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金曜の夜。駅のホームには、雨粒が叩きつける音だけが響いていた。
天井から落ちる雫が、足元へ跳ね返る。
照明が濡れた床を白く光らせ、蒸気のような湿気が漂う。
朔は腕を抱いて、息を潜めていた。
(降りすぎだろ……)
電車が遅れていて、帰れない。
スマホには「運行見合わせ」の通知。
突然、背後から濡れた靴音が近づく。
「……朔?」
その声――聞き間違えるはずがない。
振り返ると、晴弥が立っていた。
制服はすっかり濡れていて、髪から滴る雨が首筋を伝っている。
息が上がっていた。
「走って来たの?」
問いかけると、晴弥は視線を逸らし、低く答えた。
「……嫌な予感がしただけ」
嫌な予感――
そんな言葉の裏に、どれだけ心配してくれたか気づいてしまう。
朔は唇を噛んだ。
「最近、避けてたでしょ。俺のこと」
ぐさりと刺す言葉。
晴弥の肩がわずかに揺れる。
「別に……避けてねぇ」
「じゃあ何で目も合わせてくれないの」
雨音が、容赦なく二人の沈黙を叩いた。
晴弥は歯を食いしばりながら視線を上げた。
その瞳には、焦りと後悔と……隠してきた不安が渦巻いている。
「……怖かったんだよ」
「怖い?」
「これ以上近づいたら……もう戻れねぇって」
それは、告白より重い言葉だった。
朔の胸が鳴る。
「戻る気なんて、ないよ。最初から」
晴弥の目が見開かれる。
感情が溢れそうになって――
その瞬間、電車が通過し、風と水しぶきが二人を包む。
雨がさらに勢いを増す。
晴弥がそっと近づいてきた。
距離が、一歩、また一歩と減っていく。
朔の背が壁に触れる。
逃げ場がなくなる。
「……走ってきたのはさ」
声は低く、震えていた。
「お前が一人で濡れてるの、想像するだけで、息できなくなったから」
朔の喉が小さく鳴る。
指先が、無意識に晴弥の服を掴んでいた。
晴弥は朔の顔にそっと手を伸ばす。
濡れた髪を耳にかける仕草が、ゆっくりと――優しく。
その手が朔の頬に触れる。
ひんやりとした水の感触。
けれど、指先の方が温かかった。
朔の呼吸が浅くなる。
唇が、震える。
「晴弥……」
名前を呼んだ瞬間、晴弥の顔が近づいた。
ほんのわずかな距離。
目を閉じれば触れてしまう。
心臓の音さえ、聞こえそうだった。
――触れる?
朔がそっと瞼を伏せた。
……が、
晴弥の額が、朔の額に静かに触れただけだった。
雨音の中、荒い息が混ざる。
「……ここじゃ、嫌だ」
その囁きは、朔の全てを熱くした。
「ちゃんと……大事にしたい」
震える声。
指先は朔の唇のすぐ近くで止まり、触れたくて仕方がないと語っていた。
朔は目を開け、彼を見た。
晴弥は苦しそうな表情で、けれどどこか誇らしげに言った。
「初めて触れるときぐらい……場所、選ばせろよ」
朔は息を飲み、そして――
ゆっくり頷いた。
雨がふたりを隔てるのではなく、
これから先を繋ぐために降っているように感じた。
ホームの端で、
朔は晴弥の胸元をぎゅっと掴む。
「じゃあ……選んで。ちゃんと」
「……ああ」
気持ちはもう、とっくに触れ合っている。
電車が来る気配は、まだない。
でも構わない。
この夜は、まだ終わらない。
濡れた視線のまま――
ふたりは、ため息の距離で見つめ合っていた。