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第3話 消えた温泉街
旅行好きの夫婦、村田浩一と村田美沙。
浩一は五十代前半、短く刈った髪に日焼けした肌、太めの眉が印象的で、腹回りに少し贅肉がついている。
美沙は四十代後半、肩までの茶髪を後ろでひとつに束ね、口紅は薄い桃色。淡い緑色のワンピースにカーディガンを羽織り、旅行雑誌を抱えていた。
二人のポストに届いたのは、使い終えたはずの“赤い一日切符”。未来の日付が刻まれており、まるで再び旅行に行けと告げるようだった。
半信半疑のまま出かけた先で、バスは本来とは異なる道を進み、ガイドにも載っていない古びた温泉街にたどり着いた。
瓦屋根の宿が並び、煙突からは白い湯気が昇っている。提灯の灯りが道を照らしているが、人影はどこにもない。
「……廃業した町じゃないの?」と美沙が小声で言う。
だが、宿の暖簾をくぐると中には客がいた。皆浴衣姿で、静かに湯呑を手にしている。
けれど顔はどの客も“湯気でぼやけて”、目鼻立ちが見えない。
二人は案内されるまま露天風呂に向かった。
岩風呂に浸かると、湯は透きとおり、夜空が水面に映りこんで揺れている。浩一が湯に手を差し入れると、水底に「紙の束」が沈んでいた。取り出すと、それは何十枚もの“赤いきっぷ”だった。
美沙が慌てて振り返ると、宿の客たちが無言のまま、浴衣の裾から真っ赤なきっぷを覗かせて立ち並んでいた。
次の瞬間、湯気に包まれて視界が真白にかすみ──気づけば二人は、元のホテルの部屋に戻っていた。
ただし机の上には、乾いた“赤いきっぷ”一枚が置かれていた。日付はまだ、来週を指していた。