「おやすみ~」
「おやすみなのじゃ」
『器』と夜の挨拶を交わし、ルカは彼女が眠りについたのを見届けると、ふっと表情を引き締めた。
「……」
静かに布団にもぐり込み、その中でそっと【気配遮断ローブ】を身にまとう。
それは、グリード王国の最重要機密とされる特殊装備――万が一に備え、『女神』から託された“影の衣”だった。
このローブをまとえば、たとえ【神の使徒】の視線すらすり抜けられる。
だが、ルカはさらに用心を重ねる。
物音ひとつ立てず、屋敷の奥にある“誰にも知られていない裏口”へ向かう。
そこにドアも鍵も、魔法陣すら存在しない。ただ壁があるだけ。
しかし、魔力を流せば――スッと空間が揺れ、そこを通り抜けることができる。
誰にも気づかれずに、外の夜へと姿を消した。
「さてと……ワシが最後かもしれんのじゃ」
月明かりだけが照らす静かな通りに、白い着物の上からローブを纏ったルカの姿が浮かび上がる。
だがその姿に、すれ違う人々が気づくことはない。
気配遮断の効果は完璧であり、まるで存在そのものが夜に溶け込んでいるかのようだった。
やがて、前方からふらつきながら酔っ払いが二人現れる。
「うぃ~飲みすぎたぁ~」
「いや~、今夜もいい酒だったなぁ」
ルカは音もなく歩を緩め、ぶつからぬように路肩へと身を寄せる。
「お前、最近羽振りがいいじゃねぇか、モヤっさんよ~」
「うぃ?それがよ!今話題の《うまかっちん》!そこの【唐揚げ】の肉、仕入れてんの俺なんだよ!」
「うぉ~!マジかよお前!スゲーな!」
「アバレーに行く奴なんて少ねぇからな?俺はそこを狙ったのよ……見事に大当たりよ~!」
上機嫌に騒ぐモヤっさんとその友人の声が、夜に反響する。
「このあとも奢れよな~!」
「いいぜいいぜ!……ただ、ひとつ気になることがあってさ」
「なんだよ~?」
「昔な、海賊相手にちょっと金額ちょろまかしたら、バレちまってさ……危うく命が尽きるところだったんだよ」
「うっわ、それはヤベー!」
「……でもな、そのとき俺を助けてくれたのが――真っ黒い鎧の騎士だったんだ」
そこまで聞いたところで、二人の声は遠ざかっていく。
ルカは立ち止まり、静かに息を吐いた。
「……人間というのは、騒がしい生き物なのじゃ」
そして、街の灯りが届かない公園の奥――噴水の前へと足を運ぶ。
「……」
そして噴水の一部分に魔力を流すと噴水の水が鏡のようになる。
そして――
とぷんっ。
水面が小さく跳ねた音と共に、ルカの姿はそこから忽然と消えていた。
まるで最初から誰も居なかったかのように、夜の公園にはただ静かに、まるで誰も居なかったかのように____
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「……ふむ、到着されたようですね」
「少し、遅れたのじゃ」
ここがどこなのかは分からない。
ただ、石造りの床と壁、中央に据えられた巨大なクリスタルの机、そしてその周囲に配置された七つの装飾付きの椅子――
すでに六人が着席し、ルカもまた、自らの席へと腰を下ろす。
それを合図に、静かに報告会が始まった。
「では、『女神』様の最側近であるルカ様より、ご報告をお願いします」
シルクハットを被った一人がそう口にし、場が静まり返る。
ルカは「のじゃ」と一言だけ答え、懐から取り出した巻紙を広げた。
「『女神』様からのメッセージを、そのまま読み上げるのじゃ」
場に緊張が走る。
そして――
「『やっほー♪ みんな元気ー? 私? すっごーく元気よ☆』」
ルカの口から、明るすぎる声色で言葉が続けられていく。
「『こっちは順調すぎて退屈なくらい、キャハハ☆
神の使徒も全然気づいてないの、バッカみたいよね~♪ まったく、脳みそあるのかしら?
キャッキャッキャッ♪』」
明るい。明るすぎる。だが、その言葉の内容は“異常”とすら言えるものだった。
「『で、そっちはどう? まさか失敗してないよね?
早くみんなの顔、見てみたいなぁ~。じゃあね、チュッ♪』……なのじゃ」
ルカが読み終えた瞬間、誰一人として笑う者はいなかった。
そして、一人――大仰な動きで拍手を送るものが居た。
「うおおおおぉぉ!! さすが我らの『女神』様ですぞ! 完璧すぎるですぞぉぉ!! あぁっ、『女神』様ぁぁぁ!!」
感極まって机に突っ伏す仮面の男。
それを他の六人は誰も咎めることなく、冷ややかに横目で流しつつ、報告は粛々と進められていく。
「……で、ムラサメさん。あなたの方は?」
感情で悶えてるところを呼ばれ、深呼吸して切り替える仮面男。
「我の方も、順調でございますぞ。校内にすでに潜入し、誰にも気づかれることなく『女神』様のご意志を遂行中……。
さらにアバレー王国では代表騎士としての立場を使い、内と外、両面から影響を及ぼしておりますですぞ」
「……結構。あなたのような“器用な方”が居ると助かりますね」
司会役のシルクハットの男は満足げに頷き、次に視線を移した。
「では――みやさん、あなたは?」
名を呼ばれ、椅子にちょこんと座っていた小柄な少女が立ち上がる。白銀の長髪に赤い瞳。
リュウトパーティーに居る、みやだった。
「リュ……リュウトパーティーは、現在も魔王攻略を続けております……。
現時点で『女神』様への敵対意思は、確認……できません……」
だがその言葉に、空気がぴりりと張り詰める。
「ほぉ……? あなたのパーティーが、我が商団を嗅ぎ回っていると報告が上がっているのですが?」
シルクハットの男の声が低くなる。
「それどころか、私の輸送隊に攻撃をしかけた例もある……。それでよくも、白々しくそんな言葉を吐けますね、小娘」
「……っ」
みゃは俯き、反論をしない。
いや――できない。
その様子に、男は怒気を抑えきれなくなる。
「なんとか言ってみろよ……出来損ないの、“元・魔王”が」
だが、その場の空気を制したのは――意外な人物だった。
「……みゃは、良くやっている」
低く静かな声が響く。
座したまま、黒の鎧に身を包んだ男。
漆黒の騎士《エス》――彼の発言に、空気が一変する。
「え……エスさん?」
怒りを露わにしていたシルクハットの男が目を見開く。
「なぜ、庇うんですか……?」
問われても、エスは視線すら向けずに答えた。
「事実を言ったまでだ。みゃが此方側についたことで、俺とリュウトが直接衝突することは減った。
無駄な対立を減らし、標的となるザコ拠点を的確に導いている。……そのぶん、俺は“本命”に集中できる」
その冷徹な理屈に誰も反論できず、重苦しい沈黙が広がる――
……が、そこにまた別の女の声が割り込んできた。
「……ふぅん? それってつまり、私たちは“雑魚”ってことかしら?」
テーブルの向こう、真紅の瞳を細めながらナイフをくるくると回す女。
細身の体にピタリと密着するようなボディスーツのような服を纏い、その目は笑っていない。
彼女の名は《エンジュ》。
「……お前がそう思うなら、それでいい」
エスは相変わらず目を合わせようとすらしない。
「何十人、何百人で攻撃を仕掛けておいて5人に壊滅させられる奴を俺は“雑魚”と呼ぶ。
違うか?」
その言葉を聞いた瞬間、エンジュの手が動いた。
――シュッ!
空気を切り裂く鋭い音。
一瞬の間に、銀の閃きがテーブルを飛び越え、エスの喉元を狙う。
しかし。
「……」
カチッ。
エスはそのナイフを、まるで日常の一部のように二本の指で挟んで止めていた。
「……俺達の間での戦闘は、原則禁止のはずだが?」
「ふふ……?」
ナイフを投げた本人は、しれっとした顔で微笑む。
「“雑魚の攻撃”を“攻撃”と受け止めてくれたのなら、少しは見直すわ」
「フッ……確かにそうだ、口だけは達者だな」
「チッ……忘れちゃ困るねぇ。あんたは“『女神』の力”で強いんだ。もし、それがなけりゃ――」
「なら諦めろ。あるかぎり、お前らは俺に勝てない」
エスの言葉は変わらず淡々と、だがどこか圧を含んでいた。
「ちっ……!」
苛立つエンジュをよそに、シルクハットの男――奴隷商の主は軽く咳払いし、会議を仕切り直す。
「……わかりました。では、エスさんも、みゃも、エンジュさんも、引き続き“役目”の遂行をお願いします。
次に、《勇者》ヒロユキのパーティーについて……“ユキナ”さん、状況をお願いします」
それまで一言も発していなかった幼い少女が、机の端で静かに顔を上げた。
黄緑のショートヘアに同じ色の瞳。小柄で年端もいかない外見だ。
「……ヒロユキ、順調。リュウト、同様。魔王攻略、継続中」
「ふむ……では、特に問題はないということでしょうか?」
シルクハットの男が確認する。
「……肯定。しかし、“ユキ”に警戒。私のこと、疑っている」
一瞬、空気が張りつめる。
「あの少女か……分かりました、では引き続き、警戒を。情報は漏らさぬように」
「……御意」
ユキナは再び口を閉じ、椅子に深く沈み込むように座った。
「なぁ、おい?……やっと、くだらねぇ会議は終わったのかよ」
最後に口を開いたのは、一人だけまるで空気の違う男だった。
ボサボサの髪をかきながら、大きなあくびをかますその男――名はトミー。
「くだらねぇ……用が済んだなら、俺は帰るぞ」
「流石、《六英雄》のトミーさんですね。我々の会話などより、また世界でも救いに行かれるのですか?」
シルクハットの男が皮肉を込めて言うと、トミーは鼻で笑いながら肩をすくめる。
「あー?おいおい、俺を《六英雄》とか勝手に祭り上げてんのはそっちだろ。俺はただ、強そうなヤツを片っ端から殺してるだけだ」
その場の空気がわずかに揺れる。
彼の言葉には、冗談の色はない。
「今の【勇者】なんざ、正直退屈でなぁ……俺が戦いてぇのは、“完全な状態の【勇者】”だ。魔王でも一匹狩って気を紛らわそうかと思ったが……『女神』様が“まだ駄目”ってよ。ったく、暇で死にそうだぜ」
「ですが、あなたには『女神』様から“特別な命令”が届いているはず……それはちゃんと遂行しているのですか?」
「……おいおい。俺が“『女神』様の命令”を無視するわけねぇだろ。お前らとは、そもそも“格”が違うんだよ」
「違うですぞ? 我こそが『女神』様に選ばれし忠実なるしもべですぞ?何を勘違いしてるのですぞ?」
「おいおいおいおい?」
「……ですぞ?」
二人の火花が散りそうになるが、静かにそれを止める者がいた。
「落ち着くのじゃ。現在、『女神』様は“器”に縛られ、この世界に完全には現れておらぬ。……もし、この我らが足並みを乱せば――」
『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
『女神』
■■■が■■により■切られ、■■■■により■■時、■■により■られ、■■■■に舞い降りた■
『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
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