夜の相談室。窓の外は雨。ガラスを打つ音が、やけに近くに聞こえる。
日下部は机に肘をついて、書類の隙間からぼんやり外を眺めていた。
そこへ、ドアの向こうから遠慮がちなノック。
「……どうぞ」
ドアの隙間から顔を出したのは、同じ学年の女子だった。
傘の先から水がぽたぽたと落ちている。
「ちょっとだけ、話してもいいですか」
頷くと、彼女は椅子の端に座った。
目の下にはうっすらと疲れの色。
それでも、笑おうとしているのがわかった。
「最近さ、……人と比べるの、やめたいんです」
その言葉は、雨音に溶けて小さく消えた。
「SNS見てると、誰かが楽しそうにしてて。
勉強もうまくいってるし、恋人もいるし、
“あの人たちは全部持ってる”って思っちゃう。
それ見て、なんか、自分がどんどん小さくなる」
日下部はすぐには何も言わなかった。
机の上のマグカップを軽く指で叩きながら、ゆっくり息を吐いた。
「……比べるの、やめられたら楽だよな」
「うん。でも、やめようって思っても、気づいたらやってて。
“私なんか”って、自分を下げる方にばっか行く」
「それ、たぶん、“比べること”が悪いんじゃない」
日下部の声は静かだった。
「人は誰かを見て、自分の場所を確かめる生き物だし。
問題は、“比べたあと、自分を否定しちゃうこと”だよ」
彼女が少し顔を上げる。
日下部は、窓の外を見ながら続けた。
「たとえば、あいつらが光って見えるのは、
その人の“見える部分”だけを見てるからだ。
SNSなんか特にそう。
裏で泣いてる時間とか、焦ってる夜は、映らない」
「……映らない、か」
「そう。
だからな、比べるなら“昨日の自分”にしとけ。
他人の物差しじゃなくて、自分の中で伸びたとこを見つけろ。
それができるようになると、人の光が刺さらなくなる」
沈黙が落ちた。
雨が弱まり、どこか遠くで車のライトが反射する。
「……難しいけど、ちょっとわかる気がします」
「焦んなくていい。
比べちゃう自分を責めんな。
それだけ真面目で、ちゃんと見てるってことだから」
彼女は、小さく息をついて笑った。
その笑みはほんの少し、肩の重さが取れたように見えた。
「……ありがとう、ございます」
「うん。気をつけて帰れよ。
あと、SNSはほどほどにな」
彼女が出ていったあと、日下部は小さくつぶやいた。
「比べるの、俺も下手なんだけどな……」
机の上のマグカップから、まだ少し湯気が立っていた。
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