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白波 灯
219
鬼霧宗作
303
遼介との離婚協議は、橘の事務所で行った。
二人きりで会えば、遼介は思い出や夫婦の情を持ち出す。そして後から、そんな意味で言ったのではないと変える。
もう、その繰り返しには付き合わない。
橘に同席してもらい、録音機器を机の中央へ置いた。
「弁護士まで立てて、俺を犯罪者扱いするのか」
「離婚協議です」
「沙耶の件は、俺が指示したわけじゃない」
「誰も、流産させろと指示したとは言っていない」
「なら、俺の不倫まで院内へ広げる必要はなかった」
「患者対応の動機を調べるために、関係が確認された」
「君が妹の件を大きくしたからだ」
「記録の修正と報告遅延を見逃せと?」
椅子の背へ寄り掛かった。
「流産は珍しくない。対応が早くても結果は同じだったかもしれない」
「因果関係が断定できないことと、記録を変えていいことは別よ」
「君は何でも別、別と切り分ける」
「混ぜれば、誰かの責任を消せるからでしょう」
橘が、遼介から三人の女性へ送られたメッセージを机へ置いた。
『最初に無事に産んだ子が、久世家の跡取りになる』
『父へ認めさせるには結果が必要だ』
『ほかの女に負けるな』
表現は少しずつ違うが、競争を煽る内容。
「冗談だ」
「三人とも冗談とは受け取っていません」
「女同士が勝手に張り合ったんだ」
「張り合う材料を渡したのはあなた」
「俺は全員へ責任を取ろうとした。認知も養育費も考えていた」
「妻にも、真帆の夫にも隠したまま?」
「真帆が航平へ言わないでほしいと」
「また相手のせい」
遼介の声が大きくなる。
「沙耶は産みたくないと同意した。真帆は既婚なのに近づいてきた。莉央ちゃんは避妊薬を飲んでいると嘘をついた。俺だって騙された被害者だ」
「全員へ、妻とは終わっていると伝えたのはあなた」
「それくらい言わなければ、女は納得しない」
「自分から関係を求めておいて?」
「俺は求められただけだ!」
怒声が会議室へ響いた。
私は録音機器を指す。
「今の言葉も残っています」
口を閉ざした。
離婚条件のたたき台が示された。別居の確認、共有財産から不貞へ使われた支出の精算、慰謝料、今後の連絡方法。
「久世記念病院の債務や理事就任について、高瀬先生は一切同意していません」
「まだ久世だ」
遼介が低く言った。
「離婚後は高瀬へ戻すつもりです」
「勝手に決めるな」
「私の名前よ」
「久世の姓で医師として信用を得た」
「結婚前から医師でした」
「今の地位には、俺や親父の人脈もある」
「具体的に、どの採用や昇進へ関与したの?」
答えられない。
話題を変えた。
「君がいなくなったら、親父の病院は潰れる」
「私が理事になるだけで救える計画なら、最初から危うい」
「職員も患者も困るんだぞ」
「経営責任を、私の婚姻へ押しつけないで」
「冷たい女だな」
「便利な女ではなくなっただけよ」
遼介の手が机の上で震えている。
「君は、ほかの女とは違う。妻だ。俺が本気で愛した女で、病院を一緒に継ぐ相手だ」
「愛情と病院を、同じ文章で語るのね」
「両方必要なんだ」
「私がいなくなれば融資が止まるから?」
遼介の視線が橘へ向く。
「家の財務を調べたのか」
「私へ署名させる書類と、公開・提出済みの資料を確認しました」
「家族なら信じろ」
「二年間不倫し、妹を妊娠させた夫を?」
顔を歪めた。
「榊原と関係があるんだろう」
「ありません」
「院内で抱き合っていたと聞いた」
「流産の直後に支えてもらっただけ。告白も断りました」
「告白されたのか」
「それが離婚理由ではない」
「男がいるから強気になったんだ」
「責任を別の男へ移さないで」
慧がいなくても、ほかに誰も好きにならなくても、私は遼介と離婚する。
次の男がいるから離れるのではない。この結婚へ戻らないと、私が決めたからだ。
橘は、慧に関する質問へ答える必要はないと遮った。
「本日の議題は、婚姻関係の破綻と条件です。第三者への推測で論点をずらさないでください」
遼介側の弁護士も、依頼人へ声を落とすよう求める。
以前の私なら、遼介が人前で恥をかかないよう、先回りして話を収めていた。
妻なのだから助けるのが当然だと思っていたし、彼が不機嫌になるのも面倒だった。
今は、自分の代理人から注意される姿を見ても口を挟まなかった。
私が助けなければ、遼介は自分の言葉と向き合うしかない。もう、その役目まで背負うつもりはなかった。
「合同研究会へ出席しろ」
最後の取引を持ち出した。
「父の顔を立て、後継者夫婦として挨拶すれば、その後に離婚について考える」
「離婚は褒美ではない」
「病院が潰れてもいいのか」
「研究会後の非公開会議には出席します」
遼介の表情が僅かに緩んだ。
「なら、理事就任も」
「私の意思を、金融機関と理事へ直接伝えるために出席するの」
「余計なことは言うな」
「何を言うかも、私が決めます」
緩んだ顔が再び固まる。
久世家が私を『後継者の妻』として並べる場所へ、私は行く。
でも今度は、用意された役を演じるためではない。
勝手に使われてきた名前で、私自身の意思を伝えるためだった。
コメント
1件
うわあ、第27話、読了しました…。いやあもう、途中から拳に力入りっぱなしでしたよ(笑)。 離婚協議の場面、すごく良かったです。特に録音機器を机に置いて「今の言葉も残っています」って返すところ、あれは痛快でした。今までの雪那さんなら遼介の不機嫌をなだめてたんでしょうけど、もう「私が助けなければ、遼介は自分の言葉と向き合うしかない」って線引きができてるのが、本当に成長したんだなと。 そして「便利な女ではなくなっただけよ」――この一言のためにここまで積み上げてきたんだなって感じがして、胸が熱くなりました。もう“久世”じゃなく“高瀬”に戻すって名乗りも含めて、雪那さんが自分の物語の主人公に返ってきた瞬間でしたね。 慧先生との話はまだ続きがありそうで、次が気になります…!