テラーノベル
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ボス部屋の片隅に、小さなテントがひと張り。
その前で焚き火が揺れ、石床と四人分の影を壁に映していた。
テントのそばには簡易の調理台。
ダリウスは袖をまくり上げ、無言で鶏肉に衣をまぶしている。油鍋にそっと落とした瞬間、
じゅわっ、と軽快な音がはねた。
揚げ油とスパイスの匂いが、まだかすかに残る血と焦げの臭いを、少しずつ上書きしていく。
そのすぐそばでは、ミラが膝を抱えて座り込み、期待に目を輝かせていた。
エドガーは木箱を椅子代わりに腰掛け、膝の上で魔導書の背を指先でなぞっている。擦り切れ具合を、何度も確かめるように。
見慣れた、戦いのあとの光景。
ただ一人を除いて。
テントの入口のすぐそば。寝袋にくるまったオットーが、丸い腹を上下させながら静かに寝息を立てている。
酒瓶片手に騒ぐことも、くだらない冗談を飛ばすこともない。深く眠り続けていた。
「オットー、すごかったね!」
ミラがぱっと顔を上げ、揚げ鍋に向き合うダリウスへ笑顔を向ける。
「阿修羅のオットーって呼んじゃおうかな! ねぇ、ダリウス!」
「あぁ……」
短い返事。
ダリウスはミラの方を見ようとせず、油の中の鶏肉だけを見つめていた。表情はいつも通りのはずなのに、焚き火の陰影のせいか、影が深い。
「いつになったら起きるのかな?」
ミラは期待のまま続ける。
「起きたら絶対、自分で自分の武勇伝語り出すよね! それ聞きたいんだけど!」
「…………」
エドガーは木箱の上で背筋を伸ばし、視線を落とした。
魔導書を持つ指に、知らず知らず力が入る。ページではなく、押し込めた言葉を押さえるみたいに。
ぱち、ぱち、と油が弾ける音だけが妙にはっきり響いた。
やがて、寝袋の中で何かがもぞりと動く。
「……ん……んぁあ」
太い腕がごそりと寝袋から飛び出した。
オットーは大きく両腕を天井へ伸ばし、背骨を鳴らすようにぐっと身体を反らせる。
「……よく寝たわい……」
かすれた声で呟き、ゆっくり上体を起こした。
ぼんやりした視線が焚き火を、仲間たちを順にとらえ、最後にほっとしたように細められる。
「オットー!!!!!」
ミラが弾かれたように立ち上がり、全力で駆け寄ってきた。
「起きたんだね!!! もう今日のMVP間違いないよ!!!」
勢いそのままに目の前でぴたりと止まり、顔をぐいっと近づける。
オットーは、そんなミラの頭に大きな手を乗せた。
ぐしゃぐしゃに金髪をかき回しながら、少しだけ柔らかい笑みを浮かべる。
「ミラか……」
噛みしめるように名前を呼び、焚き火の光を宿した瞳で彼女を見つめる。
「どうやら——また会えたみたいだな……」
「????」
ミラは首をかしげた。
「どういう意味?」
その無邪気な問いかけに、オットーはすぐには答えない。
ただ、ミラの頭をもう一度、そっと撫でた。
揚げ油の音が、ぱち、ぱち、と一定のリズムを刻んでいる。
ダリウスは火加減を一度だけ確かめると、小さく息を吐き、手元の作業を止めた。
濡れた布で指先と手のひらをぬぐい、その布を無造作に桶の脇へ放る。
それから、ゆっくりオットーの方へ歩き出した。
焚き火の光が、ダリウスの表情の半分を照らし、残り半分を影に沈める。
足取りは重い。迷いはない。胸の奥に何かを押し込めるような静けさがあった。
「……何年、使った?」
オットーの前で立ち止まり、ダリウスは低く問うた。
責める響きはない。ただ、喉の奥を擦るような硬さがある。
オットーは一瞬だけ目を閉じる。
まぶたの裏に、さっきまでの戦闘の光景が貼りついたまま離れない。
「腹の致命傷の回復と……」
言いかけて、オットーは視線を横にずらした。
「エドガー。何分ぐらい、俺は暴れてた?」
問われたエドガーの肩がぴくりと揺れた。
膝の上で開いていた魔導書を、ぎゅっと握りしめる。紙がきしむ音が、焚き火の音の合間にかすかに混じる。
「…………三十分ほど、です」
絞り出すような答えだった。
ミラは置いていかれたまま、三人の顔を交互に見つめていた。
大事な話だということだけは分かる。けれど、言葉が繋がらない。
(えっ……どういうこと? “何年”って……?)
胸の奥で、不安がじわりと広がる。
オットーは肩で一度息をつくと、真っ直ぐにダリウスを見上げた。
寝起きのぼんやりとした目じゃない。覚悟の色だ。
「……そうか」
一拍おいて、静かに続ける。
「おそらく……六、七年だな」
焚き火の火が、ゆらりと揺れた。
「そんなに……」
ダリウスは呆然とつぶやいた。
握りしめていた拳から、ゆっくり力が抜けていく。
六、七年。
数字なのに、喉の奥がきゅっと縮む。
「……あと、何年残っているんだ?」
問いながら、ダリウス自身が「聞きたくない答え」を待っているのが分かっていた。
オットーは焚き火越しにダリウスを見つめ返す。
冗談を挟む隙間のない、真っ直ぐな視線。
「多分……あと二十年ぐらいだと思う」
やけに淡々とした調子だった。
ダリウスは俯いた。
強張っていた指先が、ほろりとほどける。
「……そうか」
それ以上、言葉が続かない。
息を吸うと胸が痛い。吐くと腹の奥が落ちる。
「……すまない。俺の、力不足だった」
ようやく絞り出した声は、焚き火の音に消されそうな小ささだった。
「…………私も、です」
エドガーが続ける。顔を上げられない。視線を落としたまま、魔導書を握る指だけが強くなる。
「もっと早く撃てていれば……もっと早く、決めきれていれば」
その先は飲み込んだ。言えば「たられば」になる。自分が一番それを嫌っている。
オットーは二人をゆっくり見渡した。
「……誰も、悪くねぇよ」
冗談のない声だった。
「全員がベストを尽くした。それだけだ」
そこで区切る。自分にも、仲間にも、今日を縛らせないために。
「ね、ねぇ……」
黙っていたミラが耐えきれず口を開く。
「さっきから、何の話をしてるの?」
不安と怖さと、理解したい気持ちが混ざった声だった。
オットーは一度だけ大きく息を吸い込み、ミラの方へ顔を向ける。
あえて、いつもの軽さをかぶせる。
「なぁに」
わざと明るい調子を作ってみせる。
「俺の切り札の《阿修羅》ってスキルな——寿命を使うんだよ」
「……っ!?」
ミラの目が大きく見開かれる。
喉が締まり、うまく息が入らない。
「に……二十年って……」
声が震えた。
「……何の、二十年……なの?」
「俺の残りの寿命だ」
オットーは、あっけらかんと言った。
余計な言い訳を足さない。足したら、ミラの怖さが増えるのを知っているみたいに。
ダリウスは顔を伏せたまま、小さくつぶやく。
「……飯を食おう」
焚き火のそばの鍋から、香ばしい匂いが立ちのぼっている。
油の中のフライドチキンは、きつね色に揚がり、パチパチとごきげんな音を立てた。
その音が、今という時間をやけに強く押し出してくる。
*
皿の上には、こんがりと揚がったフライドチキンが山のように盛られていた。
衣の表面はところどころ焦げ目がつくほど香ばしい色をしている。
爪先でつつけば、さくり、と軽やかな音がした。すぐにじわりと油がにじみ、立ちのぼる湯気が鼻先をくすぐる。
ニンニクと数種類のスパイスの匂いが焚き火の煙と混ざり合い、ボス部屋の一角を満たしていく。
胡椒の刺激がほんの少しだけ鼻腔を刺し、その奥から揚げ油の甘い香りが追いかけてくる。
「……いただきます」
誰ともなく、かすれた声が漏れた。
ミラは骨付きの一本を両手でそっとつかみ、恐る恐るかじりつく。
衣が「パリッ」と音を立てて砕けた瞬間、熱々の肉汁がじゅわっと口の中に広がった。
外は軽やかに香ばしく、中の鶏肉は驚くほど柔らかい。
噛むたびに旨味がほどけ、ニンニクの風味とスパイスの香りが舌の上でゆっくり混ざる。
本当なら、
「うまぁっ! なんだこれ、 店出せるぞ!」
「ダリウス、 これレシピあとで教えて!」
「ニンニクをこれ以上増やすのはやめてください。明日、 匂いでモンスターが寄ってきます」
そんな声が飛び交っていたはずだ。
だが今は、誰も余計なことを言わない。
口が動くと、胸の内側まで揺れそうだった。
しばらく、チキンを噛む音と焚き火のぱちぱちという音だけが続いた。
沈黙を破ったのは、オットーだった。
「……ミラ。聞いてくれるか?」
ミラはびくりと肩を揺らす。
俯いたまま、少し迷ってから、こくりとうなずいた。
「……うん」
オットーはマグをテーブルに置き、視線を遠くへ投げる。
焚き火の向こうじゃない。もっと昔の、別の場所。
「俺の、このスキル——《阿修羅》が初めて発現したのはな。エドガーたちと組んで、まだ間もない頃だった」
その一言に、ダリウスとエドガーの背中がわずかにこわばる。
二人とも手を止め、黙って続きを待った。
オットーは、少しだけ懐かしそうに笑った。
「あの頃は若くてな。無理と無茶と……無謀の連続だった。
何かあればエドガーが全部吹き飛ばす。
どんだけ無茶な攻勢も、 俺が受け止める。
ダリウスが、 何があっても支援してくれる。
他にも弓のアシュレイ、 モンクのタッカー、 後衛には回復の加護持ちのジェリーがいた。
アシュレイは、 いつも一番冷静なくせに、 一番最初に矢を番えて前に出る奴だった。
タッカーは、 一番臆病なくせに、 一番誰かを見捨てられない馬鹿だった。
ジェリーは、 誰より怖がりなくせに、 土壇場になると一番先に前へ出る奴だった。
——完璧無敵、 そんな布陣だと、 “思っていた”。」
最後の一語だけ、落ち方が違った。
ミラはチキンを持つ手を膝の上へ下ろし、小さく呟いた。
「……昔は、いろいろな仲間がいたんだね……」
「あぁ。いたさ」
オットーの口元から懐かしさが消えていく。
「そんな時だ。未踏破ダンジョンに挑もうって話が出たのは。
二十四の若造がよ。『行ける、 行ける』ってな」
自嘲するように鼻で笑う。
「俺たちは進んだ。調子に乗って。
最下層で待っていたのは——魔神だった」
「ま、 魔神……!?」
ミラの肩が跳ねた。
「そんなの、 神話の話だよ……?」
「事実ですよ……」
ぼそりとエドガーが呟く。
魔導書を持つ指が白くなる。
オットーはゆっくりうなずいた。
「あっという間に追い詰められた。満身創痍でな。
ミラ、 お前も加護が使えるなら、 呪いのことはわかるだろ?」
「……生贄の供物を使って、 呪いを与えるもの、 だよね?」
「あぁ」
オットーは目を閉じ、息を吐く。
「初めにその話を出したのは、 ジェリーだった。
二人を生贄にすれば、 残り四人は助かるってな」
ミラの顔から血の気が引いた。
「まさか……人間を……供物に?」
「そうだ。人間をだ」
焚き火がぱちりと弾け、影が揺れる。
「くじ引きだった。……ジェリーは細工をして、 自分が供物になるようにしてやがった。
タッカーはモンクだからな。超直感ってやつで、 あえてハズレを引きやがった」
オットーの目が泳がない。
逃げるように笑わない。そこまで話すと決めた目だ。
「……あの二人の顔が、 今も夢に出る。
『行ってくる』って笑った顔も。
最後にこっちを振り返った時の顔も。全部な」
隣でダリウスがそっと目を伏せる。
「俺たちは必死に反対した。
こんなやり方、 間違ってるって何度も言った。……でも」
ダリウスは唇を噛んだ。
「タッカーとアシュレイに押さえつけられてる間に、 ジェリーが呪いを完成させちまったんだ」
短く言って、そこで止めた。
それ以上は、自分が崩れる。
オットーはマグを手に取り、残った酒をぐびっと飲み干す。
「俺の《阿修羅》は、 その呪いの力だ。
ジェリーを生贄に捧げて、 タッカーを巻き込んで——俺たちはその力を使い、 “逃げた”」
最後の二文字が、床に落ちた。
ミラは胸の前で握りしめた両手に、ぎゅっと力を込める。
悲しみ。恐怖。
それでも今ここに三人がいることへの安堵。
胸の中がぐちゃぐちゃになる。
「…………なんて……言ったらいいか……わかんない……」
言葉を探して、見つからなくて、それでも絞り出す。
「でも、 やっぱり……三人が生きてて……私は、 よかったって……心から思う……
……私、 ひどいよね……でも……そう思うの」
言った瞬間、自分の喉が震えた。
「ミラ……」
ダリウスは名前を呼ぶだけで、声が詰まる。
ミラは俯いたまま続ける。
「……じゃあ……寿命って、 その……使ってる時間で、 なくなるの?」
オットーは、しっかりとミラの顔を見る。
「あぁ。短時間なら、 ほとんど減らねぇ。
だが今回みてぇに、 長時間ぶっ続けで使って、 瀕死からの回復まで含めちまうと——一気に吸い取られる」
焚き火がふっと揺れた。
ダリウスはテーブルの縁を掴んだまま、ぽつりと言う。
「……今日は……みんな、 疲れてるだろう。もう、 寝よう」
誰も反対しなかった。
皿を片づけ、寝袋へ潜る。
テントの天幕越しに、遠い石天井が黒く沈む。
オットーは一番奥に敷かれた寝袋へ身体を沈めた。
背中で布の冷たさを感じながら、じっと天井を見上げる。
(……あと二十年)
数字だけなら、長い。
だが「四人で当たり前に歩ける」と思っていた時間の感覚が、急に細くなった。
(……もう、 一秒だって無駄にしねぇ)
誰にも聞こえない声で、胸の内だけに落とす。
(飲んだくれてる時間も、 くだらない愚痴で潰す時間も……それでも、 全部ひっくるめて“今”だ。
だったら、 笑って過ごしてやる。喰って、 戦って、 バカ言って、 仲間を守って——)
オットーは、そっと目を閉じる。
(……今、 この瞬間を。生ききってやる)
焚き火の赤い光が、ゆっくり弱くなっていく。
やがて小さなテントの中には、三人と一人分のいびきと寝息だけが満ちていった。
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