テラーノベル

テラーノベル

テレビCM放送中!!
テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

放課後の空は、晴れたようで晴れていなかった。

雲の切れ間から差す光は弱く、校舎の窓にまだ水滴が残っている。さっきまで激しく降っていた雨は一旦止んだものの、湿った風が服を重くした。


廊下で荷物をまとめていると、背後から声が落ちてきた。


「……帰んの?」


振り向けば、晴弥がそこにいる。

無愛想な、いつも通りの顔。だけど、声は少しだけ柔らかかった。


「うん。そろそろ」


朔が答えると、晴弥は何も言わず、当たり前のように歩き出した。


「……ついてきてる?」


問い返すと、晴弥は前を向いたまま、短く言った。


「送る」


拒む理由は、ない。

ただ、驚きと戸惑いで、頷くまでに一拍遅れた。


校門を出る。

濡れたアスファルトが夕日を鈍く照り返している。

濃い雲がまだ空の半分を覆い、どこか不安定な色をしていた。


並んで歩いても、手の甲が触れることはない。

けれど、距離はいつもより近かった。

朔が半歩分だけ前に出ると、晴弥の靴音が自然に合わせてくる。


無言のまま歩く時間が、妙に長く感じた。

言葉がないのに、言葉にできない何かばかりが満ちてくる。


「……ここ、俺んち」


住宅街の途中、塀も高くなく、特徴のない家の前で晴弥が立ち止まった。

玄関灯はついていない。

窓にはカーテンがぴたりと降り、生活の気配が見えなかった。


「まだ誰も帰ってないの?」


朔が訊くと、晴弥は視線を落としたまま答える。


「父さん、遅いから」


それ以上何も言わないのに、言いたくないことがそこにあるのがわかった。

聞いちゃいけないものに、指先が触れたような感覚。


沈黙が落ちる。

蝉の声だけが、遠くでかすれている。


そのとき、ぽつ、と朔の頬に冷たいものが落ちた。

反射的に空を仰ぐと、雲がまた厚みを増している。


「……降る」


晴弥が短く言うと、朔の手から傘を奪うように取った。

器用に開き、自然に朔の頭上へ差し出す。


「風邪治ったばっかだろ。濡れんな」


言葉はぞんざいなのに、傘は朔の側へ深く傾けられていた。

晴弥の右肩は、もう濡れ始めている。


「でも……晴弥の方、濡れてる」


朔が言うと、晴弥は眉を寄せた。


「俺はいいんだよ」


声が少し強くて、朔は言い返すことができなかった。


指先が、柄の上でかすかに触れた。

その瞬間――晴弥の指がぴくりと震え、まるで触れられることに慣れていない子どものように、小さく息を呑んだ気配がした。


朔はそっと視線を晴弥に向ける。

濡れた前髪の影に隠れた横顔。

固く結ばれた唇。

押し殺した何かを飲み込む喉が、ぎこちなく上下する。


(ひとりで、全部我慢してきた人なんだ)


胸の奥が、じわりと締めつけられる。


「……ありがとう」


朔が言うと、晴弥はほんの一瞬だけ、目を見開いた。

けれど次の瞬間には、いつもの不器用な仏頂面に戻る。


「別に。……面倒だから」


面倒なら、こんな優しさを向ける必要もないのに。

その矛盾が、晴弥という人だった。


玄関の前に立つ二人。

雨脚は次第に強まっていく。

傘の内側に落ちる水音が、二人の沈黙の代わりに話していた。


朔は覚悟を決めるように口を開いた。


「……また明日も、話せる?」


晴弥は少しだけ驚いた顔をして、朔を見た。

暗くなりかけた空を背景に、その瞳が微かに揺れる。


「話すことなんか、ねぇだろ」


言葉は拒絶なのに――

声が、優しかった。


朔は小さく笑って、傘を握る手に力を込めた。


「じゃあ、話すこと、つくるよ」


晴弥は答えない。

ただ、目を逸らす。

でもその頬の端が、かすかに赤い気がした。


「……帰れよ」


背中を向けかけた晴弥の腕を、朔はほんの一瞬だけ掴んだ。

濡れた布越しに触れた体温が、確かにそこにある。


「晴弥」


呼んだ名が、雨音に溶けずに届いた。

晴弥は振り返らないまま――


「……また明日」


かすれるように、その言葉だけを落とした。


それは、約束にも似た音だった。


朔は手を離し、ゆっくりと家路につく。

背中に視線を感じて、思わず振り向いたが――

晴弥はもう、扉の前で動かずにいた。


降りしきる雨の中。

ぽつんと取り残された影が、ひどく孤独で。

それでも――どこか、救いを求めているように見えた。


(弱さまで、隠そうとするんだ)


傘の内側で、朔はそっと呟く。


――なら、俺が見つける。

――俺が気づく。


雨粒がまた、二人の距離に線を引く。

けれど朔の心は、もうその線を越えていた。


この作品はいかがでしたか?

10

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚