テラーノベル
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玄関を閉める音が、やけに大きく響いた。 夜の冷気が背中にまとわりついたまま、遥は廊下を進む。
足裏に冷たい床板の感触。家の奥へ進むほど、空気が淀んでいく。
階段の影から、声がした。
「遅かったな」
晃司。
照明をつけず、壁にもたれながら立っていた。
その奥に、颯馬が半笑いで腕を組んでいる。
「どこ行ってたんだよ、遥」
颯馬の声は軽い。けれど、その軽さが一番怖い。
「外」
「外って、どこの外?」
「別に」
晃司が歩み寄ってくる。
距離を詰められるたび、空気が狭まっていくようだった。
「“別に”とか言って、また日下部んとこだろ」
「……関係ねぇだろ」
「関係あるよ。怜央菜が気にしてた」
その名を出されただけで、喉の奥が凍る。
颯馬が小さく笑った。
「てか、あいつまだお前に構ってんの? 根気強いよな。
怜央菜、呆れてたぜ。“放っときゃそのうち飽きる”って」
「やめろよ」
遥は小さく言ったつもりだった。
けれど、それを聞いた晃司の眉がぴくりと動いた。
「やめろ? 何を?」
「その言い方」
「は? なんで? 図星だから?」
笑い声が落ちた。
静寂のあと、晃司が手を伸ばす。
顎に触れる寸前で、遥は身を引いた。
その反応を、二人とも見逃さない。
颯馬が少し首を傾ける。
「ビビんなよ、誰も殴ってねぇじゃん」
晃司が続ける。
「なあ、なんで日下部なんだよ。
俺らじゃだめなのか? どうせ何もできねぇくせに」
その声には笑いが混じっていた。
笑いながら、押さえつけるような重さがある。
遥は返事をしない。喉の奥が震える。
颯馬がわざとらしくため息をついた。
「お前さ、あいつの前だといい子ぶるのやめたら?
あいつ、まだ“お前を守れる”とか本気で思ってんだろ。
見てて笑えるんだよ」
晃司がその言葉に薄く笑った。
「そ。守るとか言って、自分が何から守ってんのかも知らねぇくせにな」
「可哀想だよな、日下部。真面目な顔で“遥のために”とか言っちゃって」
遥は、もう一言も出せなかった。
胸の奥に溜まるのは怒りでも涙でもなく、ただ空白。
何を言っても、言葉が足元から崩れる。
晃司が顔を覗き込み、笑う。
「お前が黙ると、ほんと人形みたいだな」
「――ほっとけよ」
「ほっとく? だったら最初から帰ってくんなよ」
言葉が刃のように突き刺さる。
颯馬がその横で、静かに首を振った。
「違うよ、晃司。こいつ、帰る場所なんて他にないんだろ」
「……だから仕方なくここにいるって?」
「そう。惨めだよな」
晃司が薄く笑い、颯馬も笑う。
二人の間に共有される“楽しみ”のような沈黙。
その中に立たされて、遥は呼吸の仕方さえわからなくなる。
階段の上から物音がした。
怜央菜の部屋のドアがきしむ。
二人の笑いがぴたりと止まった。
「……バレたら面倒だな」
晃司がぼそりと呟く。
その一瞬で、空気の支配が変わる。
二人はあっさりと背を向け、階段を上がっていった。
残されたのは、遥ひとり。
足元が震えているのに気づく。
手も。呼吸も。
冷たい床に座り込むと、どこか遠くで日下部の声が蘇った。
――「無理だなんて、俺が決める」
その言葉が、救いでもあり、呪いでもあった。
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