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#異能力バトル
於田縫紀
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第9話 そっちの問題
朝の教室は、もう最初から答えを知っている顔をしていた。
窓から入る光。
机の天板の細い傷。
黒板の下の、昨日の消し残し。
それらは何もしゃべらない。
なのに、教室に入った瞬間、もう何か言われたあとみたいな感じがある。
ミチルは扉を開ける前に、制服の袖を少しだけ引いた。
意味はない。
意味がなくても、手は勝手に動く。
右手の親指が左手のあかぎれをなぞる。
そこだけが、小さいけれど、今日の痛みだった。
扉を開ける。
何人かが見る。
すぐに見ないふりをする。
でも、見たことはわかる。
前なら視線だったものが、今は空気の向きになっている。
「おはよ」
ヒナが言う。
肩の少し上でそろえた髪の毛先が小さくはねる。
細い指でノートの角をそろえながら、顔だけこちらへ向ける。
「……おはよ」
返す。
返した声は、まっすぐ届かず、机の間へ落ちる。
ユウタが後ろで笑う。
鼻で鳴る短い笑い。
それにサエがつられる。
口元を手で隠しながら、目だけがこっちを見る。
「もう朝から顔やば」
だれかが言う。
「機嫌悪そう」
別のだれか。
ミチルは席へ向かった。
その途中、机の端にかばんが少しはみ出している。
ほんの少し。
前なら、自分でよけて座っていただけのこと。
今は、そのはみ出しかたまで意味を持ちそうで、足が一瞬止まる。
「ほら」
サエが笑う。
「そういうとこ」
その言葉に、もう説明はいらない。
足を止めるのも、様子を見るのも、躊躇うのも、全部同じ箱へ入る。
ミチルは座った。
椅子の脚が床をこする。
それだけでユウタが言う。
「威圧感あるんだよね」
威圧感。
その言葉は、何か起きたあとに生まれるはずのものだ。
でもこの教室では、先に置かれる。
先に置かれたものに、あとから理由が集まってくる。
ナナカは頬杖をついたまま、静かにこちらを見た。
肩より少し下まで落ちる髪。
前髪の下の目だけが先に動く。
口元はやわらかい。
「ミチルってさ」
それだけで、まわりの音が少し薄くなる。
「なんでそういう空気になるかわかってる?」
わかってる。
わかってない。
どっちでも詰む問いだと、もう体が知っていた。
「知らない」
ミチルは言う。
小さく。
でもはっきり。
ユウタが笑う。
「出た」
サエも重ねる。
「またそれ」
後ろの女子が言う。
「でも、知らないってことないよね」
だれが最初か分からないまま、教室のあちこちから同じ向きの声が出る。
「毎回そうじゃん」
「結局、そっちの問題だよね」
その言葉が、教室の真ん中へ置かれた。
そっち。
あんた、よりも遠い。
でも、遠いぶんだけ人数が入る。
ナナカひとりではなく、教室のこちら側全体から言われている感じになる。
ミチルは机の木目を見た。
細い線がいくつも走っている。
たぶん別の日についた傷なのに、近くで見ると一つの模様みたいだ。
「問題って何」
言ってから、しまったと思う。
でも口から出たものは戻らない。
ナナカは少しだけ首をかしげた。
「何って」
一拍。
「だれといても空気悪くすること」
二拍。
「言い方きついこと」
三拍。
「顔」
それで終わる。
顔。
言い方。
空気。
全部、輪郭の曖昧なものばかりだ。
曖昧だからこそ、どこまでも使える。
「してない」
ミチルは言った。
それしかなかった。
「してるよ」
サエ。
「毎回」
ユウタ。
「前から」
後ろの女子。
前から。
またその言葉が出る。
過去が、今を支える杭みたいに打たれていく。
一時間目の授業は英語だった。
教師が教科書を開かせる。
ページをめくる音。
ノートに日付を書く音。
窓の外を風が通る。
ミチルは前を向いたまま、なるべく何も出さないようにしていた。
表情も。
ため息も。
机に触れる指も。
でも、何も出さないようにしている感じまで、この教室では見つかる。
「今、絶対イラついてるよね」
後ろから小さい声。
「わかる」
すぐ別の声。
「そりゃ、注意されたらムカつくでしょ」
「だからそういう顔なんだ」
因果が、あとからつく。
原因があって表情になるのではなく、
表情があるから、そこへ原因が差しこまれる。
教師が当てたのはリオだった。
リオが立つ。
あごの少し下で切られた髪の毛先が、立ち上がるときに外へ少し向く。
教科書を持つ。
読む。
声は少し低めで、途中で一度だけ詰まる。
ミチルは前を向いていた。
向いているしかなかった。
でも読み終わったあと、だれかが後ろで言う。
「今、絶対また見てた」
「見てない」
反射で返す。
するとユウタが笑う。
「やっぱそこ反応するんだ」
サエが言う。
「気にしてるってことじゃん」
後ろの女子が続く。
「やましいからでしょ」
やましい。
その言葉まで、あとから置かれる。
ミチルは喉の奥が乾くのを感じた。
見ていないことも、もう見ていることの裏返しにされる。
気にしないことは冷たいことになり、
気にすることは図星になる。
授業の終わり、教師が「じゃあペアで確認して」と言う。
すぐにあちこちで机が寄る。
それなのに、ミチルの周りだけ、わずかに遅れる。
その遅れに、もうだれも驚かない。
どの席が先に組むか、どの席が自然に外れるか。
それまで、教室の中で呼吸みたいに決まっていた。
最後にヒナが、少し迷ってからこちらへノートを向けた。
「ここ、合ってる?」
やさしい声。
でも、そのやさしさにも距離がある。
ミチルはノートを見る。
細い指でそろえられた文字。
きれいな行。
答えは合っていた。
「合ってる」
「うん」
それだけのやりとり。
でも、後ろからだれかが言う。
「声こわ」
笑いが起きる。
だれも大きくは笑わない。
でも数がある。
ヒナがすぐに「そんなことないよ」と言う。
言うけれど、前より弱い。
前より長く残らない。
「いや、普通にこわかった」
ユウタ。
「そういうとこが空気悪くするんだよね」
サエ。
その言葉は、もう原因を説明しているようでいて、説明ではない。
空気が悪い。
だから、そういうところが原因。
原因だから、空気が悪い。
ぐるぐる回る。
どこから始まったかなんて、もうどうでもいい。
昼休み、弁当を開ける音が教室のあちこちで重なる。
パンの袋。
水筒のふた。
箸箱。
ミチルは弁当を開けた。
卵焼き。
小さい唐揚げ。
ごはん。
家の匂い。
その匂いにすら、いまは少しだけ場違いな感じがあった。
「ねえ」
後ろの女子が言う。
「ミチルって、自分が嫌われる理由わかってないのかな」
嫌われる理由。
その言い方は、もう結論のあとだ。
「わかってないからああなんじゃん」
サエ。
「いや、分かってて直さないんでしょ」
ユウタ。
「そっちの問題だよね」
また、その言葉。
そっち。
向こう。
こちらじゃない側。
入れない側。
最初から線が引かれているみたいな響き。
ナナカが、頬杖をついたまま静かに言う。
「でも、理由ってちゃんとあるよね」
その一言で、みんなが少しだけ考える顔をする。
考えるといっても、本当に探しているわけではない。
もうあるものを並べる顔だ。
「前から人のこと変に見るし」
サエ。
「当たり方も雑だし」
ユウタ。
「言い方も冷たい」
後ろの女子。
「なんか、ずっと感じ悪い」
別の子。
リオが少し遅れて言う。
「発表のときもそうだったし」
リオ。
その声が入ると、過去の札がまた増える。
発表。
視線。
嫌だった。
我慢してた。
ヒナまで、小さく言う。
「たしかに、ちょっと圧あるときあるかも」
その一言を聞いた瞬間、ミチルは胸の奥で何かが落ちるのを感じた。
ヒナの声は細い。
でも細いからこそ、真ん中へ入りやすい。
尖っていない分、正しそうに聞こえる。
「ほら」
ユウタが笑う。
「みんなそう思ってんじゃん」
みんな。
その言葉は、もはや確認のためだけに使われる。
ミチルは顔を上げた。
何か言わないといけない気がした。
でも言えば、また声や言い方の理由が増える。
「べつに」
口から出たのは、それだけだった。
サエがすぐ反応する。
「べつに、って何」
ユウタ。
「そこがもう無理」
後ろの女子。
「言われても直さないし」
「直さないってことは、自分で分かってるんでしょ」
因果が、あっという間にできる。
直さないから分かってる。
分かってるのに直さない。
だから性格が悪い。
だからみんな嫌う。
嫌われるのは当然。
順番がきれいすぎて、どこかでおかしいと口をはさむ隙がない。
午後の授業は美術だった。
机を寄せる。
道具を出す。
水入れ。
筆。
絵の具。
ミチルは水を入れようとして、少しだけ容器を傾けすぎた。
水がふちに当たって、ほんの少しだけ机へこぼれる。
それだけ。
でも、教室がすぐにざわつく。
「ほら」
サエ。
「雑なんだよね」
ユウタ。
「なんでそうなるの」
後ろの女子。
教師が別の机を見ているあいだに、言葉だけが増える。
ミチルは布巾で拭いた。
すぐに拭いた。
それなのに、サエが言う。
「そういうの見てると分かる」
「何が」
聞いてしまう。
「そっちの問題ってこと」
サエは口元を手で隠したまま笑った。
丸い目だけが、少し楽しそうだった。
「わざとじゃなくても、毎回そうなるってさ」
「性格とか空気の出し方の問題じゃん」
性格。
空気。
出し方。
それらは全部、あとから置かれた理由だった。
ユウタが筆を持ちながら言う。
「事故が多い人っているじゃん」
「でも事故多いってことは、本人に原因あるんだよ」
それはもっともらしかった。
もっともらしいから、まわりも入る。
「たしかに」
「それ」
「わかる」
だれでも足せる。
だれでも言える。
そして、言ったほうが楽になる。
言わないでいると、自分だけ外れそうだから。
リオが、小さく笑って言う。
「前からちょっと思ってた」
前から。
それで全部が補強される。
ミチルは筆を持つ手を見た。
指先に力が入りすぎている。
水の色が濁る。
濁っているのは絵の具だけなのに、教室の中ではそれも意味を持ちそうだった。
放課後、帰りの会が終わったあと、担任が教卓で配布物を整理していた。
その少しのあいだ、教室はまだ完全には帰りの顔にならない。
ミチルがプリントをかばんへしまおうとしたとき、手がすべって一枚落ちた。
床へひらりと落ちる。
それだけ。
でも、ユウタが言う。
「そういうとこ」
サエが続く。
「すぐ分かる」
後ろの女子が言う。
「なんか、全部そうなんだよね」
全部。
また後付けの網が広がる。
ミチルはしゃがんでプリントを拾う。
その動きに、だれかが小さく言う。
「ほら、被害者みたい」
笑い。
短い笑い。
ミチルは立ち上がった。
もうだめだと思ったのは、そのときだった。
何が、ではない。
この教室で何か一つを否定しても、すぐ別のところから理由が生えてくる。
そんな感じがした。
「何でそんなに私が悪いことになるの」
声が少しだけ大きくなる。
ほんの少し。
それだけなのに、教室はすぐ静かになる。
ナナカが頬杖を解いた。
ゆっくりとこちらを見る。
「何でって」
一拍。
「悪いこと起きるとき、だいたいミチルいるじゃん」
二拍。
「だったら、そっちの問題でしょ」
三拍。
その言葉が、教室の真ん中へ落ちる。
だれもすぐには笑わなかった。
笑う必要がないくらい、きれいに座ったからだ。
ユウタが最初にうなずく。
「それな」
サエも続く。
「毎回そうだし」
リオは髪の毛先を指で触りながら、小さく言う。
「たしかに」
ヒナも、目を伏せたまま言う。
「……なんか、そうかも」
タクミは窓際で前髪を手の甲で払った。
何も言わない。
でも、言わないこともいまは片側の重さになる。
ミチルは、教室の中で自分だけが別の言葉を話している感じになった。
何を言っても通じないというより、最初から別の仕組みの中にいるみたいだった。
「偶然でしょ」
そう返す。
返してから、自分でも弱いと思う。
ナナカが少しだけ笑う。
口元だけやわらかく。
「偶然が多すぎるんだよね」
「だから原因あるって話じゃん」
ユウタ。
「一回なら偶然でも」
サエ。
「毎回なら、そっちの問題」
後ろの女子。
だれも怒っていない。
だれも叫んでいない。
それが一番きつい。
怒りなら、どこかで終わりがありそうだから。
でもこれは、整理みたいな顔をして進む。
「私がいるから悪いことが起きるってこと?」
ミチルが言う。
「そういうことじゃない」
ナナカがやわらかく返す。
「そうなる空気を持ってるんだよ」
「だれかを嫌な気分にさせる空気」
「それって結局、そっちの問題でしょ」
三つ。
最後にまた、その言葉へ戻る。
そっち。
こちらではない側。
みんなの輪の外。
理由は後からいくらでも足せる。
その瞬間、ミチルは気づいた。
もうだれも、何が最初だったか覚えていない。
机の脚。
視線。
発表。
消しゴム。
足。
声。
こぼれた水。
全部が混ざって、同じ色になっている。
理由は最初からあったのではない。
嫌な感じが先にあって、そのあとから、合う理由だけが集められてきた。
でも、それをいま言っても、もう遅い。
遅いというより、この教室ではその順番自体が意味を持たない。
だれかが嫌だと思う。
みんながそれっぽい理由を出す。
理由が並ぶ。
だから最初から悪かったことになる。
それで終わる。
帰り道、ミチルは階段の踊り場で窓を見た。
ガラスに自分が映る。
肩口で切りそろえた髪。
力の入った口元。
目の下の影。
そこへ、自分が悪い理由を並べてみる。
顔がきつい。
言い方が冷たい。
空気が悪い。
雑。
前からそう。
たまたまじゃない。
毎回。
みんなそう思ってる。
並べれば並べるほど、ほんとうっぽくなる。
ほんとうっぽくなるだけで、ほんとうかどうかは分からない。
なのに、教室ではその差がもう消えている。
翌朝、ミチルが教室へ入ると、後ろの席の男子がだれかに言っていた。
「昨日のあれでわかった」
「何が」
「ミチルって、理由あるんだなって」
理由あるんだな。
それはもう、結論のあとに出る声だった。
最初は「なんか嫌」があって、
そのあとに「理由ある」がつく。
ついた瞬間、最初からそうだったことになる。
サエが笑う。
「だから言ったじゃん」
ユウタも鼻で笑う。
「そっちの問題なんだよ」
ナナカは頬杖をついたまま、窓のほうを見ていた。
前髪の下の目だけが、少し遅れてこちらへ向く。
「おはよ」
やわらかい声。
そのやわらかさが、もう教室の側の声だと分かる。
ミチルは返せなかった。
返さなくても、それはすでに別の理由に変わる気がした。
通路を歩く。
机の間をすり抜ける。
だれかが少しだけ椅子を寄せる。
だれかがかばんを少しだけ引く。
自然に。
最初からそう決まっていたみたいに。
その自然さの中で、ミチルだけが不自然だった。
ナナカが小さく言う。
「ほらね」
その一言に、もうだれも説明を足さなかった。
この教室では、悪者だから理由があるのではなく、
悪者に見えたあとで、理由のほうがきれいに並べられていく。
そして、いったん並んでしまえば、
最初からそうだったことになるのだ。
コメント
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めっちゃわかる……「そっちの問題」っていう言葉、すごく刺さった😭💔 ミチルが何もしてないのに、空気ってだけで悪者にされてく感じ、読んでて胸がギュッてなったよ。 「理由は後からつく」って描写がリアルすぎて、この教室の居づらさがビシバシ伝わってきた。 ナナカの優しそうな口調が逆に一番キツいところとか、ヒナが最後に小さく同意しちゃうところとか、高校の空気感そのまんま。 次の話でミチルがどうなっちゃうのか、すごく気になる〜!! 応援してるからね🌸✨