えようとした言動が問題になっている。
私は旧宅から私物を運び出し、実家近くの賃貸へ移った。
結婚指輪は外した。
義父から最後に話したいと連絡が来た時も、一人では行かなかった。母とともに久世家を訪れ、橘には別室で待機してもらった。
応接間へ入ると、高価な調度品は以前と同じ場所にある。けれど、新棟完成予想図は壁から外され、机には金融機関からの通知書が積まれていた。
義父は、謝罪より先に書類を差し出した。
「病院が潰れれば、何百人もの職員が路頭に迷う」
「再建を妨害したのは私ではありません」
「遼介とは離婚してもいい。形だけ理事へ残り、産婦人科責任者として名前を貸してくれ」
「責任を負わず、名前だけ貸せる役職ではありません」
「実務は別の者へ任せる」
「金融機関を再び誤認させるつもりですか」
義父の顔が赤くなる。
「家族の病院を救う話だ」
「私は、その家族から離れます」
「久世家へ迎えてやった恩を」
「娘は、あなたの家の名前で医師になったのではありません」
「母親は黙っていてください」
「母子家庭を理由に娘を侮辱したのは、そちらでしょう」
声は大きくない。それでも、部屋の空気が変わった。
「夫が病気で亡くなったあと、私は二人の娘を育てました。裕福ではなかった。でも、他人の名前と信用を使って、自分を大きく見せる生き方は教えていません」
「医療法人経営を知らない人間に」
「知りません。でも、説明もせず、借金のある病院へ娘を入れようとすることが誠実でないのは分かります」
「お前から説得しろ」
義父は答えず、遼介がこちらへ向き直った。
「親父の病院は、売却か大幅な縮小になる。君なら救える」
「救える可能性と、救う義務があることは別よ」
「父さんも母さんも、もう年だ」
「経営判断をした人たちが責任を取るべきでしょう」
「俺が妻にしたいのは君だけだ」
「妻にしたいのではなく、娘を働かせたいのでしょう」
母の短い言葉が、私が何度説明しても認めなかった本音を言い当てた。
妻として愛しているのではない。妻の場所に置いて、働かせたい。
遼介の顔が強張ったことで、かえって答えが見えた。
「違います。俺は千紘を愛している」
「愛している娘へ、親友と妹を妊娠させたの?」
「それと病院は別です」
「都合の悪いことだけ、いつも別になるんですね」
その横で、義母がハンカチを目元へ押し当てた。濃い化粧の下に、黄色くなりかけた内出血が透けている。
「男の遊びくらい、見逃せばよかったのよ。妻なら家庭を守るものだわ」
「お義母さんは、見逃してきたんですか」
「余計なことを言うな」
義父が義母に向けたその一言で、答えは分かった。
義母が頬へ手を添え、低い声で言う。
「院長夫人は病院の顔だと、何十年も言われた。皺が増えれば疲れて見える、太れば自己管理ができないと思われる。最初に美容クリニックへ連れていったのも隆一郎さんよ」
「それから、ずっと言われるまま受けてきたんですか」
義母の指が、頬から顎、目尻へ動いた。
「最初はね。でも、目元を直したら頬が気になった。頬を上げたら口元が下がって見えた。鏡を見るたび、前は気づかなかったところが目につくようになったの」
「だから、何度も修正を?」
「途中で止めたら、崩れた顔だけが残るでしょう。次で綺麗になると思ったのよ。次こそ、昔の私へ戻れるって」
声が速くなる。
「来週は顎、その次は目の下を直す予定だった。監査なんて入ったせいで、病院から費用を出せないと言われたの。千紘さんが余計なことをしなければ、こんな――」
「お義母さん。始まりは、お義父さんに外見を求められたことかもしれません。でも、今も施術を選び続けていることと、その費用を病院へ負担させたことまで、お義父さんだけの責任にはできません」
「私が悪いと言うの?」
「止められなくなっているなら、必要なのは次の予約ではなく、治療と相談です」
「私は病気じゃない!少し直せば、元へ戻れるだけよ。私はまだ失敗していない!!」
即座に叫び、腫れた頬を手で隠した。
『次で終わる』『まだ失敗していない』
その言葉を聞いていると、胸がざわついた。
止められない人ほど、自分はいつでも止められると言う。義母は、もう自分の顔を直しているのではなく、不安から逃げるために次の施術を探していた。
「病院の経費へしたのも?」
「隆一郎さんが、院長夫人として必要な費用だと」
「お義母さんも同意したんですね」
「妻は夫を支えるものなの」
「支えたことを、次の妻へ義務として渡さないでください」
義母の瞳に涙が浮かんだ。
「私が耐えた人生は、何だったの」
「私が同じ苦しみを選んでも、お義母さんの人生が正しくなるわけではありません」
義母が可哀想だとは思った。
夫の遊びに耐え、院長夫人は病院の顔だと言われ続けた。それが最初の施術へ向かわせたのだろう。
でも、可哀想だから何をしても許されるわけではない。
今は自分でも止められず、病院の金で施術を重ね、私へも同じ我慢を求めている。
過去に傷つけられたことを、次の人を傷つける理由にはさせたくなかった。
義父が机を叩く。
「女同士の感情論は後にしろ」
「今の話を感情論として切り捨ててきた結果が、この家でしょう」
母が言い返した。
遼介は父を止めず、母を庇わず、私が理事就任を受ける可能性だけを探している。
この家では、誰も名前で見てもらえない。
当主、院長夫人、後継者、産婦人科を担う嫁。
役目を果たす間だけ価値があり、外れようとすれば恩知らずになる。
私はもう、その中へ戻りたくなかった。
「病院のことは、経営を担う方々で処理してください。離婚手続きは予定どおり進めます」
「千紘、待て」
「次の連絡は橘先生へ」
玄関を出ると、母が私の手を握った。
「今まで、助けに来るのが遅くてごめん」
「お母さんは悪くない。私が幸せだと言っていたから」
「これからは、平気じゃない時に平気な顔をしなくていい」
母の手を握り返した。
その夜、勤務先から連絡が入る。
真帆が妊娠三十八週で破水し、胎児心拍に異常が出て救急搬送された。
白波 灯
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鬼霧宗作
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コメント
1件
いやもう、読んでて胸が苦しくなった……。 久世家の本音がバーンって全部出てきて、特に義母の「私が耐えた人生は、何だったの」には心臓がギュッてなったよ。可哀想だって思うけど、だからって自分と同じ苦しみを嫁に強いていいわけじゃないんだよね。千紘ちゃんがちゃんと一線引いて、「療養と相談が必要」って言えたのが強かった。 最後の真帆の知らせでまた秒で引き込まれる構成、やっぱり上手いなあ。次どうなるか気になって仕方ないよ…!