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第十章 白霧山の彼方へ
第八話 青い瞳に映るもの
薄暗い洞窟の中、夜番を交代しながら長い夜はゆっくりと過ぎていった。
嵐は夜明け前にようやく勢いを失い始める。
そして朝。
岩の隙間から柔らかな光が差し込んでいた。
薄金色の朝日が、濡れた岩肌を静かに照らしている。
外から聞こえてくるのは雨音ではなく、時折岩の間を抜ける風の音だけだった。
馬達もすっかり落ち着いた様子で
静かに身体を休めている。
最後の見張りを担当していたダイチは、岩壁へ背を預けながら小さく息を吐いた。
「……やっと止んだか」
ぼんやりと洞窟の中を見回す。
そしてふと、視線が止まった。
少し離れた場所。
毛布へ包まりすやすやと眠るジント。
長い黒髪が頬へ掛かり、穏やかな寝息が小さく聞こえている。
その寝顔を見た瞬間、思わずダイチの頬が緩んだ。
「……ほんま」
小さく笑う。
あんな風に、誰かと楽しそうに話すジントを見たのは初めてかもしれない。
ジントと出会って十二年。
ずっと傍で見守ってきた。
出会った頃のジントは今よりもっと人見知りで、口数も少なくて。
いつもどこか怯えたような顔をしていた。
だから少しでも笑ってほしくて。
色んな場所へ連れ出した。
森へ行って、川で遊んで。
家にも招いた。
無理やり馬へ乗せて怒られて。
旅へ出てからは、魔物や”厄災”として向けられる悪意から必死に守ってきた。
ジントが苦しんでいる時は、ただ隣に居続けた。
逆に自分が怪我をした時には、ジントは泣きそうな顔で必死に手当てしてくれた。
ずっと二人で支え合ってきた。
ジントには自分がいればいいと思っていた。
自分にもジントがいれば十分だと思っていた。
それくらい二人で過ごした時間は長かった。
けれど今はこうして、一緒に食事をして、一緒に笑って、一緒に眠る仲間がいる。
それが不思議なくらい嬉しくて心強くて、気持ちがじんわり温かくなる。
なのにその一方で少しだけ、胸の奥が、ちり、と痛んだ。
寂しいような、変な嫉妬みたいな感情。
「……はぁ〜」
ダイチは大きく息を吐く。
「何考えとんねやろ、オレ……」
苦笑しながら、もう一度ジントを見る。
相変わらず綺麗な寝顔だった。
長い睫毛。
白い肌。
穏やかな寝息。
それは昔から変わらない。
けれど今は昔とは違う意味で、そう思った。
「ほんま綺麗やなぁ……」
思わず見入ってしまう。
その時だった。
ジントの瞼がぴくりと震えた。
ゆっくりと黒い瞳が開く。
しばらくぼんやりと天井を見つめた後。
「……ダイチ……」
眠たげな声が、小さく零れた。
ダイチは優しく笑う。
「おるよ」
その声に、ジントがはっと顔を上げた。
そしてダイチと目が合った瞬間。
ふわり、と安心したように笑う。
「……おはよ」
「おはよ、ジント」
ダイチは自然と声が柔らかくなる。
「ちゃんと眠れたか?」
「うん……よく寝た〜……」
ジントはまだ眠そうに目を擦りながら、小さく伸びをした。
その姿が妙に無防備で、ダイチの心臓がまた変な音を立てる。
そしてジントはふらふらと起き上がると、そのままダイチの隣へ移動してきた。
「ん?」
次の瞬間。
ぽすっ。
ジントが甘えるように、ダイチへ体重を預ける。
ダイチの思考が止まった。
「…………」
「やっぱ……ダイチの傍が安心する……」
まだ完全に目が覚めていないのか、ジントはぼんやりした声で呟く。
その体温がすぐ隣にある。
柔らかな髪が肩へ触れる。
近い。
近すぎる。
「お、お、おまえ……!」
ダイチの顔が一気に赤くなる。
「あかんて……!!」
「……?」
ジントは意味が分かっていない顔で、眠そうに瞬きをしていた。
「……ダイ…チ……」
甘えるような、掠れた声が耳をくすぐる。
身体の奥が熱く疼く。
「……っ……!」
呼吸の仕方が分からなくなる。
ジントは完全にダイチの肩に寄り掛かり、安心したように目を閉じる。
その瞬間、ダイチは気付く。
自分はもうただ幼馴染として、ジントを見ているわけじゃないのだと。
大切だから。
守りたいから。
それだけだと思っていた気持ちの奥に、もっと別の感情があることに。
本当はもっと前から知っていた。
でも、気付かないふりをしていた。
この関係が、距離が、変わってしまうのが怖いから。
肩へ触れる柔らかな髪。
すぐ傍に感じる体温。
安心しきった寝息。
「…………」
ダイチは動けなかった。
ずっと傍にいた。
ずっと守ってきた。
けれど、今は。
ーー誰にも渡したくない。
そんな気持ちが、胸の奥から溢れてこぼれ落ちていく。
激しく脈打つ鼓動。
揺れる青い瞳。
「……ほんま、困るわ……」
小さく呟く。
震える手で、そっとジントの頬へ触れる。
白く滑らかな肌。
触れた指先が、自分の意思とは関係なく震えた。
柔らかそうな淡紅色の唇が目に入る。
親指で、そっとなぞる。
そしてゆっくり。
吸い寄せられるように、顔を近付ける。
あと少し……。
そう思った瞬間。
「………ダイちゃん、寝込みはアカンで……」
洞窟の奥から、呆れたようなシュンタの声が響いた。
「うわぁぁぁぁぁっ!!?」
ダイチが飛び上がる。
ばっと勢いよく振り返ると。
毛布へ包まりながら、
シュンタがにやにやこちらを見ていた。
その隣では、ジュウタロウが静かに顔を逸らしている。
「見とらん。何も見とらんから」
シュンタが手で目隠ししながら楽しそうに言う。
「見てたやろっ!!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶダイチ。
その声で。
「……ん〜……?」
ジントがゆっくり目を覚ます。
「おはよぉ……」
完全に寝起きの声だった。
「おはようやない!!」
「……?」
意味が分かっていない顔。
シュンタが吹き出す。
「ジンちゃん、お前ほんま罪深いなぁ」
「何が?」
「そこや」
ダイチは頭を抱え俯いていた。
その様子を見て、ハヤトが苦笑しながら起き上がる。
「朝から賑やかだな」
「ハヤトまで!?」
「いや……少し止めるべきか迷った」
「もうやめてえぇ!!」
洞窟の中へ、朝から笑い声が響いた。
ジュウタロウは小さくため息を吐く。
「そろそろ出発の準備をした方がいい」
「助かる……」
ダイチが本気で救われた顔をする。
外を見ると、嵐は完全に過ぎ去っていた。
岩の隙間から差し込む朝日が、洞窟の中を明るく照らしている。
「よし、軽く食事をして荷物まとめるか!」
ハヤトの声で一同は動き始めた。
昨日の残りのパンを頬張り、乾いた服を畳み、ロープを外し、魔導具を片付ける。
馬達もすっかり元気を取り戻し、穏やかな様子で鼻を鳴らしていた。
「結局、かなり休めたな」
ハヤトが馬具を確認しながら言う。
「まぁ嵐のお陰で強制休養やったしなぁ」
シュンタが肩を竦める。
「でも悪くなかったかも」
ジントがぽつりと呟く。
一同の視線が向く。
ジントは少し照れ臭そうに笑った。
「みんなと、たくさん話せたし」
その言葉に、洞窟の空気が柔らかくなる。
ダイチはそんなジントを見ながら、小さく息を吐いた。
——危なかった。
いや。
今もかなり危ない。
でも嬉しそうに笑うジントを見ると、結局何も言えなくなる。
「ダイチ?」
「……なんでもない」
ダイチは慌てて顔を逸らした。
シュンタがその様子を見て、またにやにや笑っている。
「ほんま分かりやすいなぁ」
「うるさい!」
激しい鼓動は、まだ治まらなかった。
そして一行は洞窟の外へ出た。
嵐の去った白霧山は、昨日とはまるで別世界のように静かだった。
濡れた岩肌が朝日に輝き、澄んだ空気が肺へ満ちる。
見上げれば、雲ひとつない青い空がどこまでも広がっていた。
ダイチは思わず足を止める。
昔から見慣れていたはずの空。
けれど今日見る青は、いつもより少しだけ眩しく感じた。
ふと視線の先に、黒い髪が揺れる。
朝の光を浴びた白い横顔。
穏やかな黒い瞳。
その姿が、青い瞳へ映る。
大切な存在。
ずっと隣にいた。
ずっと守ってきた。
けれど今はもう、ただ守るだけの相手ではない。
自分の帰る場所のような。
そんな存在になっている気がした。
「……何?」
視線に気付いたジントが不思議そうに首を傾げる。
ダイチは慌てて笑った。
「いや」
少し照れながら。
「なんでもない」
そして
「行こか、ジント」
「うん」
いつものように、当たり前のように二人は並んで歩き出す。
その少し先には仲間達の笑い声がある。
もう、二人だけの旅ではない。
青い空の下、その青い瞳に映る景色は少しずつ変わっていく。
けれどその中で、ジントだけは、これからも変わらず傍にいる気がした。
個人的にお気に入り回です(灬º‿º灬)♡
コメント
7件
comiさん!!!!!!!ここまでやっと読み進めてきましたが、今一番ときめいています!!!!! 可愛すぎる塩レ😭 ちょっとずつ自覚してるダイチと、無意識に甘えるジント最高すぎます、本当にありがとうございます🙏おかわりしてきます🙏 語彙力なくて申し訳ございません。
無自覚でダイチに甘えるジントが可愛すぎます!🤭 ダイチがジント可愛さにやれてるのが見てて可愛くて、シュンタみたいな反応しちゃいました笑 ジントが鈍感で気づいてないところもまたいいですねぇ
うわーー🫢🫢!!つ、ついに気づいてしまったのね! いいですよね、”まさか”がまさかの恋心とは🤭 私もこの回のお話好き、お気に入りです♡