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翌日、紫野は裏庭で洗濯物を干していた。

爽やかな秋晴れの青空が広がり、穏やかな日差しが降り注いでいる。

庭の木々では小鳥がさえずり、冬を前に今年最後の可憐な野菊が風に揺れていた。


(この家で働いていると、とても穏やかな気持ちになれるわ……)


紫野は思わず笑みを浮かべながら、洗濯物を一枚ずつ干していった。


すべて干し終え、桶を手にして台所へ戻ろうとした時、ふいに後ろから声が響いた。


「紫野さん!」


振り返ると、そこには国雄が立っていた。ネクタイを締めず、シャツとパンツ姿の国雄は、いつもよりくだけた印象だった。

紫野はその姿を不思議に思いながら、返事をした。


「はい。何か御用でしょうか?」

「いや、特に用はないんだけど、良かったら、午後から高瀬の棚田へ行かないか?」

「棚田へ?」

「うん。今日は休みをもらったから、友人に会いに八木の家へ行く予定なんだけど、彼の妹の幸子さんが里帰りしていると聞いてね。もしよかったら一緒にどうかなと思って」

「え? 幸ちゃんが?」


紫野の瞳が途端に輝いた。

三沢家へ嫁いだ幸子が現在妊娠中であることは知っていたが、なかなか会う機会がなく、紫野はずっと彼女に会いたいと思っていた。


「うん。幸子さんも紫野さんに会いたがってるって!」

「私も会いたいです! でも……」

「仕事のことなら心配いらないよ。母とウメさんには許可を取ったから。今日はゆっくりしておいでって!」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」

「じゃあ、午後二時に車まで来てください」

「わかりました」

「じゃあ、後で!」


紫野は、その場から立ち去る国雄の後ろ姿を見送った。


約束の時間になると、紫野はウメたちに挨拶を済ませてから、少し緊張気味に国雄が待つ車へと向かった。

車の前に立っていた彼は、紫野が来ると助手席の扉を開け彼女を中へ入れた。

そして、車の反対側に回り国雄が運転席へ座る。


「運転手の有島さんは?」

「今日は彼にも休んでもらったよ」

「では、運転は国雄様が?」


紫野は、国雄が運転するのを見たことがなかったので、かなり驚いていた。


「もしかして心配してる?」

「いえ……そういう訳では」

「大丈夫だよ。海外にいた頃は毎日運転していたし、今も時々一人で乗っているからね」

「そうでしたか」


国雄は笑顔で頷くと、車のエンジンをかけた。


両親が交通事故で他界して以来、紫野の心には車への恐怖心が根付いていた。

しかし、国雄の運転を見て少し安堵した。彼は運転に慣れている様子で、安全に車を走らせている。


棚田へ続く道を走りながら、紫野は爽快感に包まれていた。

つい数ヶ月前まで蝉の声で賑わっていた山々は、今はひっそりと静けさに包まれている。

鮮やかな赤や黄色に色づく木々は、澄み切った青空とのコントラストがとても美しい。

その素晴らしい光景に、紫野の目はすっかり奪われていた。


「紅葉がちょうど見ごろだね」

「はい。棚田はもう冬の気配でしょうか?」

「そうだね。蛙ももう冬眠に入る時期だね」

「そういえば、先日、美代子様のお嬢様にお会いした時、お庭の池で蛙を探していらっしゃいました」

「ははっ、そうか! あの子は、小さい頃の紫野さんに似て蛙や虫に興味津々なんだ」

「そうみたいですね。お陰で仲良くなれました」

「それは良かった」


国雄は穏やかな笑みを浮かべながら、運転を続けた。


やがて、二人の乗った車は坂道を上り、棚田のある八木家の前に到着した。

エンジンが止まり二人が車から降りると、八木家の玄関から明るい声が響いた。


「紫野ちゃーん! いらっしゃーい!」


その声に振り返った紫野の目に飛び込んできたのは、満面の笑みで手を振る幸子の姿だった。


「幸ちゃん! お久しぶり!」

「キャーッ、紫野ちゃんが洋装になってるー! すごく似合ってて可愛いわ!」

「ありがとう! 幸ちゃんこそ、お腹がふっくらして……もうすっかり三沢家の若奥様っていう雰囲気だわ」


二人は声を弾ませながら、久々の再会を喜び合った。


懐かしい親友との挨拶を終えた紫野は、ふと幸子の隣に立つ男性に気付いた。

男性は、幸子の兄であり国雄の親友でもある八木家の長男・八木一郎(やぎいちろう)だった。紫野は幼い頃、何度か一郎と顔を合わせた記憶がある。


「紫野さん、いらっしゃい」

「ご無沙汰しております」

「幸子が会いたがっていましたよ。今日はゆっくりしていってくださいね」

「ありがとうございます」

「よお、国雄、久しぶりだな!」

「お邪魔するよ」

「おう! さあ、中へどうぞ」


その時、奥の方からもう一人女性が顔を出した。


「ようこそいらっしゃいました。一郎の妻・菊子(きくこ)と申します」


紫野は菊子と会うのはこの時が初めてだった。


「初めまして、大瀬崎紫野と申します」

「紫野さんですね。幸ちゃんからよく話を聞いていたので、お会いできて嬉しいわ。さぁ、どうぞ中でお茶でも召し上がってください」


五人が八木家の座敷へ移動すると、幸子と菊子がお茶とお茶菓子を持ってきてくれた。

その時、紫野が不思議そうな表情を浮かべながら幸子に尋ねた。


「おじ様とおば様は?」

「それがね、二人とも東京に行ってるの」

「まあ、そうだったの!」

「母がずっと東京へ行きたがっていてね、それで今日ようやく。今朝はるんるんして出かけていったわ」

「おば様、さぞ喜ばれたでしょうね。それで、幸ちゃんは体調は大丈夫なの?」


紫野は幸子の大きくなったお腹に目をやりながら尋ねた。


「もちろん! 昔から身体だけは丈夫だったでしょう? だから問題なしよ」

「わぁ、良かった! 赤ちゃんが生まれるの、楽しみね」

「生まれたら真っ先に紫野ちゃんに手紙を送るわ! だから、絶対会いに来てね!」

「もちろん、すぐ行くわ!」


二人は顔をほころばせながら、楽しそうにクスクスッと笑った。


それから五人は、それぞれの話題で盛り上がった。

国雄と一郎は主に仕事の話を、紫野、幸子、菊子は、女性ならではの話題に話を咲かせた。

幸子は、紫野が村上家で働くことになった経緯を手紙で聞いていたので、すべて知っていた。

そこで幸子が、村上家での生活はうまくいっているのかと紫野に尋ねると、彼女は快適な暮らしをさせてもらっていると笑顔で答えた。


その後しばらく談笑を続けた後、幸子は外の風を吸いに行こうと紫野を表に誘った。


「転ばないでよ、幸ちゃん。もし転びでもしたら責任重大なんだから!」

「ふふっ、大丈夫よ! ここは私の生まれ故郷なんだもの。目を瞑ったままでも歩けるわ」

「冗談はやめて! 今はお腹に新しい命が宿っているんだから、油断せずに慎重に歩いてちょうだい!」

「あははっ! 紫野ちゃんったら、まるでお母さんみたい!」


そこで二人は声を上げて笑った。


棚田の一番奥まで辿り着いた二人は、大きな柿の木の根元に並んで腰を下ろした。

ここから眺める景色は、紫野が特にお気に入りの場所で、前方には麓にセメント工場を抱える大きな山がそびえ立っていた。

久しぶりに見た懐かしい景色を眺めながら、紫野は大きく深呼吸をした。

その時、幸子が言った。


「まあ! こんな季節なのに、まだアザミの花が咲いているわ」

「本当! 冬がもうそこまで来ているというのに、健気ね……」

「紫野ちゃんの名前は、このアザミの花からつけられたんでしょう?」

「そうよ。この棚田の上の野原にアザミの花がたくさん咲いていたんですって。そこで、父が母に結婚を申し込んだの」

「まあ、羨ましい! なんてロマンティックなの! うっとりしちゃう!」

「何言ってるの。幸ちゃんだって、今は幸せ絶頂の時じゃない!」


紫野はそう言って、優しい笑顔を浮かべた。


「まあ確かに、三沢の家では本当に良くしてもらっているわ。お産で実家に帰ることも快く承諾してくださったし、三沢の両親と夫には感謝しかないわ」

「そんな素敵な家族に恵まれて、本当に良かったわね」

「うん。嫁姑問題で苦労している人も多い中、私は本当に幸運だったわ」

「幸運なのもあるかもしれないけれど、幸ちゃんが嫁として頑張ってきたから、今の幸せがあるんだと思うよ」

「わあ、そう言ってもらえて嬉しい! 紫野ちゃんには帰りにいっぱいお土産を渡さないと!」

「やった!」


二人は再び声を上げて笑った。


「でもね、紫野ちゃんが村上家にいるって知った時は驚いたけれど、正直ホッとしたわ。あんなひどい高倉家や大瀬崎の家と比べたら、雲泥の差だもの」

「うん。あの時救ってもらって、国雄様には感謝しかないの」

「それにしても、運命の出会いってあるのね~。まさか、紫野ちゃんが初恋の相手と偶然再会して、その家で働くことになるなんて」

「運命の出会いかどうかは分からないけれど、助けてもらって本当に感謝してるわ。だから、精一杯働いて恩返ししたいと思ってる」

「そうだね。ああ、でも、今日は紫野ちゃんに会えて本当に良かった~。手紙だけだと不安でいっぱいだったけれど、顔を見たら安心したわ」

「いろいろと心配かけてごめんね。これからは、赤ちゃんのことだけを考えてね」

「ありがとう。絶対に元気な子を産んでみせるわ! 三沢家のためにも!」


そう言って空を仰ぎ見た幸子の瞳には、すでに母親としての強い意志が感じられた。

そんな彼女を見て、紫野は頼もしい気持ちになる。

そして、自分もいつか幸子のように母親になれる日がくるのだろうかと思った。


その時、空が徐々に赤みを帯びてきた。


「紫野ちゃん、夕焼け……」

「わぁ、綺麗な茜色! 幸ちゃんがお嫁に行く前に見た夕日と同じね」


二人は手を繋ぎ、茜色に染まる夕日をじっと見つめた。

紫野はその美しい光景に目を奪われながら、あの日ここで国雄と見た茜色の夕日を思い出していた。

【大正浪漫】茜さすあの丘で ~幼き日の憧れは、時を経て真の慈しみへと変わる~

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