田島の家は、築年数の古いアパートの一室だった。階段を上がってすぐの角部屋。狭いけれど、掃除は行き届いている。田島が「一応、片付けた」と言った通り、生活感はあるが清潔だった。
「とりあえず、座ってて。お茶、淹れるから」
田島がキッチンへ向かう。まどかはソファに腰を下ろす。自分の身体が、まだ土臭いことに気づく。髪の毛には細かい砂が絡み、爪の間には黒ずみが残っていた。
田島が湯呑みを差し出しながら言った。
「お風呂、入る? タオルと着替え、用意するよ」
「……ありがと。でも、覗くなよ?」
まどかは笑いながら言う。田島は「覗かねぇよ!」と苦笑しつつ、どこか照れたように視線を逸らした。
浴室は、田島の几帳面さが滲む空間だった。
湯船に浸かると、まどかはそっと胸元に手を当てた。
静かだった。
鼓動は──なかった。
「……やっぱり、ないんだ」
湯気の向こうで、まどかは目を伏せる。
生きているように見えても、身体は“死”のまま。温かい湯に包まれても、内側は冷たいままだった。
腕を見つめる。肌は柔らかく、傷もない。けれど、血が巡っている気配はない。
首筋には、うっすらと土の痕。それらが、彼女の“死”と“生”の境界線を曖昧にしていた。
湯船の中で、記憶の断片が浮かんでは消える。
誰かに埋められた。冷たい土。けれど、顔は見えなかった。
自分は誰なのか。なぜここにいるのか。
その問いは、湯気の向こうでぼやけていた。
「まどか、これ……」
浴室のドア越しに、田島の声。
「新品の下着とパジャマ。元カノが置いてったやつだけど、使ってないから」
「……別れちゃったの?」
「うん。同棲寸前まで行ったけど、ダメだった」
「彼女から、なんて呼ばれてたの?」
少し間があって、田島が照れた声で答える。
「こうちゃん……下の名前が浩介だから」
「こうちゃん……♡」
まどかは湯船の中で、小悪魔的な笑みを浮かべる。甘えた声で呼ぶと、田島が「やめてくれよ!」と笑いながらも、まんざらでもない様子だった。
風呂上がり、まどかは借りたパジャマに身を包み、髪を乾かしながらリビングへ戻る。
その姿を見て、田島は思わず目を向けてしまった。
パジャマ越しに見える肩のラインは華奢で、胸元は──控えめだった。
「胸は……あまり大きくないな」
口には出さなかったが、頭の中でそう思ってしまった自分に、田島は少しだけ罪悪感を覚えた。
埋められていたわけだから、しぼんだ可能性もある──そんな理屈が脳裏をよぎる。
そして、おもむろに視線が下半身へと移る。
もっこりは──していない。
なぜだか、確認している自分がいた。
「俺、何やってんだよ……」
田島は心の中で自嘲気味に呟いた。
でも、確かに思った。
“女だ”──と。
「で、今後のことなんだけど……」
田島が急に真顔になる。
「警察は、無理だと思う」
「……やっぱり?」
「うん。俺が疑われる可能性のほうが高いって」
田島は湯呑みを手にしながら、静かに続ける。
「まどかを車に乗せて、家に連れてきて、しかも“埋められてた”って証言するのが俺だけ。記憶も曖昧で、証拠もない。警察に行ったら、まず俺が怪しまれるよ」
「……じゃあ、どうするの?」
田島は、少しだけ笑って言った。
「YouTube、始めようと思ってる」
「……は?」
「車の中で考えてた。まどかの記憶をたどるために、動画で発信する。視聴者の中に、まどかを知ってる人がいるかもしれない。犯人に繋がる情報が出てくるかもしれない」
まどかは少し考えてから、ぽつりと聞いた。
「でも、ユーチューブって……どうやって始めるの?」
田島は「ちょっと来て」と言って、リビングの奥にある扉を開けた。
案内された部屋は、まどかの予想を裏切った。
三畳ほどの狭いスペースに、三脚付きのカメラ、リングライト、マイク、背景布──まるで小さなスタジオだった。
「実は俺……ユーチューバーなんだ。趣味の範囲だけど」
田島は照れくさそうに言った。
「ソロキャンプの動画、ずっと上げてて。登録者は……まあ、10万くらい」
「10万!?」
まどかは思わず声を上げる。田島は肩をすくめるように笑った。
「キャンプ場で焚き火して、飯食って、寝るだけの動画だけどね。編集は慣れてるし、機材もある。だから、まどかのこともちゃんと撮れると思う」
田島は部屋の隅に置いてあったリュックを手に取った。
「あと、これ。まどかが着てたワンピース」
まどかはリュックの中を覗き込む。土で汚れた、見覚えのある布地がくしゃっと丸められていた。
まどかはそれを手に取り、しばらく見つめた。
指先で土の粒を払うようにしながら、ぽつりと呟く。
「……これを着て、出るの?」
その声には、少しだけ震えがあった。けれど、迷いはなかった。
田島が言葉を探すように口を開く。
「……大丈夫?」
まどかはワンピースを胸に抱えたまま、田島の目を見て笑った。
「そのまま出る。洗わない。リアルって、逆に嘘っぽくなるから」
田島はうなずいた。
「もし、埋めたやつが見たら──絶対気づくと思う」
「明日、撮ろうか」
「うん」
まどかはワンピースを膝に置いたまま、指先で土の粒をつまんで眺めた。
それは、死んでいた証。
でも、同時に──生きている証でもあった。