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無名の灯 番外編

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無名の灯 番外編

72 - 第72話 見えない糸

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2025年08月09日

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放課後の教室は、喧騒と沈黙が同居していた。椅子を引きずる音、鞄を机に投げる音、廊下から聞こえる誰かの笑い声。それらすべてが、遥の耳には遠い。

自分の席に座っているはずなのに、まるで教室の空気に居場所ごと取り除かれたような心地。

彼の机には、今日も誰かが描いた赤い印が残っていた。

それが口か、裂けた目か、女陰の歪んだ線かは分からない。ただ、確実に「モノ」として扱われていることだけは伝わる。


「きったな……」


隣の女子が呟いたのは、遥に向けたものではなかった。

机に残る落書きに対してでもない。

その“机に触れようとした自分の指”に対して、だ。


誰とも目を合わさず、声も出さず、遥は持っていたハンカチでそれを拭き取った。

布の繊維がひっかかる。赤インクはなかなか落ちない。

だからといって、放っておけば「気持ち悪い」と誰かが大声で言う。

消しても「やっぱり触った」と目を逸らされる。


見えない糸が、遥の周囲に網のように張られている。誰もそこに踏み入らない。近づかない。名前を呼ばない。

まるで、触れただけで「なにか」がうつるように。


教室の後ろからスマホのシャッター音がした。


「あーあ、今日も綺麗に消してる。マメ〜」


鼻にかかった声。軽やかで、残酷。

教卓の横、女子たちの一団が笑いながらスマホを覗いていた。


「これ、また“お姉さん”に送る?」


「やだ〜やめてよ〜、あの人、マジで返事してくんじゃん?『今夜、指切って懲らしめますね』ってやつ」


「やば〜ww でもさあ、ほんとにしてそうじゃない? なんか、“そういう関係”って感じしない? ね、遥くん?」


静かな教室の中、遥の名前だけが妙に響いた。


遥は顔を上げなかった。

それでも視線は感じていた。

見下され、見透かされ、背中を撫でるように注がれる視線。


誰も本気では信じていない。

でも、誰も否定もしない。

「ありそう」と思う程度で、遥を囲むには十分だった。


彼が声を出せば、気持ち悪いと返される。

黙っていれば、何かを隠していると囁かれる。


「なんかさ、あれ見てると……“無理やり”っぽいよね?」


一人の女子が囁いた。

誰の何に対してなのか、名指しはされなかった。

だが教室中が、それが“遥の家庭”か“遥の身体”の話であると即座に理解していた。


「夜中、泣いてそう……」

「てか、“鳴かされて”そう……」


教室の空気が変わった。笑いは小さくなり、声の代わりに視線が重くなった。


遥は立ち上がった。

だが、それは逃げるためではない。机を拭くために屈んだ拍子、椅子が少しだけ後ろへ動いた。その音で、数人が顔をしかめた。


「あ、立った……」

「また“足”見えちゃうじゃん」

「誰の好み?」


誰も遥の足元など見ていない。だが、想像だけで“消費”された。

そこに身体がある。それだけで、彼は軽蔑の対象にされた。




次のチャイムが鳴った瞬間、クラスの空気は一斉に跳ね上がった。

誰もが、遥がそこにいることを“忘れたフリ”をしながら席を立つ。


遥だけが、立ち上がれない。


机の落書きも、誰かのシャッター音も、女子たちの嘲りも、すべてが張りついたまま。皮膚の裏に。


彼は自分の指を見た。

机を拭いたあの布の、赤い染みが爪の間に滲んでいた。


何を拭いたのか、もう誰にもわからない。



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