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放課後。灰色の雲が、校舎をゆっくり飲み込むように広がっていた。
チャイムが鳴り終わる頃には、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めている。
朔は窓の外を見上げながら、鞄の中に折り畳み傘が入っていないことに気づいて肩を落とした。
「また、か……」
その独り言に、背後から低い声が落ちてきた。
「天気、確認しねぇの?」
振り返ると、晴弥が机に手を置き、無表情のまま朔を見下ろしていた。
いつもの黒い傘が、彼の手の中に握られている。
「確認……したつもりだったんだけど」
「つもりじゃ意味ねぇだろ」
小言のように聞こえるのに、声の奥にわずかな優しさが紛れ込む。
朔は唇をすぼめながら、顔を赤くした。
「じゃあ……一緒に帰る?」
晴弥はため息をひとつ吐き、傘を軽く持ち上げる。
「最初からそのつもり」
言い終えると、教室を出ようと背を向け――
朔が追いつくのを、ちゃんと待ってくれていた。
昇降口を抜けると、雨脚が強まっていた。
傘を開く時、晴弥の指の動きに朔の視線が止まる。
白くて綺麗な指。
傘の柄を握り込む力。
その仕草だけで胸が騒ぐのは、きっともう隠しきれない。
「ほら」
ミリ単位の距離感で、肩が触れた。
朔は息を止めた。
でも晴弥は、何事もないような顔をして歩き出す。
雨の音が二人の沈黙を埋める。
ふいに、後ろから男子の声がした。
「天野、帰んの?送ってこうか?」
朔の友達。
少し距離を詰めながら笑っている。
朔は困って後ずさる。
「あ、いや……今日は――」
「いらねぇ」
晴弥の声が、鋭く割り込んだ。
友達が驚き、眉をひそめる。
「天野に聞いてんだけど?」
「聞かれても答えは変わんねぇから」
晴弥は朔の肩を引き寄せ、傘の中にぐっと抱き寄せた。
腕が回る。
肩が沈む。
驚くほど力強い。
朔は一瞬、呼吸を忘れた。
「……晴弥?」
「……他の奴に、触れさせんな」
吐き捨てるような声。
だけどその奥にあるのは、抑えきれない叫び。
友達は気まずそうに視線を逸らし、足早に去っていった。
二人きりになった瞬間――
朔は晴弥の手の震えに気づいた。
「そんなに怒ることじゃ……」
「怒ってねぇ」
「十分、怖かったよ……」
朔の言葉に、晴弥が目を伏せる。
「……怖ぇのは、俺の方だ」
静かすぎて、雨音に紛れそうな声。
「お前が誰かに笑って……平気な顔して、距離近づけて。
それ見せられる度に――心臓が、変な音立てんだよ」
朔の胸に、熱が広がる。
「晴弥……」
「俺以外に、触れさせんな。
……もう、駄目なんだよ。お前のことになると」
気づけば――
晴弥は朔を抱きしめていた。
黒い傘の下、互いの体温が重なり、雨が二人の周りだけを遠ざける。
強く抱いた腕が、少しずつ力を弱めていく。
まるで、自分の気持ちが露呈したことへの恐れが滲み出ていた。
朔はそっと晴弥の背に手を回した。
「他の誰にも触れさせないよ」
小さな声でも、まっすぐな言葉。
晴弥が僅かに息を呑む。
「……独占、していいの?」
朔がそう囁くと、晴弥は抱擁を解かないまま答えた。
「最初からそのつもり」
耳元に触れる低音が、まるで告白だった。
朔は頬を赤くしながら顔を上げる。
「じゃあ……ちゃんと言って」
晴弥は朔を見つめ――短く、確かに告げた。
「俺の隣にいろ。……ずっと」
その瞬間、心まで雨に濡れたような気がした。
嬉しさが、隠しきれない。
朔は笑ってしまう。
「うん。ずっと」
二人の傘はひとつ。
肩を寄せ合って歩く帰り道は、雨がくれた小さな世界。
ここから先の道を、もう離れずに歩けたらいい――
朔はそう願いながら、晴弥の手をぎゅっと握り返した。