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俺は真さんだけがさほど驚いていないことに気が付いた。むしろ、俺と侑の反応を楽しんで声を殺して笑っていた。

「真さん?」

「悪い……。今日、ここでお前らと飲むことは知らせてあったんだ。さっき、まだ店にいるかってメッセが入ってたから返信しといた」と、真さんはスマホを見せて言った。

「頭が良過ぎて気の強い女に構わず、話を続けて? 従順な女の次はキレッきれの女で、その次は?」

咲の冷ややかな視線と笑みに、俺は背中が汗ばむのを感じた。

「いつから聞いてたんだよ――」

「百合は?」

俺と咲の微妙な空気を裂くように、侑が聞いた。

「体調が悪いって、今日は早くに帰った」

咲は部屋のドアを閉めて、真さんの隣に座った。真さんの飲みかけのビールを口にした。

くだらないとわかっていても、二週間ぶりに会社の外で会ったというのに、俺以外の男の隣にいるのを見るのは面白くない。

「体調が悪いって――」と言い、侑は腕時計に目をやった。

午後十時半。

「侑、百合さんはそれほど強くないよ?」

「は?」

「百合さんがずっと悩んでたの、気付かなかったの?」

咲の、低く静かな口調には覚えがある。川原を追い詰めた時と同じだ。

「悩んでるって……」

侑も、咲の、狙いを定めた獣のような、突き刺すような空気を感じ取って、表情が強張る。

「侑ってさ――」

ドアがノックされて、バーテンダーが入ってきた。咲が注文していたらしい。ビールのグラス四つをテーブルに置いて、「ごゆっくりどうぞ」と言って空のグラスを持ったバーテンダーは出て行った。

「侑は百合さんと結婚とか考えてるの?」

唐突に、咲が聞いた。

「はっ? なに……」

予想外の質問に、侑が言葉に詰まった。

「百合さん、プロポーズされたって」と言って、咲はビールグラスに口をつけた。


プロポーズってまさか……和泉兄さん?


侑が無表情で固まっていた。

さすがに真さんも初耳らしく、驚いた表情を隠せずにいた。

「侑は、百合さんが侑からのプロポーズを待ってるって思ったことないの?」

「いや……、俺だって――」

「俺だって? 百合が望むなら結婚するつもりでいる、って?」

咲が怒っている。


でも、なぜだ?


「侑のそういうの、優しさじゃないよね」

咲は一気にビールを飲み干した。

「男にしたら、女の気持ちを尊重してるとか、タイミングを待ってやってるって優越感に浸ってるのかもしれないけど、女にしたらズルいだけだよ? とどのつまりが丸投げってことでしょ?」

「咲、そんな言い方――」

『結婚とか考えてるのか?』

『別れが想像できないから、選択肢の一つとしてあり得ないことではないって感じで、相手次第だな』

俺は咲をたしなめようとして、侑との会話が頭をよぎった。

そして、俺も侑の考えに同調したことも。

侑も同じことを考えたようで、チラッと俺を見た。

「ねぇ……。結婚を考えてる、とか、結婚してもいい、とかじゃなく、結婚したい、結婚しよう、って伝えたことある?」

侑も俺も、ハッとした。

「言葉にしなきゃ伝わらないことってあるでしょう? そして、それを一番最初に伝えてくれた人は、どんな結果であれ、一生忘れられない人になるんだよ――?」

侑は部屋を飛び出していった。

「なんかあったのか?」と、真さんが聞いた。

「あんな言い方して館山を追い詰める理由」

「追い詰める? 背中を押してあげただけだよ」

咲はふぅっと息を吐いた。

「近々、また騒ぎがある」

「騒ぎ?」

「そ、しばらくプライベートで百合さんと侑が会うことは出来なくなるから、今のうちにと思ってね」と言って、咲は俺に目を向けた。

すっかり存在を忘れられているのかと、俺は不機嫌だった。

「私もまたしばらく忙しくてプライベートなんてなさそうだから、誰かさんの顔を見に来たんだけど! 昔の女話で楽しそうだったから! ちょっと意地悪したくなったの‼」

咲はふくれっ面で言った。

「くくっ――。お前のそんな顔、久しぶりに見たな」と真さんが笑いながら、席を立った。

「今日は優しいお兄さんが奢ってやるよ。お前らも楽しめ」

真さんが財布から一万円札を二枚出して、テーブルに置く。俺は「ご馳走様です」と言って、真さんの背中を見送った。

「お腹空いた」

咲がポツリと言った。

「何、食べる?」

俺は聞いた。

咲は数秒、俺をじっと見て目を逸らした。

「いい……帰る」

「咲?」

「いいの」

見るからに何か言いたげな顔をして、咲は口をつぐんだ。

「言いたいこと、あるんだろ?」

咲は何も言わなかった。

「二週間も放置して電話もメッセもなかったくせに、なんだよその態度」

自分でも、大人気ないと思う。

けれど、会いたいのを我慢していた俺の気持ちも知らずに、昔の女の話をしていただけで不機嫌になって、貴重な二人きりの時間に水を差す咲の態度に苛立つ。


なんだよ、久しぶりに会えたってのに――。


「そ。じゃあ、送る」

俺は投げ捨てるように言った。

会計を済ませると、俺は半ば強引に咲の腕を引いて、店を出た。

金曜の夜だけあって、店を出るとすぐにタクシーが客待ちをしていた。咲と乗り込んだ俺は、運転手に俺のマンションの住所を伝えた。

咲は何も言わなかった。

部屋に入るなり、俺が咲のスカートをたくし上げても、言葉もなくキスをしても、愛撫もおざなりに挿入ても、咲は何も言わなかった。

自分でも、どうしてこんなに苛立っているのかわからなかった。

いや、わからないふりをした。

苛立ってるんじゃない。

俺は、怖いんだ。

『私が蒼の邪魔になる時が来たら迷わず手を離してね』

咲の言葉が耳から離れない。

『私は犯罪者よ』

咲の横顔が瞼から離れない。

『結婚願望はあるけど、現実的じゃないかな』


それはつまり、俺との結婚が現実的じゃないってこと?

相手が俺じゃなかったら、築島の人間じゃなかったら、咲の願望は現実になる?


咲を失った自分の姿が頭から離れない。

俺は不安を打ち消すように、咲は俺の女だと身体で確かめるように、何度も咲を抱いた。

咲は何も言わなかった。

初めて咲を抱いた日、俺は和泉兄さんに会った。

和泉兄さんは清水の事件については、何も言わなかった。代わりに、忠告された。

『蒼、グループを率いる人間の隣に立つ意志と覚悟を持つ女を選べ』

『お前の感情を乱すような女はやめておけ』

咲を否定されたと思った。

自分は部長クラスの元カノにプロポーズしたくせに、俺にはそれを許さないってことかよ?

「絶対、放さない……」

俺は絞り出すように呟いた。

「絶対、放さない――」

今度は咲に言い聞かせるように、きっぱりと言った。


咲は静かに一筋、涙を流した――。


翌日、俺は着信音で目を覚ました。

咲の姿はない。

俺は、年甲斐もなく泣きそうになった。


あんなセックスをして、嫌われたかもしれない……。


鳴り続ける着信音に、感傷に浸る間もなく、俺はスマホの〈応答〉ボタンを押した。

相手は充兄さんだった。

「もしもし?」

『よう、寝てたか?』

一言で、楽しい話ではないことがわかるような、緊張感のある低い声。

「うん……」

『起き抜けに重い話で悪いけど、月曜九時から本社の大会議室で臨時の取締役会議をする』

「ずいぶん……急だね」

ふと、『近々、また騒ぎがある』と言った昨日の咲が思い出された。


これのことか……?


『今回はお前も出席しろ』

「え……」

一応、取締役の肩書を持ってはいるが、名刺にも載せていない、本当にお飾りの肩書。だから、よほどの会議でなければ出席していなかった。

『蒼、お前もそろそろ腹をくくる時期だ』

「は?」

『お前はT&Nをどうしていきたいか、考えたことあるか?』

「なんだよ、急に」

『俺もお前も、T&Nとどう向き合うかを決める時期だってことだよ』

いつもストレートにものを言う充兄さんらしくない、含みのある言い回しが気にかかった。

『お前は、このまま現場で好きなことだけやって、固定給とわずかな役員報酬をもらって終わるつもりか? T&Nの全体でも一部でも、自分の思うように形作りたいとは思わないのか?』

考えたことがないわけじゃない。

『どの部門のトップも高齢で、世代交代の時期に来ている。お前はどのポジションでT&Nを率いていくのか、支えていくのか、考えておけ』

和泉兄さんといい、充兄さんといい、俺に何をさせようとしている?

『月曜の九時、遅れるなよ』

俺の返事を待たずに、充兄さんは通話を終えた。

『蒼、グループを率いる人間の隣に立つ意志と覚悟を持つ女を選べ』と、和泉兄さんは言った。

『お前はどのポジションでT&Nを率いていくのか、支えていくのか、考えておけ』と、充兄さんは言った。


俺は、身支度を整えて、マンションを飛び出した――。

女は秘密の香りで獣になる

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